四十八願
全体の解説
四十八願とは、阿弥陀仏が因位の法蔵菩薩のときにおこした四十八種の誓願のこと。阿弥陀仏に固有の願(別願)である。
四十八願は『仏説無量寿経』の「正宗分」に説かれている。この前後の流れについては仏教知識「法蔵菩薩」を参照のこと。
なお『仏説無量寿経』には四つの異訳が現存しており、それぞれ願の数が異なっている。『大阿弥陀経』『平等覚経』では二十四願、『荘厳経』では三十六願、『如来会』では四十八願となっている。
それぞれの願は「説我得仏(たとえわれ仏を得たらんに)」で始まり、「不取正覺(正覚を取らじ)」で終わっている。現代語訳すると「わたしが仏になるとき、~なら、わたしは決してさとりをひらきません」となる。つまり(それぞれの願ごとに異なる)特定の願いを実現できないようならば仏にはならないといわれている。願いを成就するという誓いであり、誓願ともいう。
なお第十八願のみ、後に「唯除五逆誹謗正法」という文がつく。これを抑止門という。
さとりをひらいた阿弥陀仏がおられるということは、これらの願が成就し、願文に書かれた願いを満たした浄土が存在するということになる。
四十八願の一覧
次の表に四十八願の一覧を示す。それぞれの願名については『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』(P.15-P.24)を参照した。なお、この記事の最後にそれぞれの願の原文(漢文)と書下し文を示している。それぞれの願名の読み方(ふりがな)はそちらを参照のこと。
なお、以後この記事中で触れる願については表中に色をつけておいた。
浄影寺慧遠による分類
中国の隋代の高僧、浄影寺の慧遠大師(523-592)は、四十八願を以下のように分類した。
- 摂法身の願 ... このような仏陀としての徳を完成したいという願。第十二願・第十三願・第十七願が該当する。
- 摂浄土の願 ... このような浄土を建立したいという願。第三十一願・第三十二願が該当する。
- 摂衆生の願 ... このような利益を与えて衆生を救いたいという願。その他の四十三願が該当する。
それぞれの分類の説明については(『親鸞聖人の教え・問答集』 P.73-74)より引用した。
祖師たちの解釈
宗祖親鸞や祖師たちは四十八願の中心は第十八願であると述べている。
善導の解釈
善導 (613-681) は『観経疏』「玄義分」において、
法蔵比丘、世饒王仏の所にましまして 菩薩の道を行じたまひし時、 四十八願を発したまへり。一々の願にのたまはく、 (『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』 P.326 より)
と述べた後に第十八願を(意訳して)引用している。つまり、四十八願のすべてに第十八願の内容が含まれていることを示している。
また、善導は第十八願の中の「乃至十念」という部分を「わが名号を称して(わが名字を称すること)」「下十念に至るまで(下十声に至るまで)」と言い換えている。この言い換えは
- 『観経疏』(『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』 P.326)
- 『観念法門』(同じく P.630)
- 『往生礼讃』(同じく P.711)
などに見られる。このことから、第十八願の「十念」が称名念仏であること、称える念仏の回数は問題にならないことが示される。
法然の解釈
法然 (1133-1212) は『選択本願念仏集』「本願章」で、第十八願について「法蔵菩薩が衆生が浄土に生まれるための行として称名念仏以外の行を選び捨て、称名念仏一行を選び取られた文」と述べている。
そして、名号には阿弥陀仏のあらゆる功徳が摂められているということ、念仏はあらゆる人が実践できる易しい行であることから、称名念仏が最も勝れた行であると示される。
このことから、最も勝れた行である称名念仏について説かれている第十八願が最も重要ということになる。
また法然は『選択本願念仏集』「特留章」において次のように述べている。
ゆゑに知りぬ、四十八願のなかに、すでに念仏往生の願(第十八願)をもつて 本願中の王となすといふことを。 (『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』 P.1228)
ここでいう「本願」は四十八願すべてのことを指しており、その中でも第十八願が最も大事であるということを述べている。
このように第十八願を中心とする考え方を「一願建立」と呼ぶ。
親鸞の解釈
五願開示
法然の考えを承けた親鸞はこれを広げ、第十八願の中身を第十七願・第十八願・第十一願・第十二願・第十三願の五つの願に開いて示した。この考え方を「一願建立」に対し「五願開示」という。
親鸞は第十八願文の「乃至十念」を行(第十七願)、「至心信楽欲生我国」を信(第十八願)、「若不生者」を証(第十一願)、「不取正覚」を真仏土(第十二願・第十三願)に対応させた。そして、それぞれの願を『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)の各巻の冒頭(標挙の文)に標した。
これにより第十八願文の中で「信」が中心にあることを明らかにした。また、教(『仏説無量寿経』)・行(称名念仏となってはたらく名号)・信(他力信心)・証(さとり)という衆生の往生の因果のすべてが阿弥陀仏の本願力によって回向されたことを明らかにした。
往相回向と還相回向
親鸞は『教行信証』「教文類」の冒頭で次のように述べている。
つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。 一つには往相、二つには還相なり。 往相の回向について真実の教行信証あり。 (『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』 P.135 より)
これは浄土真宗の教義の大綱(根本的な事柄)を示した重要な文である。ここには往相と還相の二種の回向が示されている。
往相とは衆生が浄土に生まれゆく因果のすがたをいう。これは先に述べた教・行・信・証の四法によって表される。これらが阿弥陀仏の本願力によって回向されることを往相回向という。
還相とは浄土に往生してさとりをひらいたものが、この迷いの世界に還ってきて自在に衆生を教化するすがたをいう。還相回向とは、阿弥陀仏が衆生にこの還相のはたらきを与えることである。
往相回向は先に述べた真実五願によって説明されている。また、還相回向については第二十二願に述べられている。親鸞は『教行信証』「証文類」で以下のように述べている。
二つに還相の回向といふは、すなはちこれ利他教化地の益なり。 すなはちこれ必至補処の願(第二十二願)より出でたり。 また一生補処の願と名づく。また還相回向の願と名づくべきなり。 (『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』 P.313 より)
生因三願と「浄土三部経」
摂衆生の願の中でも第十八願・第十九願・第二十願には衆生が浄土に生まれる因が誓われている。これらは生因三願と呼ばれる(仏教知識「生因三願」も参照のこと)。
親鸞は第十八願・第十九願・第二十願の内容をそれぞれ開いたものが「浄土三部経」であるとみていった。表面的には『仏説無量寿経』に第十八願、『仏説観無量寿経』に第十九願、『仏説阿弥陀経』に第二十願の教えが説かれている(顕説)が、釈尊が真に伝えようとされた内容(隠彰)はどれも第十八願の教えであるとした。
親鸞は『教行信証』「化身土巻」の標挙の文において、「仏説観無量寿経」を至心発願の願(第十九願)、「仏説阿弥陀経」を至心回向の願(第二十願)と対応させて書いた。「化身土巻」ではこの二つの願に基づいた権仮方便の教えを示している。
成就文
成就文とは
経典などにおいて、仏の誓願が成就したことをあらわしている部分の文章のこと。 (『浄土真宗辞典』 P.349 より)
である。『仏説無量寿経』の中には四十八願の内、いくつかの願について成就文が記されている。親鸞は『教行信証』や『浄土三経往生文類』の中で第十一願、第十二願、第十三願、第十七願、第十八願、第十九願、第二十願、第二十八願の成就文を記している。
個々の願文について
以下に四十八願の原文(漢文)と書下し文を示す。原文は『佛事勤行 佛説淨土三部經』、願名および書下し文は『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』を参照した(振り仮名は一部省略した)。
なお原文について表示できなかった漢字があるためそれについて補足する。 参考にした経本では、この記事での表記と以下の点が異なる。
- 「若」「菩」「薩」「蒙」「歡」「莫」「敬」の字は草冠が離れた形になっている。
- 「繞」「縫」の字は糸偏の下部が点3つになっている。
- 「即」の字は左半分が「皀」右半分が「卩」という形になっている。
- 「濯」の字は「ヨヨ」の部分が「羽」になっている。
- 「猶」の字は右上の「\ /」が「ハ」になっている。
また原文の振り仮名について、「仏」のように「ツ」となっている箇所はここでは「仏」のように「っ」表記にした。
第一願 無三悪趣の願
設我得佛・國有地獄・餓鬼畜生者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国に地獄・餓鬼・畜生あらば、正覚を取らじ。)
第二願 不更悪趣の願
設我得佛・國中人天・壽終之後・復更三惡道者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、寿終りての後に、また三悪道に更らば、正覚を取らじ。)
第三願 悉皆金色の願
設我得佛・國中人天・不悉眞金色者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、ことごとく真金色ならずは、正覚を取らじ。)
第四願 無有好醜の願
設我得佛・國中人天・形色不同・有好醜者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、形式不同にして、好醜あらば、正覚を取らじ。)
第五願 令識宿命の願
設我得佛・國中人天・不識宿命・下至不知・百千億・那由他・諸劫事者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、宿命を識らずして、下百千憶那由多の諸劫の事を知らざるに至らば、正覚を取らじ。)
第六願 令得天眼の願
設我得佛・國中人天・不得天眼・下至不見・百千億・那由他・諸佛國者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、天眼を得ずして、下百千憶那由多の諸仏の国を見ざるに至らば、正覚を取らじ。)
第七願 天耳遥聞の願
設我得佛・國中人天・不得天耳・下至聞・百千億・那由他・諸佛所説・不悉受持者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、天耳を得ずして、下百千憶那由多の諸仏の説くところを聞きて、ことごとく受持せざるに至らば、正覚を取らじ。)
第八願 他心悉知の願
設我得佛・國中人天・不得見他心智・下至不知・百千億・那由他・諸佛國中・衆生心念者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、他心を見る智を得ずして、下百千憶那由多の諸仏国中の衆生の心念を知らざるに至らば、正覚を取らじ。)
第九願 神足如意の願
設我得佛・國中人天・不得神足・於一念頃・下至不能・超過百千億・那由他・諸佛國者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、神足を得ずして、一念のあひだにおいて、下百千憶那由多の諸仏の国を超過することあたはざるに至らば、正覚を取らじ。)
第十願 不貪計心の願
設我得佛・國中人天・若起想念・貪計身者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、もし想念を起して、身を貪計せば、正覚を取らじ。)
第十一願 必至滅度の願
設我得佛・國中人天・不住定聚・必至滅度者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、定聚に住し、かならず滅度に至らずは、正覚を取らじ。)
第十二願 光明無量の願
設我得佛・光明有能限量・下至不照・百千億・那由他・諸佛國者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、光明よく限量ありて、下百千憶那由多の諸仏の国を照らさざるに至らば、正覚を取らじ。)
第十三願 寿命無量の願
設我得佛・壽命有能限量・下至百千億・那由他劫者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、寿命よく限量ありて、下百千憶那由多劫に至らば、正覚を取らじ。)
第十四願 声聞無量の願
設我得佛・國中聲聞・有能計量・下至三千・大千世界・聲聞緣覺・於百千劫・悉共計挍・知其數者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の声聞、よく計量ありて、下三千大千世界の声聞・縁覚、百千劫において、ことごとくともに計校して、その数を知るに至らば、正覚を取らじ。)
第十五願 眷属長寿の願
設我得佛・國中人天・壽命無能限量・除其本願・修短自在・若不爾者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、寿命よく限量なからん。その本願の修短自在ならんをば除く。もししからずは、正覚を取らじ。)
第十六願 離諸不善の願
設我得佛・國中人天・乃至聞有・不善名者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、乃至不善の名ありと聞かば、正覚を取らじ。)
第十七願 諸仏称名の願
設我得佛・十方世界・無量諸佛・不悉咨嗟・稱我名者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、わが名を称せずは、正覚を取らじ。)
第十八願 至心信楽の願
設我得佛・十方衆生・至心信樂・欲生我國・乃至十念・若不生者・不取正覺・唯除五逆・誹謗正法
(たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽してわが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。)
第十九願 至心発願の願
設我得佛・十方衆生・發菩提心・修諸功德・至心發願・欲生我國・臨壽終時・假令不與・大衆圍繞・現其人前者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、菩提心を発し、もろもろの功徳を修して、至心発願してわが国に生ぜんと欲せん。寿終る時に臨んで、たとひ大衆と囲繞してその人の前に現ぜずは、正覚を取らじ。)
第二十願 至心回向の願
設我得佛・十方衆生・聞我名號・係念我國・植諸德本・至心廻向・欲生我國・不果遂者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を聞きて、念をわが国に係け、もろもろの徳本を植ゑて、至心回向してわが国に生ぜんと欲せん。果遂せずは、正覚を取らじ。)
第二十一願 具足諸相の願
設我得佛・國中人天・不悉成滿・三十二大人相者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、ことごとく三十二大人相を成満せずは、正覚を取らじ。)
第二十二願 還相回向の願
設我得佛・他方佛土・諸菩薩衆・來生我國・究竟必至・一生補處・除其本願・自在所化・爲衆生故・被弘誓鎧・積累德本・度脱一切・遊諸佛國・修菩薩行・供養十方・諸佛如來・開化恆沙・無量衆生・使立無上・正眞之道・超出常倫・諸地之行・現前修習・普賢之德・若不爾者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、他方仏土の諸菩薩衆、わが国に来生して、究竟してかならず一生補処に至らん。その本願の自在の所化、衆生のためのゆゑに、弘誓の鎧を被て、徳本を積累し、一切を度脱し、諸仏の国に遊んで、菩薩の行を修し、十方の諸仏如来を供養し、恒沙無量の衆生を開化して無上正真の道を立せしめんをば除く。常倫に超出し、諸地の行現前し、普賢の徳を修習せん。もししからずは、正覚を取らじ。)
第二十三願 供養諸仏の願
設我得佛・國中菩薩・承佛神力・供養諸佛・一食之頃・不能徧至・無數無量・那由他・諸佛國者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、仏の神力を承けて、諸仏を供養し、一食のあひだにあまねく無数無量那由多の諸仏の国に至ることあたはずは、正覚を取らじ。)
第二十四願 供養如意の願
設我得佛・國中菩薩・在諸佛前・現其德本・諸所欲求・供養之具・若不如意者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、諸仏の前にありて、その徳本を現じ、もろもろの欲求せんところの供養の具、もし意のごとくならずは、正覚を取らじ。)
第二十五願 説一切智の願
設我得佛・國中菩薩・不能演説・一切智者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、一切智を演説することあたはずは、正覚を取らじ。)
第二十六願 得金剛心の願
設我得佛・國中菩薩・不得金剛・那羅延身者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、金剛那羅延の身を得ずは、正覚を取らじ。)
第二十七願 万物厳浄の願
設我得佛・國中人天・一切萬物・嚴淨光麗・形色殊特・竆微極妙・無能稱量・其諸衆生・乃至逮得天眼・有能明了・辯其名數者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、一切万物、厳浄光麗にして、形式殊特にして、窮微極妙なること、よく称量することなけん。そのもろもろの衆生、乃至天眼を逮得せん。よく明了にその名数を弁ふることあらば、正覚を取らじ。)
第二十八願 道場樹の願
設我得佛・國中菩薩・乃至少功德者・不能知見・其道場樹・無量光色・高四百萬里者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、乃至少功徳のもの、その道場樹の無量の光色ありて、高さ四百万里なるを知見することあたはずは、正覚を取らじ。)
第二十九願 得弁才智の願
設我得佛・國中菩薩・若受讀經法・諷誦持説・而不得・辯才智慧者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、もし経法を受読し諷誦持説して、弁才智慧を得ずは、正覚を取らじ。)
第三十願 弁才無尽の願
設我得佛・國中菩薩・智慧辯才・若可限量者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、智慧弁才もし限量すべくは、正覚を取らじ。)
第三十一願 国土清浄の願
設我得佛・國土清淨・皆悉照見・十方一切・無量無數・不可思議・諸佛世界・猶如明鏡・覩其面像・若不爾者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国土清浄にして、みなことごとく十方一切の無量無数不可思議の諸仏世界を照見すること、なほ明鏡にその面像を観るがごとくならん。もししからずは、正覚を取らじ。)
第三十二願 妙香合成の願
設我得佛・自地已上・至于虚空・宮殿樓觀・池流華樹・國中所有・一切萬物・皆以無量雜寶・百千種香・而共合成・嚴飾奇妙・超諸人天・其香普薫・十方世界・菩薩聞者・皆修佛行・若不如是者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、地より以上、虚空に至るまで、宮殿・楼観・地流・華樹、国中のあらゆる一切万物、みな無量の雑宝、百千種の香をもつてともに合成し、厳飾奇妙にしてもろもろの人天に超えん。その香あまねく十方世界に熏じて、菩薩聞がんのもの、みな仏行を修せん。もしかくのごとくならずは、正覚を取らじ。)
第三十三願 触光柔軟の願
設我得佛・十方無量・不可思議・諸佛世界・衆生之類・蒙我光明・觸其身者・身心柔輭・超過人天・若不爾者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界の衆生の類、わが光明を蒙りてその身に触れんもの、身心柔軟にして人天に超過せん。もししからずは、正覚を取らじ。)
第三十四願 聞名得忍の願
設我得佛・十方無量・不可思議・諸佛世界・衆生之類・聞我名字・不得菩薩・無生法忍・諸深總持者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界の衆生の類、わが名字を聞きて、菩薩の無生法忍、もろもろの深総持を得ずは、正覚を取らじ。)
第三十五願 女人往生の願
設我得佛・十方無量・不可思議・諸佛世界・其有女人・聞我名字・歡喜信樂・發菩提心・厭惡女身・壽終之後・復爲女像者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界に、それ女人ありて、わが名字を聞きて、歓喜信楽し、菩提心を発して、女身を厭悪せん。寿終りての後に、また女像とならば、正覚を取らじ。)
第三十六願 聞名梵行の願
設我得佛・十方無量・不可思議・諸佛世界・諸菩薩衆・聞我名字・壽終之後・常修梵行・至成佛道・若不爾者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界の諸菩薩衆、わが名字を聞きて、寿終りての後に、つねに梵行を修して仏道を成るに至らん。もししからずは、正覚を取らじ。)
第三十七願 作礼致敬の願
設我得佛・十方無量・不可思議・諸佛世界・諸天人民・聞我名字・五體投地・稽首作禮・歡喜信樂・修菩薩行・諸天世人・莫不致敬・若不爾者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界の諸天・人民、わが名字を聞きて、五体を地に投げて、稽首作礼し、歓喜信楽して、菩薩の行を修せんに、諸天・世人、敬ひを致さずといふことなけん。もししからずは、正覚を取らじ。)
第三十八願 衣服随念の願
設我得佛・國中人天・欲得衣服・隨念即至・如佛所讚・應法妙服・自然在身・若有裁縫・擣染浣濯者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、衣服を得んと欲はば、念に随ひてすなはち至らん。仏の所讃の応法の妙服のごとく、自然に身にあらん。もし裁縫・擣染・浣濯することあらば、正覚を取らじ。)
第三十九願 常受快楽の願
設我得佛・國中人天・所受快樂・不如漏盡・比丘者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、受けんところの快楽、漏尽比丘のごとくならずは、正覚を取らじ。)
第四十願 見諸仏土の願
設我得佛・國中菩薩・隨意欲見・十方無量・嚴淨佛土・應時如願・於寶樹中・皆悉照見・猶如明鏡・覩其面像・若不爾者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、意に随ひて十方無量の厳浄の仏土を見んと欲はん。時に応じて願のごとく、宝樹のなかにして、みなことごとく照見せんこと、なほ明鏡にその面像を観るがごとくならん。もししからずは、正覚を取らじ。)
第四十一願 聞名具根の願
設我得佛・他方國土・諸菩薩衆・聞我名字・至于得佛・諸根闕陋・不具足者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、他方国土の諸菩薩衆、わが名字を聞きて、仏を得るに至るまで、諸根闕陋して具足せずは、正覚を取らじ。)
第四十二願 聞名得定の願
設我得佛・他方國土・諸菩薩衆・聞我名字・皆悉逮得・清淨解脱三昧・住是三昧・一發意頃・供養無量・不可思議・諸佛世尊・而不失定意・若不爾者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、他方国土の諸菩薩衆、わが名字を聞きて、みなことごとく清浄解脱三昧を逮得せん。この三昧に住して、一たび意を発さんあひだに、無量不可思議の諸仏世尊を供養したてまつりて、定意を失せじ。もししからずは、正覚を取らじ。)
第四十三願 聞名生貴の願
設我得佛・他方國土・諸菩薩衆・聞我名字・壽終之後・生尊貴家・若不爾者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、他方国土の諸菩薩衆、わが名字を聞きて、寿終りての後に、尊貴の家に生ぜん。もししからずは、正覚を取らじ。)
第四十四願 聞名具徳の願
設我得佛・他方國土・諸菩薩衆・聞我名字・歡喜踊躍・修菩薩行・具足德本・若不爾者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、他方国土の諸菩薩衆、わが名字を聞きて、歓喜踊躍して菩薩の行を修し徳本を具足せん。もししからずは、正覚を取らじ。)
第四十五願 聞名見仏の願
設我得佛・他方國土・諸菩薩衆・聞我名字・皆悉逮得・普等三昧・住是三昧・至于成佛・常見無量・不可思議・一切諸佛・若不爾者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、他方国土の諸菩薩衆、わが名字を聞きて、みなことごとく普等三昧を逮得せん。この三昧に住して成仏に至るまで、つねに無量不可思議の一切の諸仏を見たてまつらん。もししからずは、正覚を取らじ。)
第四十六願 随意聞法の願
設我得佛・國中菩薩・隨其志願・所欲聞法・自然得聞・若不爾者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、その志願に随ひて、聞かんと欲はんところの法、自然に聞くことを得ん。もししからずは、正覚を取らじ。)
第四十七願 聞名不退の願
設我得佛・他方國土・諸菩薩衆・聞我名字・不即得至・不退轉者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、他方国土の諸菩薩衆、わが名字を聞きて、すなはち不退転に至ることを得ずは、正覚を取らじ。)
第四十八願 得三法忍の願
設我得佛・他方國土・諸菩薩衆・聞我名字・不即得至・第一第二・第三法忍・於諸佛法・不能即得・不退轉者・不取正覺
(たとひわれ仏を得たらんに、他方国土の諸菩薩衆、わが名字を聞きて、すなはち第一、第二、第三法忍に至ることを得ず、諸仏の法において、すなはち不退転を得ることあたはずは、正覚を取らじ。)
参考文献
[2] 『佛事勤行 佛説淨土三部經 (第二十刷)』(浄土真宗本願寺派 教学振興委員会 2003年)
[3] 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2004年)
[4] 『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』(浄土真宗教学研究所 浄土真宗聖典編纂委員会 本願寺出版社 1996年)
[5] 『浄土真宗聖典 浄土三部経(現代語版)』(浄土真宗教学研究所浄土真宗聖典編纂委員会 本願寺出版社 1996年)
[6] 『本願の宗教』(金治 勇 百華宛 1993年)
[7] 『親鸞聖人の教え・問答集』(梯 實圓 大法輪閣 2010年)