浄土三部経
「浄土三部経」とは、阿弥陀仏とその浄土について説かれた
- 『仏説無量寿経(大経)』
- 『仏説観無量寿経(観経)』
- 『仏説阿弥陀経(小経)』
の3つの経典のことをいう。「三部経」「三経」ともいう。浄土真宗の正依の経典(正しく依りどころとする経典、教えの中心となる経典)である。
法然が選んだ「浄土三部経」
浄土往生のための正依の経典として「浄土三部経」を示したのは真宗七高僧第七祖の法然聖人である。法然は『選択本願念仏集』(『選択集』)の中で「正しく往生浄土を明かす教」として「浄土三部経」と天親菩薩(真宗七高僧第二祖)が著した『浄土論』を挙げた。
初めに正しく往生浄土を明かす教といふは、いはく三経一論これなり。「三経」とは、一には『無量寿経』、二には『観無量寿経』、三には『阿弥陀経』なり。「一論」とは、天親の『往生論』(浄土論)これなり。あるいはこの三経を指して浄土の三部経と号す。
(『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』P.1187より)
また、これに続く部分で「三部経」という名前には他の宗派にも例があるといい、その例を挙げている。
- 法華の三部
- 『無量義経』『法華経』『普賢観経』
- 大日の三部
- 『大日経』『金剛頂経』『蘇悉地経』
- 鎮護国家の三部
- 『法華経』『仁王経』『金光明経』
- 弥勒の三部
- 『上生経』『下生経』『成仏経』
そして「浄土三部経」を「弥陀の三部」とし「浄土宗(※)」の正依の経典とした。これにより「浄土宗(※)」が他の宗派と同じように独立した教えであることを示した。
いまはただこれ弥陀の三部なり。ゆゑに浄土の三部経と名づく。弥陀の三部はこれ浄土の正依経なり。
(『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』P.1187より)
- ※ 浄土宗
- ここでいう浄土宗は「阿弥陀仏の選択本願により救われていく往生浄土の教え」という意味であり、「法然を宗祖とする宗派」のことではない。
また、「正しく往生浄土を明かす教」について述べた後には「傍らに往生浄土を明かす教」として、聖道門の経典でありつつ往生浄土について明らかにした経と論を挙げている。
次に傍らに往生浄土を明かす教といふは、『華厳』・『法華』・『随求』・『尊勝』等のもろもろの往生浄土を明かす諸経これなり。また『起信論』・『宝性論』・『十住毘婆沙論』・『摂大乗論』等のもろもろの往生浄土を明かす諸論これなり。
(『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』P.1187-1188より)
このように往生浄土を明らかにする教えとしてさまざまな経・論があり、その中から法然は正依の経典として「浄土三部経」を選んだ。
親鸞による「浄土三部経」の見方
顕彰隠密
親鸞は『観無量寿経』と『阿弥陀経』には
- 顕らかな形で説かれている内容(顕説)
- 顕らかに説かれてはいないが釈尊が真に伝えたかった内容(隠彰)
この2つが説かれていると解釈した。この考え方を「顕彰隠密」という。詳しくは仏教知識「顕彰隠密」を参照のこと。
三経隠顕
親鸞は顕説と隠彰の2つの見方によって「浄土三部経」を解釈した。このことを「三経隠顕」という。親鸞は『無量寿経』に説かれる四十八願の中の生因三願(第十八願・第十九願・第二十願)と、「浄土三部経」のそれぞれを対応させた。
顕(顕説)の立場からいえば『無量寿経』は第十八願の他力念仏の法、『観無量寿経』は第十九願の自力諸行の法、『阿弥陀経』は第二十願の自力念仏の法の内容を広げて説かれた経典であるとした。一方、隠(隠彰)の立場からいえば『観無量寿経』『阿弥陀経』の本意は『無量寿経』と同じく第十八願の他力念仏の法を説くことにあるとした。これらの見方をそれぞれ「三経差別門」、「三経一致門」という。それぞれの経と願の対応は以下の表の通りになる。
顕説の見方 (三経差別門) |
隠彰の見方 (三経一致門) |
|
---|---|---|
無量寿経 | 第十八願 | 第十八願 |
観無量寿経 | 第十九願 | |
阿弥陀経 | 第二十願 |
仏教知識「四十八願」の「生因三願と「浄土三部経」」、仏教知識「生因三願」も参照のこと。
参考文献
[2] 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2004年)
[3] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[4] 『親鸞聖人の教え』(勧学寮 本願寺出版社 2017年)