無量寿経(仏説無量寿経)
成立
上下全二巻からなる浄土真宗の根本所依の経典。『大無量寿経』、『大経』、『大本』、『双巻経』などとも呼ばれる。梵語(サンスクリット)での原題は『スカーヴァティー・ヴィユーハ(極楽の荘厳)』。従来は曹魏の康僧鎧(生没年不詳・紀元三世紀ごろ)が漢訳したとされていたが、近年では東晋の仏陀跋陀羅(359-429)と劉宋の宝雲(375?-449)が紀元411年ごろに共訳したという説が有力である。
異訳に『大阿弥陀経』『平等覚経(※)』『如来会(※)』『荘厳経(※)』の四部が現存するが、他に七部の漢訳が存在したとされ、「五存七欠」と言われている。
※ それぞれ正式名は『仏説無量清浄平等覚経』『無量寿如来会』『仏説大乗無量寿荘厳経』という。
構成
序分(第一段~第三段)
通序にあたる「証信序」と別序にあたる「発起序」に分けられる。証信序においては、この経典が成立した「信」(如是)、「聞」(我聞)、「時」(一時)、「主」(仏)、「処」(王舎城耆闍崛山)、「衆」(大比丘衆)の六事が説かれる。続く発起序においては、仏弟子の阿難が釈尊に対して、その相好(すがた)がいつにもまして気高く清らかなこと(五徳瑞現)に対して質問をしたところ、釈尊は
「如来はこの上ない慈悲の心で迷いの世界をお哀れみになる。世にお出ましになるわけは、仏の教えを説き述べて人々を救い、まことの利益を恵みたいとお考えになるからである。」 (『浄土真宗聖典 浄土三部経(現代語版)』P.14 より)
と応え、今から説く教えが「出世本懐」の経であることを示した。
正宗分(第四段~第四六段)
まず、法蔵菩薩の発願(四十八願)と修行、そして阿弥陀如来として成仏した「弥陀成仏の因果」が説かれ、それを受けるかたちで阿弥陀如来としていまも衆生を救い続けている「衆生往生の因果」が説かれる。
次に釈尊は弥勒菩薩に向かって、浄土を求め穢土を厭う「浄穢欣厭」を説き、貪欲・瞋恚・愚痴の「三毒」と「五悪」を誡め、この教えを疑いなく信じることを勧めるために胎生と化生を判定した「胎化得失」を説く。この正宗分は全四十三段より構成される。
また、法蔵菩薩が師である世自在王仏を讃えた「讃仏偈」、法蔵菩薩の発願のあとに重ねて誓いを立てた「重誓偈」、釈尊が菩薩の往還と諸仏の讃嘆を説いた「往覲偈」の三つの偈文があり、「讃仏偈」と「重誓偈」は浄土真宗の日常の勤行に用いられることも多く、広く親しまれている。
流通分(第四七段~第四八段)
最後に釈尊はこの教えが間違いなく後世の人々に伝わり、普及されるように弥勒菩薩に一念とともに引き継ぎ(弥勒付属)、末法の世に聖道の法が滅んでもこの教えだけは人々を救いつづけると説いた。釈尊が説き終わると、世界はひかりに包まれ、大地は震動し、天より花が降りそそぐなか、この教えを聴いていた人々の歓喜の声で経典は終わる。
親鸞にとっての『無量寿経』
親鸞はその主著『顕浄土真実教行証文類』(教行信証)の教巻の始めに
「それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり」 「ここをもって、如来の本願を説きて、経の宗致とす。すなわち、仏の名号をもって、経の体とするなり。」 (『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』 P.135 より)
と書き、『無量寿経』こそが浄土の真実を説いた教えであるとした。そして、その教えの根本が「本願」であり、「名号」(南無阿弥陀仏)がそのはたらきとしてわたしたちに届いていることを示し、数多くの経典の中でも最も重要なものとしてとらえている。
また、正信偈においては
「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」(如来世に興出したまう所以は、唯弥陀の本願海を説かんとなり)
と、この『無量寿経』が阿弥陀如来の本願を説くための教えであり、釈尊の出世本懐の経典であると讃えている。
参考文献
[2] 『大無量寿経の現代的意義』(早島鏡正 本願寺出版社 1990年)
[3] 『大無量寿経を読む』(里村専精 彌生書房 1988年)
[4] 『浄土三部経の研究』(藤田宏達 岩波書店 2007年)
[5] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2014年)
[6] 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2009年)
[7] 『浄土真宗聖典 浄土三部経(現代語版)』(浄土真宗教学研究所浄土真宗聖典編纂委員会 本願寺出版社 1996年)