阿弥陀経(仏説阿弥陀経)
成立
一巻からなる。浄土真宗の根本経典「浄土三部経」と呼ばれる経典群の中の一つ。『小経』、『小本』、『護念経』、『四紙経』などとも呼ばれる。梵語(サンスクリット)での原題は『スカーヴァティー・ヴィユーハ(極楽の荘厳)』。『無量寿経』と同じ原題のため、『小スカーヴァティー・ヴィユーハ』と呼ぶこともある。亀茲国(新疆ウイグル自治区クチャ県)の西域僧である鳩摩羅什(344-413、350-409という説もある)が紀元402年ごろに訳したとされる。異訳に『称讃浄土仏摂受経』(『称讃浄土経』ともいう)が現存している。また、サンスクリット原典も早くから日本に伝えられ、天台宗の円仁 (794-864) や真言宗の宗叡(809-884)らによって悉曇本(サンスクリット原典)として紹介されているが、この大元となる原本はいまだにインドでは発見されていない。
釈尊が弟子に問われることなく、自ずから対告衆の舎利弗に語り出したとする「無問自説の経」の一つであり、釈尊がその生涯で自分の説法の結びの経典としたとする「一代結経」とも言われている。
構成
序分(第一段)
通常の経典に見られる発起序(別序)は、無問自説の経典であるために省略されており、証信序(通序)のみとなっている。証信序においては、この経典が成立した「信」(如是)、「聞」(我聞)、「時」(一時)、「主」(仏)、「処」(舍衛国祇樹給孤獨園)、「衆」(大比丘衆千二百五十人)の六事が説かれる。
正宗分
依正段(第二段~第四段)
極楽浄土の荘厳と阿弥陀仏の荘厳を讃嘆する段。浄土を極楽と名付け、そこにいる仏が「阿弥陀」と号することを説く。つぎに、その浄土を「極楽」と呼ぶいわれを説き、宝樹による荘厳、宝池による荘厳、天楽妙華の荘厳、化鳥説法の功徳、微風妙音の功徳、など浄土の様々な荘厳について順に説いていく。そして、阿弥陀仏の荘厳を光明無量・寿命無量と讃嘆し、それゆえに「阿弥陀」と名付けられ、十劫のむかしに成仏した仏であると明かす。
因果段(修因段)(第五段)
極楽浄土に往生するための因について説く。まず、このような浄土に生まれたい、という願いをもつことがもっとも大事であると説かれ、この浄土に往生するためには少ない善根や福徳では無理であるから、一心不乱に「名号を執持」することを勧める。そうすれば、いのちがおわるときに阿弥陀如来が来迎し、その利益においてその人は極楽浄土に往生するという「来迎往生」が説かれる。
六方段(証誠段)(第六段~第十三段)
東方、南方、西方、北方、下方、上方、の六方世界に存在する諸仏が阿弥陀如来の功徳を讃嘆し、浄土と称名念仏の教えを信じることを勧める。そして、その教えを信じる人は、現生において仏と等しい悟りを得ることができるが、それはなかなか信じることが難しい、と説く。
流通分(第十四段)
この経を聴いていた人たちはとても喜び、間違いなくこの教えを信じ受け取って、釈尊にお礼をして去って行ったことが描かれる。
親鸞にとっての『阿弥陀経』
親鸞は『顕浄土真実教行証文類』(教行信証)の化身土文類で、この阿弥陀経を、表面的には一心不乱に念仏を称える「自力の念仏」を勧めていると読むことができるが、釈尊の真意はすべてを如来に任せきる「他力の念仏」を勧めることにあるとし(顕彰隠密)、それが故に念仏の教えが「難信の法」であると解き明かした。そして、この経典の宗(かなめ)を方便化土に往生する「難思往生」であるとして、『無量寿経』における真実報土への往生である「難思議往生」とは区別し、この経典の全体を『無量寿経』における法蔵菩薩の誓願の第二十願(大悲の願)の成就文としてとらえている。
また、『浄土和讃』でも「弥陀経意」として五首の和讃を作成して、この経を讃えている。
参考文献
[2] 『浄土三部経のこころ』(梯實圓 中西智海 瓜生津隆真 自照社出版 2010年)
[3] 『浄土真宗聖典 浄土三部経(現代語版)』(浄土真宗教学研究所浄土真宗聖典編纂委員会 本願寺出版社 1996年)
[4] 『阿弥陀経に聞く』(藤場俊基 響流書房 2014年)
[5] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2014年)
[6] 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2009年)