観無量寿経(仏説観無量寿経)
成立
一巻からなる。浄土真宗の根本経典「浄土三部経」と呼ばれる経典の中の一つ。『無量寿仏観経』『十六観経』『観経』などとも呼ばれる。梵語(サンスクリット)による原典は見つかっていない。本願寺第22代鏡如(大谷光瑞, 1876-1948)が率いた大谷探検隊によってウイグル語訳の断片が発見されているが、漢訳からの翻訳であった。現存する漢訳は劉宋で活動した西域僧の畺良耶舎(382-443)が訳したもののみであり、本経典の成立の過程は明らかにはなっていない。 対告衆は後述する韋提希と弟子の阿難。
構成
経典の構成を考えるときには、一般的には三分科が用いられることが多いが、ここでは親鸞も『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)で引用した善導(613-618)の『観無量寿経疏』に依拠し、五分科を用いた。また、細かい分科も善導の解釈に拠っている。
序分
証信序
この経典の最初の一句。善導は「如是我聞」の一句にこの経典が真実であり、正しく信じるべきであることが説かれている、と解釈をした。
化前序
「一時佛」から「而爲上首」までの部分。善導はこの部分を「化前序」として、この『観無量寿経』が説かれる以前の釈尊の説法はすべて、この経典に導くための方便である、と解釈をしている。
発起序
いわゆる「王舎城の悲劇」が説かれている。
釈尊が王舎城(現在のインド・ビハール州のあたりに存在したマガダ国の首都。サンスクリット語ではラージャグリハ)の耆闍崛山に滞在していたとき、マガダ国の王頻婆娑羅(ビンビサーラ)は、提婆達多(デーヴァダッタ)の讒言にそそのかされたその子阿闍世によって宮殿に幽閉されていた。飲食物を絶たれた頻婆娑羅は、妻の韋提希(ヴァイデーヒー)が体に蜜を塗り、また葡萄の汁をさまざまな場所に隠して持ち込むことによって生きながらえていた。そして、釈尊は弟子の目犍連や富楼那を頻婆娑羅のもとに遣わし、日々仏法を説かせた。それによって頻婆娑羅は三週間の時を経ても「顔色和悦」(顔の血色は良く、なごやかで喜びに満ちた様子)であった。
そのことを不思議に思っていた阿闍世は、門番からの報告によって韋提希が食料を頻婆娑羅に差し入れていることを知り、激怒して韋提希を殺そうとする。しかし、重臣である月光らは「古来より父王を殺し王位を奪う王子はたくさんいたが、母を手にかけた王子はいない。そんなことをすれば刹利種(王族の家系)を汚すこととなる。聞くに堪えない所業で、まさに栴陀羅(※1)の所業である。」と阿闍世を戒める。その言葉に従い、阿闍世は母の殺害を思い留まるが、父と同じく宮殿の中に幽閉してしまう。
幽閉され悲嘆にくれた韋提希が釈尊に向かい「弟子を遣わしてほしい」と念じると、釈尊は自ら韋提希が幽閉されている部屋に現れた。驚いた韋提希は阿闍世を生んだことを後悔し、釈尊に向かってもっと清らかな世界を観せてほしいと懇願する。それに応えた釈尊は眉間より光を放ち、諸仏の建立した浄土を韋提希に観せた。韋提希はその中から阿弥陀仏の建立した浄土に往生したいと願い、そのための方法を説いてほしいと再び懇願する。釈尊はそれに微笑をもってこたえ、極楽浄土を観想する(思いえがく)ことによって、浄土往生への道を得ることを説き始める。
正宗分
阿弥陀仏の浄土を観想するための定善散善二種十六の観想の方法が説かれる。
定善十三観
定善とは心を一つにして、雑念を振り払い仏や浄土についての観想を行うことであり、以下の十三種類の観想が説かれる。
- 日想観
- 水想観
- 地想観
- 宝樹観
- 宝池観
- 宝楼観
- 華座観
- 像観
- 真身観
- 観世音菩薩観
- 大勢至菩薩観
- 普観
- 雑想観
この中での七番目に説かれた華座観では、韋提希の前に阿弥陀仏が現れる。また、九番目に説かれた真身観では、阿弥陀仏の光明は私たちの生きている世界すべてを照らし出し、その光明に触れる者は皆、仏となると説かれている。
散善三観
散善とは、定善の反語であり、心の中が散らかり乱れた状態でも行える観想の方法である。ここでは三つの観想がさらに三種類ずつに分けられ、計九種類の観想について説かれる(九品)。
上品(上輩生想) | 上生 |
中生 | |
下生 | |
中品(中輩生想) | 上生 |
中生 | |
下生 | |
下品(下輩生想) | 上生 |
中生 | |
下生 |
さらに、釈尊は上品に大乗仏教の善根(至誠心、深心、廻向発願心の三心を起こし、善い行いをして徳を積むこと)を宛て、中品上生と中品中生に小乗仏教(※2)の善根(五戒・八戒を護ること)を宛てた。また、中品下生には世俗の善根(世の中で良いことをして徳を積む)を宛てて、それぞれを行福、戒福、世福の三福とした。
善導は、下品はその三福のいずれも行えない者とし、それゆえに「称名念仏」の教えが説かれており、この経典の本当に伝えたいことは下品の者(とりわけ、下品下生の者)が称名念仏によって救われるという教説であると解き明かした。
得益分
釈尊の説法を聴いた韋提希は、浄土や阿弥陀仏の姿を観想し大いなるさとりをひらいたことが説かれる。
流通分
釈尊は阿難に対して「この阿弥陀仏の名前を聞くものは数限りない生死の罪を消し去ることができる」と説き、「無量寿仏(阿弥陀仏)の名前をたもて」と阿弥陀仏の念仏のみを阿難に付属する。
耆闍分
釈尊は宮殿から耆闍崛山に還り、阿難はそこに待ち構えていた人たちに、宮殿での釈尊の説法を聞かせる。そうすると、天の諸仏や竜、夜叉が大いに喜び、釈尊にお礼をして帰っていったことが説かれる。
親鸞にとっての『観無量寿経』
親鸞は『教行信証』の化身土文類で、この『観無量寿経』を、表面的には阿弥陀仏や浄土を観想することや諸々の善根を積むことによって浄土に往生する自力の教えを勧めていると読むこともできるが、釈尊の真意は下品に説かれている称名念仏を勧めることにあるとし(顕彰隠密)、定散二善を廃し念仏のみで往生できると解き明かした。また、この経典の宗を方便化土に往生する「双樹林下往生」(自力諸行往生)であるとして、『無量寿経』における真実報土への往生である「難思議往生」とは区別し、この経典の全体を『無量寿経』における法蔵菩薩の誓願の第十九願(至心廻向の願)の成就文としてとらえている。
また、『浄土和讃』でも「観経意」として九首の和讃を作成して、この経を讃えている。
語注
- ※1 栴陀羅
-
原文で「汚刹利種。臣不忍聞。是栴陀羅」となっている部分。
「刹利」とは梵語クシャトリアの音写で、王族や貴族を示す。「種」は血統や家系を意味する。「栴陀羅」とは梵語チャンダーラの音写であり、いわゆるカースト制から外れた身分外の被差別民を示す。古代インドにおいて栴陀羅(「旃陀羅」とも書く)は、汚れ穢れた人々として衣食住や職業、婚姻まで厳しく差別を受けてきた。ヒンドゥー教の『マヌ法典』によれば、栴陀羅は梵天ブラフマン、ヒンドゥー教の最高神の一人)より生まれた「ブラーフマナ」「クシャトリア」「ヴァイシヤ」「シュードラ」の四つの身分とは違い、人間以下の犬や豚と同じ存在であるとされた。釈尊はそのような差別社会にあって、生まれによる貴賤・尊卑といったものを否定し、一切のものの平等を説いた。インドにおいては1950年に制定された憲法によって、ようやくこの差別制度が法的には廃止されたが、いまもなお、結婚や就職などのさまざまな面で差別は根強く残っている。
『観無量寿経』のこの部分では、「母を殺す」という行為がクシャトリアの家系を汚し、チャンダーラの身分と同等になる行為として描かれている。つまり、クシャトリア(王侯貴族)は善(父母を敬う)を行い、チャンダーラ(被差別民)は悪(父母を殺す)を行なうという、差別的な誤った社会認識と身分意識がこの経典には反映されており、浄土真宗本願寺派の梯實圓は「明らかに誤謬」と指摘している(『聖典セミナー 浄土三部経Ⅱ 観無量寿経』P.52)。なお、大乗仏典にはこの『観無量寿経』だけでなく、さまざまな仏典において栴陀羅への蔑視や差別表現が見られる。
栴陀羅への蔑視は日本に経典がもたらされることによって、日本に存在した被差別民「穢多・非人」への蔑視と同一視されていく。以下、浄土真宗における例を挙げる。
「御門下ト号スル、アル一類ノナカニ、コノ法ヲモテ栴陀羅ヲ勧化スト云々。アマ(ツ)サヘ、コレガタメニ、アヒカタラフテ値遇出入スト云々。事実タラバ、ハナハダモ(ツ)テ不可思議ノ悪名ナリ。」
(『十三箇条掟書(十三箇条制禁)』(1346年)伝 本願寺第三代覚如
(『差別と真宗』P.36 より引用))「旃陀羅ハ梵語ナリ。(中略)日本ニテイヘバ穢多ト伝ヘル如ク常人ノ交際ノナラヌモノナリ」
(『浄土和讃已末記』 大谷派永臨寺住職 香月院深励(1749~1817)
(『宗教と部落差別 ―旃陀羅の考察―』P.164 より引用))「天竺ニハ旃陀羅種性ノ者ハ、人ヲ殺スガ業ナリ、日本デ申セバ穢多ノ類ヒナリ。」
(『浄土和讃講義』巻三 大谷派第十代講師 香樹院徳龍(1772~1858)
(『宗教と部落差別 ―旃陀羅の考察―』P.165 より引用))「旃陀羅 梵音チャンダーラ(Candala ※)、暴悪、屠者などゝ訳する。四種族の下に位した家無しの一族で、漁猟、屠殺(いぬころし)、守獄(らうばん)などを業とし、他の種族から極めて卑しめられたものである。穢多、非人といふほどの群(むれ)をいふ。」
(『浄土三部経講義』(柏原祐義 無我山房 1911初版)(『宗教と部落差別 ―旃陀羅の考察―』P.24 より引用)) - ※2 小乗仏教
- 部派仏教。小乗とは、サンスクリットで「劣った乗物」を意味する。当時の部派仏教は守旧的で煩瑣(こまごまとわずらわしいこと)な教学に終始していたとされる。これに批判的な新勢力が、部派仏教は自利(みずから利益を得ること)を図るだけであるとして「劣った乗物」であるとした。新勢力は、自らの教えを利他(他人を利益すること)の精神で大衆を救済する「すぐれた乗物」であり、大乗と称した。このように小乗とは、大乗と称した勢力からの貶称(みさげる呼称)であり、現在は、「小乗」という呼称を用いるべきではない。
参考文献
[2] 『聖典セミナー 浄土三部経Ⅱ 観無量寿経』(梯實圓 本願寺出版社 2012年)
[3] 『観無量寿経講話』(廣瀬杲 文栄堂書店 2001年)
[4] 『親鸞に聞く観無量寿経の意』(藤場俊基 サンガ伝道叢書 2016年)
[5] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2014年)
[6] 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2009年)
[7] 『宗教と部落差別 ―旃陀羅の考察―』(仲尾俊博 柏書房株式会社 1982年)
[8] 『差別と真宗』(仲尾俊博 仲尾孝誠 永田文昌堂 1994年)