釈尊

【しゃくそん】

誕生

釈尊しゃくそんは、紀元前624年~463年頃(諸説あり)、ネパール南部のルンビニー(現在ルンミディ村)で、コーサラ国の属国であるカピラヴァストゥ(カピラ城)の王である父シュッドーダナ(浄飯じょうぼんおう)と母マーヤー(摩耶まや夫人ぶにん)の間に誕生した。マーヤーが出産後まもなく亡くなったために、その妹のマハー・プラジャパティーが釈尊の養育をしたとされる。

姓はゴータマ、名はシッダールタであるが、「目覚めた人」(ブッダ=仏陀)であることから、ゴータマ・ブッダと呼ばれることが多い。「釈尊」とは異称であり、「釈迦しゃか牟尼むに世尊せそん」の略称で、釈迦族出身の聖者(牟尼)に師に対する尊称(世尊)を加えたものである。

青年期~出家へ

カピラヴァストゥは、コーサラ国の属国とはいえ、稲作を中心とした豊かな国であったと考えられている。王子であったシッダールタ(釈尊)は、王になるための学問も幼くして修め、武術も習得する一方で、王子として物質的・経済的に恵まれた生活を送っていた。しかし、シッダールタは物質的に満たされても心が満たされることはなく、やがてもの思いにふける日々が増えていった。このようなシッダールタの様子を見て、不安に思った父シュッドーダナは、シッダールタに住まいとして三つの宮殿を与え、きさきとしてヤショーダラー(しゅ)を迎えさせ、連日宮殿には多くの舞姫を集めて音楽を奏でさせたという。その後、シッダールタとヤショーダラーとの間に長男ラーフラ(羅睺羅らごら)が誕生した。シュッドーダナはこれでシッダールタがもの思いに耽ることも無くなると安心したものの、それとは逆に、シッダールタはより一層深く悩むようになっていった。

29歳の時、心安らかな道を求めるために、家族・地位・名誉を棄てて出家し沙門しゃもん(バラモンの権威を認めない修行者)となった。

苦行~ブッダ(目覚めた人)へ

沙門となったシッダールタは、マガダ国の都ラージャグリハ(王舎城おうしゃじょう)で、アーラーダ・カーラーマ、続いてウドラカ・ラーマプトラを修行のための師と選んだ。シッダールタは、アーラーダ・カーラーマから「所有するものは何もない」という瞑想めいそう境地きょうちを得て、ウドラカ・ラーマプトラから「想うこともなく想わないこともない」という瞑想の境地を得たが、瞑想の境地を得ることが最高の教えではないことに気づき、師たちのもとを去っていった。

その後、父がシッダールタのためにつかわしたのではないかと伝えられる五人の修行者とともに、過酷な苦行を6年間(一説には7年間)続けた。後年、「いかなる者でも、わたしが行ったようなはげしい苦行をした者はない」と自らを回想するほどで、極限まで食事と呼吸を制御することによって「すぐれた知見」を得ようとした。それは、体の骨や筋や血管がくっきりと浮かびあるほど過酷であり、仮死状態になったこともあると伝わっている。

しかし、これらの苦行によっては自らが求める「すぐれた知見」は得られないことに気づき、苦行と放逸ほういつという極端な立場にはとらわれない修行をはじめた。これまで苦行をともにした他の五人は、村で托鉢たくはつをして通常の食物をるシッダールタを見て「シッダールタは堕落し、贅沢になった」と失望し、シッダールタのもとから離れていった。まもなく、シッダールタはナイランジャナー川で沐浴もくよく後、村の娘スジャーターが供養したミルク粥を食べて、体力と気力を回復したと伝えられる。

そして近くのアシュヴァッタ樹のもとで深い瞑想に入った。やがて、「すぐれた知見」であるすべての法(真理)と完全な安らぎを感得してさとりを開き、釈迦牟尼世尊(釈尊)すなわちブッダ「目覚めた人」となった。これを成道じょうどうともいう。仏伝などによると、この成道に至る瞑想の間、多くの悪魔が様々な手段を用いて、さとりが開かれないように妨害をしたと伝えられている。これは、釈尊自身の迷いや欲望との葛藤を示していると考えることもできる。

初めての説法~伝道の旅へ

さとりを開いた釈尊は、その感得した法(真理)を人々に説くことをためらった。なぜならば、この法は常人が理解することは難しく、不可能ではないかと考えたからである。そこで、誰にもこの法を説かずに、ひとりこのさとりの境地を楽しもうと考えた。しかし仏伝などによると、インドで最高神(さいこうしん)と崇められていた梵天ぼんてんが釈尊に礼拝らいはいし、「このままでは世界が破滅するので、その法を人々に説いて下さい。」と懇願した。釈尊は断るものの、その懇願が三度にわたりされると、釈尊は人々にこの法を説くことを決意したと「梵天ぼんてん勧請かんじょう」の話として伝わっている。そして、釈尊が最初の法を説く聴衆として選んだのが、かつて苦行をともにした五人の修行者であった。彼らは、学問・宗教の中心地であるヴァーラーナシー(波羅奈はらなこく)の郊外のサールナートのムリガダーヴァ(鹿野苑ろくやおん)で釈尊と別れた後も苦行を続けていた。釈尊は、ここにおもむき五人に初めての説法(法を説く)をした。この初めての説法を初転しょてん法輪ぼうりんという。この時にどのような法を説いたかは正確にはわかっていない。後世の経典により「中道ちゅうどう」「八正道はっしょうどう」「四諦したい」などを説いたのではないかと伝えられているが、経典によりその説法の内容も異なる。いずれにせよ、この説法によって五人の修行者は釈尊に帰依きえし、釈尊のもとで出家しゅっけをしてこれが仏教教団の始まりとなった。釈尊は、マガダ国のラージャグリハ(王舎城)、コーサラ国のシラーヴァスティー(舎衛城しゃえじょう)、ヴァッジ国のヴァイシャ―リー(毘舎離びしゃり)などのガンジス河流域の中インド各地において伝道・教化きょうけをした。伝道の旅が始まると、バラモン教の司祭者しさいしゃであったカーシャパ(迦葉かしょう)三兄弟や、懐疑論かいぎろんを唱えるサンジャヤの弟子シャーリプトラ(舎利弗しゃりほつ)とマウドガリヤーヤナ(目連もくれん)などが釈尊に帰依し出家をし、またマガダ国の国王ビンビサーラ(頻婆娑羅びんばしゃら)も在俗の信者となった。これらをきっかけに次々と多くの人々が釈尊のもとで出家あるいは在俗の信者となり、教団は拡大していった。

ブッダ(目覚めた人)の死

80歳の頃、マガダ国のラージャグリハ(王舎城)のグリドラクータ(霊鷲山りょうじゅせん)にいた釈尊は、自身の寿命があとわずかであると感じ、最後の伝道の旅へと出発した。目的地は、生まれ故郷であるカピラヴァストゥを目指したものと考えられる。途中、ヴァッジ国のヴァイシャーリー(毘舎離びしゃり)に数か月滞在し、雨季のために定住したベールヴァ村において重い病をわずらったとされる。そして、自身の死が近いことを弟子たちに告げ、悲しむ弟子たちに自分が亡き後どのように修行し、またどのように教団を護持していくかを教えた。その一つとして、「自らを頼りとして、他人を頼りとせず、法を頼りとし、法以外のものを頼りとしてはならない」というものがある。釈尊亡き後、絶対的なリーダーを生みだすことによって正しい法がゆがめられ、その結果、やがて教団も滅び法も伝わらなくなるといういましめの言葉でもあった。これは、教団は人によって支配されるものではなく、法(真理)によって支配されるべきものであるという教えでもあり、釈尊が実子ラーフラ(羅睺羅らごら)はもとより、その他の高弟を後継者に指名しなかったことでも実践された。

その後、一時的に体調が回復した釈尊は、旅を再開しバンダ村を訪れたが、この村の鍛冶かじ工チュンダより供養された食物にあたり、重篤じゅうとくな状態におちいってしまった。しかし、釈尊は最後の力を振り絞り、再び移動を始めた。クシナガラまで着いた時、自らの死期を感じた釈尊は、二本のサーラ樹(沙羅さら双樹そうじゅ)の間を自らの最期の地と定め、頭を北に右脇を下に向け横たわった。釈尊は、アーナンダ(阿難あなん)ら弟子たちが見守る中、息を引き取った。目覚めた人(仏陀)の死は、その死によってすべてのものから完全に解放されたことを意味し、これを入滅にゅうめつともいう。「もろもろの事象じしょうは過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい。」これが釈尊最後の言葉と伝えられている。

釈尊入滅後まもなく弟子たちが集まり、経(教法きょうぼう)とりつ(戒律)を互いの記憶を確認しながら合議の上でまとめられた(第一だいいち結集けつじゅう)。この後しばらく、まとめられたものを記憶暗唱することによって教えは受け継がれ、文字化されたのは入滅後数百年たってからとされる。これらの教えがそれぞれどのような時期に説かれたのかは、歴史的にはわかっていない。しかし、どのような時においても、その時の聴衆の悩みに応じた教えをそれぞれにやさしく説いたことは疑いようのない事実である。

参考文献

[1] 『岩波 仏教辞典 第二版』(岩波書店 2002年)
[2] 『ゴータマ・ブッダ 上<普及版>』(中村元 春秋社 2012年)
[3] 『ゴータマ・ブッダ 中<普及版>』(中村元 春秋社 2012年)
[4] 『ゴータマ・ブッダ 下<普及版>』(中村元 春秋社 2012年)
[5] 『ブッダ その思想と生涯』(前田專學 春秋社 2012年)
[6] 『ブッダ 最期のことば』(佐々木閑 NHK出版 2016年)

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