托鉢
出家したものが鉢を携えて町や村を歩き、食を乞いもとめ(乞食)、在家のものから飲食物の施しである施食を受けること。中国にもこれが伝わり、托鉢と呼ばれるようになった。乞食の原語はサンスクリット(梵語)で、ピンダ・パータである。ピンダとは球形を意味し、米などで作った団子を指すが、転じて一般の食物を意味するようになった。パータとは落ちることを意味する。このことからピンダ・パータとは食物が鉢の中に落下することを意味する。
釈尊在世の時は、既に他の宗教において、出家したものがこの托鉢(乞食)によって、生活を維持することが見受けられ、仏教教団もこれを取り入れたものと考えられる。戒律では、この托鉢についても詳しく定められており、午前中に托鉢をして食事を済ませ、午後からは、ジュースなどの飲み物以外は口にしてはならないことや、拾った食物など在家信者から施食されたもの以外も口にしてはならないことが定められていた。また、托鉢とは、生きるために必要最低限なその日の食事のみを乞うことであって、先々の食物(米などの穀物や日持ちのするものなど)を蓄えることも許されてはいなかった。初期仏教教団のすがたが垣間見える『テーラガーター』(釈尊在世時の弟子の詩)の中で、アジナ長老の偈頌(詩)には、
一三〇 この世で食物や飲料を[多く]所有している人は、たとい悪いことを行っていても、かれは愚かな人びとから尊敬される
(『仏弟子の生涯 上<普及版>』P.329より)
とあり、ここからは食物の「所有」が愚かな行為とされていたことが窺える。
釈尊亡き後に、教団の中でさまざまに戒律の解釈が分かれ、托鉢についても「食物を蓄えても良い」「食物の代わりに金銭を受け取っても良い」などという解釈も生じて、これら解釈の相違が教団分裂の一要因になったとも指摘されている。
参考文献
[2] 『スタディーズ 仏教』(平川彰 春秋社 2018年)
[3] 『仏教語源散策』(中村元 東京書籍 1998年)
[4] 『仏弟子の生涯 上<普及版>』(中村元 春秋社 2012年)