本願の意味には因本の願と根本の願の2つがあるといわれる。それぞれについて解説する。
因本の願
本願(因本の願)
梵語プールヴァ・プラニダーナの意訳。過去に立てられた誓願(プラニダーナ)の意。宿願ともいわれる。
仏が因位の菩薩であったときにおこした願いということである。この願いには「これが完成しなければ私は仏には成らない」という誓いが伴う。このことから誓願ともいわれる。
この因本の願には総願と別願とがある。これについては仏教知識「願」を参照のこと。
根本の願
本願(根本の願)
本願の「本」を「根本」という意味で捉え、衆生救済のための根本となる願という意味で第十八願を本願とする。浄土真宗では主にこちらの意味で使われる。
『仏説無量寿経』では、阿弥陀如来の因位のすがたである法蔵菩薩が師である世自在王仏の前で四十八願を述べたことが説かれている(仏教知識「法蔵菩薩」参照)。なおこの四十八願は阿弥陀仏の別願にあたる。
法然と本願
弥陀如来、余行をもって往生の本願となさず、ただ念仏をもって往生の本願となしたまへる文。
(『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』P.1201より)
法然は『選択本願念仏集』「本願章」の冒頭でこのように述べた後、『仏説無量寿経』から第十八願文を引用した。これにより第十八願が四十八願の中で最も重要な願であることを示し、これを本願と表した。この場合最も大事な第十八願を根本の願とし、その他の47個の願を第十八願を開いた枝末の願とみる。これについては仏教知識「四十八願」の「法然の解釈」も参照のこと。
親鸞と本願
親鸞は法然の考えを承けて第十八願を最も重要な願とし、さらにその中身を5つの願に開いて示した。これについては仏教知識「四十八願」の「親鸞の解釈」を参照のこと。
しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。
(『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』P.472より)
ここにあるように親鸞は『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)「後序」で、自身が自力の行を捨てて阿弥陀仏の本願に帰依したことを述べた。
参考文献
[1] 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2004年)
[2] 『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』(浄土真宗教学研究所 浄土真宗聖典編纂委員会 本願寺出版社 1996年)
[3] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[4] 『岩波 仏教辞典 第二版』(岩波書店 2002年)
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1175年、黒谷の経蔵で善導の『観経疏』の一文により専修念仏に帰した。
まもなく比叡山を下って東山吉水に移り、専修念仏の教えをひろめた。
念仏を禁止とする承元(じょうげん)の法難(ほうなん)により、1207年に土佐国に流罪(実際は讃岐国に)となる。
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