法蔵菩薩
法蔵菩薩
梵語(サンスクリット)ダルマーカラ (Dharmākara) の意訳。阿弥陀仏がさとりをひらく前、願を建てて行を修めていたときの名であり、因位の名が法蔵菩薩、果位の名が阿弥陀仏である。
『仏説無量寿経』に説かれる法蔵菩薩
『仏説無量寿経』の「正宗分」の中で、釈尊が阿難に法蔵菩薩に関する話を説いている。
これは『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』 でいうと P.9 - P.26 の「法蔵発願」「法蔵修行」と分類された箇所にあたる。「法蔵発願」の項目はさらに細かく「五十三仏」「讃仏偈」「思惟摂取」「四十八願」「重誓偈」に分けられる。以下、この流れに沿って簡単に解説する。
法蔵発願
五十三仏
はるか昔に錠光という名の仏がお出ましになり、人々を導きさとりを得させて、世を去られた。続いて五十二の仏が次々にお出ましになり、世を去っていかれた。その次にお出ましになったのが世自在王仏である。
讃仏偈
あるとき、ある国王が世自在王仏の教えを聞いてさとりを求める心を起した。国王は地位を捨てて修行者となり、法蔵と名乗るようになった。
法蔵菩薩は世自在王仏の徳をほめたたえた。この部分がよく勤行に用いられる 「讃仏偈」にあたる。
思惟摂取
法蔵菩薩は世自在王仏に自らがさとりを求める心を起したことを話し、教えを請う。
それを承けて世自在王仏は教えを説き、さまざまな仏の国土の様子を法蔵菩薩に見せた。それを見た法蔵菩薩はこの上なくすぐれた願を起した。そして五劫といわれる長い時間思いをめぐらせて、それを実現するための行を選び取った。
四十八願
法蔵菩薩は、自らが起した願について世自在王仏に述べる。ここで述べられるのが四十八願である。
重誓偈
四十八願を述べ終わった法蔵菩薩は、その要点を重ねて誓った。この部分がよく勤行に用いられる「重誓偈」にあたる。
法蔵修行
願を建てた後、法蔵菩薩は兆載永劫(計り知れない年月)の限りない修行に励み、功徳を積み重ねた。そして願を成就し、さとりをひらいて阿弥陀仏となった。
阿難の問いかけ
続いて『仏説無量寿経』では阿弥陀仏とその浄土に関する話が説かれていく。阿難の「今も阿弥陀仏はおられるのですか」という問いかけに対し、釈尊は次のように答えている。
法蔵菩薩、いますでに成仏して、現に西方にまします。
(『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』 P.28 より)
成仏よりこのかた、おほよそ十劫を歴たまへり。
(『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』 P.28 より)
法蔵菩薩と阿弥陀仏の関係
先に述べたように、『仏説無量寿経』では法蔵菩薩がさとりをひらいてから十劫の時間が経ったと説かれている。そのことを承け、親鸞は『浄土和讃』の「讃阿弥陀仏偈和讃」で次のように書いている。
弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまへり
(『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』 P.557 より)
阿弥陀仏は、仏となってからすでに十劫の時を経ておられる。
(『三帖和讃(現代語版)』 P.7 より、現代語訳)
しかしその一方で、親鸞はこのような和讃も書いている(『浄土和讃』の「大経讃」)。
弥陀成仏のこのかたは いまに十劫とときたれど
塵点久遠劫よりも ひさしき仏とみえたまふ
(『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』 P.566 より)
阿弥陀仏が仏となってから、すでに十劫の時を経ていると説かれているが、 果てしなく遠い過去よりも、さらに久しい仏でいらっしゃる。
(『三帖和讃(現代語版)』 P.35 より、現代語訳)
これは、阿弥陀仏は十劫という有限の時間ではなく無限の過去から既に阿弥陀仏であり、その阿弥陀仏が衆生を救うために法蔵菩薩という形をとって現れてくださったという見方である。
参考文献
[2] 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2004年)
[3] 『浄土真宗聖典 三帖和讃(現代語版)』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2016年)
[4] 『聖典読解シリーズ5 正信偈』(内藤知康 法蔵館 2017年)
[5] 『浄土三部経と七祖の教え』(勧学寮 本願寺出版社 2008年)
[6] 『永遠と今 浄土和讃を読む 上』(大峯顯 本願寺出版社 2013年)