菩薩
梵語(サンスクリット)ボーディサットヴァ (bodhisattva) の音訳である菩提薩埵を略したもの。ボーディは菩提(さとりの智慧)、サットヴァは薩埵(衆生)。菩提を得た者が仏であり、それを目指す衆生が菩薩である。

初期にはさとりを得る前の釈尊を指す言葉であった。大乗仏教ではさとりを求めて修行する者全てを指すようになった。
また、観世音菩薩、大勢至菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩など、すでに高い境地に達しており衆生の救済のためにはたらき続ける大菩薩の存在も説かれるようになった。
因位と果位
因位・果位 いんに・かい
因位は<いんい>とも読む. 仏道修行の過程において,まだ修行中の状態を<因位>,修行を完成させた状態を<果位>という.
(『岩波 仏教辞典 第二版』 P.63 より)
ここに引用したように、因位の菩薩が仏道を歩み修行を完成させることによって果位の仏になる。 その一方、すでに仏となったものが衆生の救済のために因位のすがたを示したものが菩薩であるとする見方もある。
因位から果位までの階梯
菩薩が仏になるまでの段階として『菩薩瓔珞本業経』に説かれる五十二位説がよく用いられる。親鸞の『教行信証』の中にも『菩薩瓔珞本業経』について触れている箇所が幾つかある(後に引用ヶ所を幾つか示す)。
この五十二段階は下から順に十信、十住、十行、十回向、十地、等覚、妙覚となっている。等覚は仏の一歩手前であり、妙覚は仏のことである。
ただし、この経自体には十信は階位とはみなされておらず、等覚の位は無垢地と名づけられている。
なお一般には十地位の初地(第41位)以上を聖位、十回向以下を凡位とし、凡位の中でも十住位・十行位・十回向位を内凡位(三賢位)、十信位を外凡位とする(関連:仏教知識「帰三宝偈」の「3行目~7行目1-2句」)。これを以下に図示する。
『教行信証』では善導大師の『般舟讃』が引用されており、その中で『菩薩瓔珞本業経』について触れられている。
またいはく(般舟讃 七一八)、「『瓔珞経』のなかには漸教を説けり。 万劫に功を修して不退を証す。 『観経』・『弥陀経』等の説は、すなはちこれ頓教なり、菩提蔵なり」と。
(『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』 P.198 より)
また別の箇所では同様に道綽禅師の『安楽集』が引用されている。
ここをもつて玄中寺の綽和尚(道綽)のいはく(安楽集・下 二六〇)、 「(前略)『菩薩瓔珞経』によりて、つぶさに入道行位を弁ずるに、法爾なるがゆゑに難行道と名づく」と。
(『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』 P.415 より)
参考文献
[2] 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2004年)
[3] 『岩波 仏教辞典 第二版』(岩波書店 2002年)