顕浄土真実教行証文類
概要
浄土真宗の宗祖である親鸞の主著。『教行信証』『教行証文類』『広文類』『本典』などともいう。浄土真宗の教義体系が示されており、立教開宗の根本聖典といえる。
全6巻から成り、漢文で書かれている。「文類」とあるように様々な書物からの引用が行われている。
書かれた正確な年はわかっていないが、1224年(元仁元)、親鸞が52歳の頃に書き始められ晩年に至るまで加筆・推敲が行われたと考えられる。
親鸞がこの本を著した目的としては恩師である法然の教えを「浄土真宗」として体系化しその真意を明らかにすること、また自らが法然の教えを正しく受け継いだ者であるということを示すということが挙げられる。
この背景には高弁(1173-1232。華厳宗中興の祖。明恵ともいう)の『摧邪輪』など、法然の教えに対する批判があった。これらの批判に対抗するために、法然の真意を明らかにしていく必要があったと考えられる。
現存する真蹟本(筆跡より、親鸞本人が書いたと認められる本)が1冊あり、これは現在真宗大谷派(東本願寺)が所蔵している。坂東報恩寺が所蔵していたことから「報恩寺本」「坂東本」とも呼ばれている。また、国宝に指定されている。そのほか古い時代に書き写されたものとしては以下のものが伝えられている。
- 「鎌倉時代書写本」(清書本)(浄土真宗本願寺派が所蔵)
- 「真仏書写本」(高田本)(真宗高田派専修寺が所蔵)
題号
『顕浄土真実教行証文類』の文字列を分解して見ていくと以下のようになる。
- 「顕」とは、あきらかにするという意味である。
- 「浄土」とは、浄土真宗の教えのことを指している。
- 「真実」と冠されるのは真実の教えということである。
- 「教行証」は釈尊の教え、称名念仏の行、さとり(証)のこと。
- 「文類」とは様々な書物を集めたということ。本書では多数の引用が行われている。
構成
全6巻から構成されている。 その他、第一巻の前に「総序」、第三巻の前に「別序」があり、第六巻の最後の部分は「後序」と呼ばれる。
通称 | |
顕浄土真実教行証文類 序 | 総序 |
顕浄土真実教行証文類 一 | 教文類、教巻 |
顕浄土真実行文類 二 | 行文類、行巻 |
顕浄土真実信文類 序 | 別序 |
顕浄土真実信文類 三 | 信文類、信巻 |
顕浄土真実証文類 四 | 証文類、証巻 |
顕浄土真仏土文類 五 | 真仏土文類、真仏土巻 |
顕浄土方便化身土文類 六 | 化身土文類、化身土巻 最後の方に後序 |
また「教巻」「行巻」「信巻」「証巻」「真仏土巻」の五巻は真実の巻、「化身土巻」の一巻は方便の巻となっている。
それぞれの巻の冒頭にはいくつかの単語が書かれており、これは「標挙の文」と呼ばれる。各巻の標挙の文を以下に挙げる。()内の願の番号は筆者による追記である。
原文は漢文であり以下の表記とは異なるため、「鎌倉時代書写本」(清書本)の縮刷本をスキャンした画像も掲載する。なお「鎌倉時代書写本」では「化身土巻」の標挙が欠落している。その一方で「坂東本」では「教巻」の標挙(を含む冒頭部分)が欠落している。
教巻(画像)
大無量寿経 真実の教 浄土真宗
行巻(画像)
諸仏称名の願(第十七願) 浄土真実の行 選択本願の行
信巻(画像)
至心信楽の願(第十八願) 正定聚の機
証巻(画像)
必至滅度の願(第十一願) 難思議往生
真仏土巻(画像)
光明無量の願(第十二願) 寿命無量の願(第十三願)
化身土巻(画像)
無量寿仏観経の意
至心発願の願(第十九願) 邪定聚の機 双樹林下往生
阿弥陀経の意なり
至心回向の願(第二十願) 不定聚の機 難思往生
各巻の概要
総序
大きく分けて3つの内容が述べられる。まず、浄土真宗の教えはどのようなものでも速やかにさとりに至ることのできる教えであり、釈尊の本意にかなった真実の教えであるということが述べられる。
次に、この真実の教えにしたがうように勧められ、疑いを持たないように誡められる。
そして、親鸞自身の「遇いがたい教えに遇えた」という慶びが述べられ、この教えをたたえるために本書を著したということが述べられる。
教巻
まず浄土真宗の「往相回向」と「還相回向」について次のように述べられる。
- 阿弥陀如来より「往相」と「還相」の2つのはたらきが回向される(与えられる)
- 往相として回向された真実の「教」と「行」と「信」と「証」がある
往相回向とは衆生がこの迷いの世界から浄土へと往生し、仏となることをいう。還相回向とは仏になった後、この迷いの世界へと還り、衆生を救済する活動のことをいう。
その後、標挙の文に「大無量寿経」「真実の教」とあるように、釈尊の説いた『無量寿経』が出世本懐の経であり真実の教えであることが示される。『無量寿経』の主旨は阿弥陀仏の本願を説くことであり、この経の本質は阿弥陀仏の名号であると述べられる。
行巻
往相回向の中にある真実の行(大行)について述べられる。大行とは南無阿弥陀仏の名号を称えることであり、これが衆生を往生成仏させる法であるということが示される。
ここで注意すべきは、衆生が名号を称える行為を指して大行というのではなく、 そうさせている仏の力、すなわち南無阿弥陀仏の名号が大行だということである。 また名号そのものが大行ということでもなく、これは常にはたらいており、衆生の信心・称名となって現れるものである。
この巻の最後には『正信念仏偈』が書かれている。
別序
「信巻」の冒頭に置かれた序文である。真実の信心を明らかにし誤った教えを正すという「信巻」を著した意図が示されている。
信巻
往相回向の中にある真実の信(大信)について述べられる。大信とは第十八願に誓われた信心であると述べられ、三一問答によってそれが示される。
三一問答とは第十八願の至心・信楽・欲生の三心が信楽の一心におさまることを明らかにしたものである。三心それぞれの文字があらわす意味から説明される字訓釈と、三心それぞれの内容を示して説明される法義釈が示される。そして、三心には疑いが混じっていないから真実の信心であるということが述べられ、この信心が衆生の往生成仏の因となることが示される(信心正因)。
また、第十八願の抑止門を取り上げて悪人正機について述べられる。
証巻
真実の証(さとり)と還相回向について述べられる。真実の証とは、真実の行と信を因として得られる果である。これは標挙の文にある「必至滅度の願(第十一願)」に誓われている。現生において、衆生が仏より回向された行と信を得て正定聚(浄土往生が正しく定まった位)を得る。そして、必ず浄土に至って滅度を得る。
また、滅度について様々な言葉で言い換えられた後に「一如」と表現され、阿弥陀如来のさとりも衆生のさとりも同じであることが述べられる。
そして、浄土真宗の「教」と「行」と「信」と「証」はすべて阿弥陀如来より回向された利益であり、往生成仏の因も果も清らかなものであると述べられ、往相回向についての話が終わる。
続けて還相回向について述べられる。これも往相回向と同じく阿弥陀如来より回向されたはたらきであり、「必至補処の願(一生補処の願、還相回向の願)(第二十二願)」に誓われている。これについては曇鸞大師の『往生論註』を参照するようにいわれる。
真仏土巻
真仏と真土、つまり阿弥陀仏の徳と阿弥陀仏が作られた浄土について述べられる。ここで「仏土」に「真」をつけて「真仏土」というのは、次の第六巻(化身土文類)で述べられる仮の仏土との区別を示すためである。
ここでは真仏土について2つの見方が示される。
- 往相回向の結果(証)として衆生がさとりをひらく場所である
- 阿弥陀仏の自らのさとりの世界であり、往相・還相の二回向と教・行・信・証の四法はここから展開されている
つまり真仏土とは阿弥陀仏のさとりの世界であり、衆生のさとる世界でもある。凡夫であっても阿弥陀仏と同じさとりをひらくことができる。
また、最後の部分では真実と方便について述べられる。阿弥陀仏の願には真実の願と方便の願があり、成就された仏土にも真実の仏土と方便の仏土がある。真実の願である第十八願を因として、真実の仏土が成就される。方便の仏土については次の第六巻で述べられる。
化身土巻
前五巻では真実の教えについて述べられたが、この巻では方便の教えと仏教以外の教えについて述べられる。ここでは、方便の教えは仏の本意ではなく捨てるべきものとして示される。真実でない教えを示すことによって真実の教えがあらわされる。
まず化身・化土について述べられる。真実でない教えにしたがうものは、真実の浄土に生まれるがその真実のすがたを見ることができず、仮のすがたしか見ることができない。これを化土という。
なお、化身・化土について述べられるのは冒頭の短い部分のみであり、この巻では以下の2種類の「真実でない教え」について大半のページが割かれている。
- 仏教以外の教え。「邪偽の教え」「外道」といわれる。
- 仏教の中の自力の教え。「権仮方便の教え」ともいわれる。真実の教えに引き入れるために仮に説かれた教えということである。
また、「浄土三部経」の中にも真実の教えが説かれる『仏説無量寿経』と方便の教えが説かれる『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』があるとし、それぞれについて『仏説無量寿経』の中に説かれる「第十八願」「第十九願」「第二十願」に対応させて述べられる。『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』については、表面的には真実でない教えが説かれているように見えるが、結局は『仏説無量寿経』と同じ真実の教えが説かれており、それがこれらの経を説いた仏の本意であるということが示される。
後序
「化身土巻」の最後の部分は後序と呼ばれている。ここでは親鸞が自分自身の体験したことについて述べられている。親鸞が自分自身のことについて書いた文章は少ないため、これは貴重な記述であるといえる。
- 法然の専修念仏教団が弾圧を受けた承元の法難について、自身を含む数名が僧籍を剥奪され流罪や死罪に処されたこと
- 自身が自力の行を捨てて本願に帰依し、法然に入門したこと
- 法然より『選択本願念仏集』と真影の書写を許されたこと
このように述べられた後、仏への恩、師への恩に報ずるために本書を著したということが述べられる。 そして最後には、すべての者はこの教えを仰いで信じ敬うべきであると述べられている。
その他
親鸞の著書の中に『浄土文類聚鈔』というものがある。 これは『教行信証』と同じく浄土真宗の要点を示した内容となっており、 『教行信証』が『広文類』と呼ばれるのに対し『略文類』『略典』とも呼ばれる。
参考文献
[2] 『聖典セミナー 教行信証 教行の巻』(梯實圓 本願寺出版社 2004年)
[3] 『顕浄土真実教行証文類(上) 現代語訳付き』(本願寺出版社 2011年)
[4] 『顕浄土真実教行証文類(下) 現代語訳付き 浅井成海 解説』(本願寺出版社 2011年)
[5] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[6] 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2004年)
[7] 『『教行信証』の研究 第一巻 『顕浄土真実教行証文類』解説論集』(浄土真宗本願寺派宗務所 2012年)
[8] 『『教行信証』の研究 第三巻 本願寺蔵 顕浄土真実教行証文類 縮刷本 上』(浄土真宗本願寺派宗務所 2012年)
[9] 『『教行信証』の研究 第四巻 本願寺蔵 顕浄土真実教行証文類 縮刷本 下』(浄土真宗本願寺派宗務所 2012年)
[10] 『浄土真宗聖典全書(二) 宗祖篇 上』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2011年)
[11] 『増補 親鸞聖人眞蹟集成 第一巻』(法蔵館 2005年)
[12] 『増補 親鸞聖人眞蹟集成 第二巻』(法蔵館 2005年)