正信念仏偈

【しょうしんねんぶつげ】
[宗祖] [書物] [勤行] [教義]
by 梯 良彦 (順照寺)
2017/12/26

「正信念仏偈」とは

浄土真宗の宗祖親鸞撰述せんじゅつの『けん浄土じょうど真実しんじつ教行証きょうぎょうしょう文類もんるい』の行巻ぎょうかん末尾にある七言一二〇句の。略して「正信偈」。浄土真宗の教義を簡潔に讃歌として示したもの。

「正信念仏偈」右記(直前の所)の「偈前げぜんもん」には、この偈を書き記す意図を阿弥陀仏・釈尊・七高僧の恩に報いるためとし、

(原文) 「しかれば大聖(釈尊)の真言に帰し、大祖(七高僧)の解釈に閲して、仏恩の深遠なるを信知して、『正信念仏偈』を作りていわく」 (『浄土真宗聖典 -註釈版-』より)

(現代語訳) 「そこで、釈尊のまことの教えにしたがい、また浄土の祖師方の書かれたものを拝読して、仏の恩の深いことを信じ喜んで、次のように『正信念仏偈』をつくった。」) (『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』より)

として本文へと続く。本文は大きく分けて、依経えきょう分(『無量寿むりょうじゅきょう』に依る)と依釈えしゃく分(七高僧の解釈に依る)の2つの内容からなる。

依経分

まず冒頭2句で親鸞の信仰告白ともいえる阿弥陀仏への帰敬ききょう帰依きえ敬礼きょうらい)を表した後、依経分へと入り、『無量寿経』に明らかにされている、本願を信じ念仏を正信することのすばらしさを述べている。その内容は、はるか昔に法蔵ほうぞう菩薩ぼさつがすべての衆生しゅじょう(人々)を救わんと願いをこし、今すでに阿弥陀仏となり、すべての衆生が仏の利益りやく(往生浄土)の光をこうむっていること、そして、釈尊がこの世に生まれてきたのは、衆生に阿弥陀仏の本願を説かんがためであることを明らかにしている。最後に、『無量寿経』すなわち念仏の教えを信じることはとても難しいことであるが、それは自らの愚かな姿に気付かないためであると、他力(阿弥陀仏の力)を疑うことをいましめている。

依釈分

次に依釈分では、この念仏の教えを釈尊より正しく受け継ぎ伝えた七人の高僧(七高僧)の教えを記し、その徳を讃えている。

七高僧とは

  • 印度(インド)
    • 龍樹りゅうじゅ天親てんじん
  • 中夏ちゅうか(中国)
    • 曇鸞どんらん道綽どうしゃく善導ぜんどう
  • 日域じちいき(日本)
    • 源信げんしん源空げんくう法然ほうねん

である。

最初に七高僧の総論を述べ、続いて各論、最後に

(原文) 「弘経の大士・宗士等、無辺の極濁悪を拯済したまふ。道俗時衆ともに同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。」 (『浄土真宗聖典 -註釈版-』より)

(現代語訳) 「浄土の教えを広めてくださった祖師方は、数限りない五濁の世の衆生をみなお導きになる。出家のものも在家のものも今の世の人々はみなともに、ただこの高僧方の教えを仰いで信じるがよい。」 (『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』より)

と信心をすすめて結びとしている。

後に本願寺第8代蓮如れんにょは、「正信念仏偈」に念仏を加え「和讃わさん」と共に読誦どくじゅすることを日常の勤行ごんぎょうに制定し、1473年(文明5)に「正信念仏偈」「和讃」を四じょうにして開版かいはんする。

尚、「正信念仏偈」と同じ意趣ではあるが若干表現を異にするものとして、親鸞撰述の『浄土文類もんるい聚鈔じゅしょう』の「念仏正信偈」がある。

参考文献

[1] 『浄土真宗聖典 -註釈版-』(本願寺出版社 1996年)
[2] 『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』(本願寺出版社 2000年)

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