往相回向・還相回向
概要
往相と還相には宗派によりさまざまな捉え方があるが、ここでは浄土真宗における往相回向と還相回向について述べる。
衆生が命終わって浄土へ往生し、成仏することを往相という。衆生が仏と成った後に浄土から迷いの世界(この世界)に還ってきて、他の人々を救済するべく活動することを還相という。
これらは阿弥陀仏が本願力によって衆生に回向する(差し向ける、与える)はたらきであり、これらのはたらきを回向することをそれぞれ往相回向・還相回向という。二つを合わせて往還二回向ともいう。
つまり、阿弥陀仏は衆生を往生成仏させるだけでなく、その後に他の人々を救う活動までも行えるようにしてくださる。
阿弥陀仏の本願力回向
宗祖親鸞は『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)の「教文類」で次のように述べた。
つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。 (『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』P.135より)
これは浄土真宗の大綱(根本的な事柄)を示す文といわれる。ここに往相・還相の二種の回向が示される。また、『浄土文類聚抄』で次のように述べた。
しかるに本願力の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。 (『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』P.478より)
ここに示されるように、阿弥陀仏の本願力回向に往相回向・還相回向の2つの側面があるとした。『教行信証』「行文類」の「正信念仏偈」にも
往還の回向は他力による。 (『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』P.206より)
と、往相・還相の回向が他力(本願力)によるものだと述べている。他力と本願力はどちらも阿弥陀仏のはたらきである(仏教知識「他力」も参照のこと)。
本願力回向の意味
本願は第十八願、すなわち衆生に阿弥陀仏の救いを信じさせて南無阿弥陀仏を称えさせて浄土に往生させるという願いである(仏教知識「四十八願」、「本願」参照)。本願力は、衆生に信じさせ南無阿弥陀仏を称えさせ往生させるはたらきである。
回向については親鸞が『教行信証』「信文類」の中で、曇鸞(※1)の『往生論註』(※2)の文を引用している。
- ※1 曇鸞
- 真宗七高僧第三祖、曇鸞大師。
- ※2 往生論註
- 正式名は『無量寿経優婆提舎願生偈註』。略して『往生論註』または『浄土論註』という。
おほよそ〈回向〉の名義を釈せば、いはく、おのれが所集の一切の功徳をもって一切衆生に施与したまひて、ともに仏道に向かへしめたまふなり (『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』P.247より)
【現代語訳】
総じて、回向という言葉の意味を解釈すると、阿弥陀仏が因位の菩薩のときに自ら積み重ねたあらゆる功徳をすべての衆生に施して、みなともにさとりに向かわせてくださることである (顕浄土真実教行証文類(上) 現代語訳付き P.395より)
『一念多念文意』では
「回向」は本願の名号をもつて十方の衆生にあたへたまふ御のりなり。 (『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』P.678より)
【現代語訳】
「回向」とは、真実の徳をそなえた本願の名号を、あらゆる世界の命あるものにお与えになるというお言葉である。 (『浄土真宗聖典 一念多念証文(現代語版)』P.6より)
と述べている。つまり本願力回向とは阿弥陀仏が自らの功徳のすべてを南無阿弥陀仏という名号にこめて、衆生に施し与えることをいう。この中に往相・還相の2つのはたらきがある。
往相
往相とは「往生浄土の相状」の意であり、衆生が浄土に往生していく因果のすがたである。往相について親鸞は『教行信証』「教文類」で
往相の回向について真実の教行信証あり。 (『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』P.135より)
と述べている。ここでいう教行信証は書物の名前ではなく
- 教 …… 『仏説無量寿経』
- 行 …… 南無阿弥陀仏
- 信 …… 信心
- 証 …… さとり
をいい、これらをまとめて四法という。衆生が「行」を「信」じ、それを因として浄土へと往生して「証」という果を得る。それを説明するのが「教」である。こうして往生していく衆生のすがたが往相である。
また親鸞は同じく「証文類」に
それ真宗の教行信証を案ずれば、如来の大悲回向の利益なり。ゆゑに、もしは因、もしは果、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまへるところにあらざることあることなし。 (『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』P.312より)
と述べ、教・行・信・証の四法のすべてが阿弥陀仏の本願力によって回向されるとしている。このことを表して往相回向という。
還相
還相とは「還来穢国の相状」の意である。穢国は穢土ともいい、浄土に対する語である。煩悩や罪悪によってけがれたこの現実世界のことを指す。還相について親鸞は『教行信証』「証文類」で
二つに還相の回向といふは、すなはちこれ利他教化地の益なり。 (『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』P.313より)
といっている。還相とは、浄土に往生したものがおのずから(自然と、ひとりでに)大悲心(大いなる慈悲の心)をおこしてこの世界に還り来り、自在に衆生を真実の教えに導き入れるすがたをいう。還相回向とは阿弥陀仏が本願力によって衆生にこうした還相のはたらきを与えることである。還相は先に述べた四法でいうと「証」にあたり、還相回向は往相回向の利益に収まる。
また親鸞は先に引用した文に続いて、還相を第二十二願(仏教知識「四十八願」の「第二十二願」も参照のこと)に基づくものだと述べている。
すなはちこれ必至補処の願(第二十二願)より出でたり。また一生補処の願と名づく。また還相回向の願と名づくべきなり。 (『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』P.313より)
曇鸞の往相・還相
往相と還相という語は親鸞以前にも使われている。曇鸞が著した『往生論註』「下巻」に往相・還相が述べられる。
五念門行
天親(※3)が著した『浄土論』(※4)には、阿弥陀仏の浄土に往生するために浄土の功徳を身につけていくための行として五念門行が説かれている。五念門行は「礼拝門」「讃嘆門」「作願門」「観察門」「回向門」から成る。
- ※3 天親
- 真宗七高僧第二祖、天親菩薩。
- ※4 浄土論
- 正式名は『無量寿経優婆提舎願生偈』。略して『浄土論』または『往生論』という。
曇鸞の著した『往生論註』はこの『浄土論』を註釈した書である。五念門行は『浄土論』においては衆生(凡夫)にはできない高度な修行法として説かれているが、曇鸞は讃嘆門に説かれる称名に着目し、これを衆生にも開かれた道だと解釈した。
また、五念門行は『浄土論』では此土(この世界のこと)での行として説かれているが、曇鸞はこれを「往生するための此土の行」と「往生した後の彼土(浄土のこと)の行」に分けて解釈し、5つの行のうち「作願門」「観察門」「回向門」をそれぞれ2つに分けた。
回向門
曇鸞は、回向門には此土で行う往相と彼土で行う還相の二つのすがたがあるとした。
「回向」に二種の相あり。一には往相、二には還相なり。 「往相」とは、おのが功徳をもつて一切衆生に回施して、ともにかの阿弥陀如来の安楽浄土に往生せんと作願するなり。 「還相」とは、かの土に生じをはりて、奢摩他・毘婆舎那を得、方便力成就すれば、生死の稠林に回入して一切衆生を教化して、ともに仏道に向かふなり。 (『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』P.107より)
往相
ここでいう往相とは娑婆世界で礼拝し、念仏を称えて讃嘆し、阿弥陀仏の浄土に生まれたいと願って、浄土に往生しようという思いをめぐらし、これによって得られた功徳を全ての人に回向して(与えて)、共に阿弥陀仏の浄土に生まれたいと願うことである。
還相
還相とは浄土に往生してから礼拝し、念仏を称えて讃嘆し、身口意の三悪が止まり、自利だけを求める心が止まり、仏を見てさとりをひらく。そして娑婆世界に現れて全ての人々を救い、仏道に向かわせるはたらきを行う。
つまり曇鸞においては往相と還相は衆生自らが修める行であった。また、これらは浄土の功徳と阿弥陀仏の本願力をよりどころとして成立している。
親鸞の解釈
一方、親鸞は曇鸞が『往生論註』の「覈求其本釈」(仏教知識「他力」の「三願的証」も参照のこと)において五念門行の根本には阿弥陀仏の本願力があると述べていることに着目し、五念門行を法蔵菩薩が修めた行とし、阿弥陀仏の名号には五念門の功徳がそなわっていると説いた。そして先に述べたように往相も還相も阿弥陀仏より回向される(与えられる)はたらきであるとした。
参考文献
[2] 『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』(浄土真宗教学研究所 浄土真宗聖典編纂委員会 本願寺出版社 1996年)
[3] 『顕浄土真実教行証文類(上) 現代語訳付き』(本願寺出版社 2011年)
[4] 『浄土真宗聖典 一念多念証文(現代語版)』(本願寺出版社 2001年)
[5] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[6] 『親鸞聖人の教え』(勧学寮 本願寺出版社 2017年)
[7] 『入出二門偈頌講読』(佐々木義英 永田文昌堂 2014年)