往生
他の世界へ往き生まれること。もとは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上である六道で命を終えて、他の六道に往き生まれることを指した。この繰り返しを続けることを輪廻という。しかし浄土教の発展により、輪廻を脱して穢れのない世界である浄土に往き生まれる、往生浄土の略として使われるようになった。特に阿弥陀仏の極楽浄土に往き生まれることをいう。「往生」は、浄土経典のサンスクリット本によると、「起こる」「生ずる」「達する」「再生する」「転生する」が原語となる。
浄土真宗の宗祖親鸞は、極楽浄土への往生を『仏説無量寿経』の「第十八願」「第十九願」「第二十願」にそれぞれあて、
1. | 難思議往生 | 第十八願の他力念仏による真実報土への往生 |
2. | 双樹林下往生 | 第十九願の自力諸行による方便化土への往生 |
3. | 難思往生 | 第二十願の自力念仏による方便化土への往生 |
と三つに分類した。また、『顕浄土真実教行証文類』「化身土巻」には、
悲しいことに、煩悩にまみれた愚かな凡夫は、はかり知れない昔から、他力念仏に帰することなく、自力の心にとらわれているから、迷いの世界を離れることがない。果てしなく迷いの世界を生れ変り死に変りし続けていることを考えると、限りなく長い時を経ても、本願力に身をまかせ、信心の大海に入ることはできないのである。まことに悲しむべきことであり、深く嘆くべきことである。大乗や小乗の聖者たちも、またすべての善人も、本願の名号を自分の功徳として称えるから、他力の信心を得ることができず、仏の智慧のはたらきを知ることができない。すなわち阿弥陀仏が浄土に往生する因を設けられたことを知ることができないので、真実報土に往生することがないのである。
(『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』P.527~528より引用)
として、阿弥陀仏の願いに身をまかせずに、自力の心を離れられないものは、他力の信心を得ることができず、真実報土に往生することもできないと嘆いている。
そして、双樹林下往生から難思往生、難思往生から難思議往生へと展開した自身の信仰体験を述べて、真実報土に往生する難思議往生をすすめている。
参考文献
[2] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[3] 『続 仏教語源散策』(中村元 東京書籍 1998年)
[4] 『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』(本願寺出版社 2000年)
[5] 『原始浄土思想の研究』(藤田宏達 岩波書店 1970年)