七高僧

【しちこうそう】
[七高僧]
by 伴林 晃紀 (松岸寺)
2020/03/16(2020/03/26 更新)

七高僧とは

七高僧とは、親鸞しんらんが真実の教えを伝えた高僧こうそうとしてたたえた七人の僧侶たちのことである。具体的には

  • インドのりゅうじゅさつ天親てんじんさつ
  • 中国の曇鸞どんらんだいどうしゃくぜん善導ぜんどうだい
  • 日本の源信げんしんしょう源空げんくうしょうにん法然ほうねん聖人)

のことをいう。

親鸞は「しょうしん念仏ねんぶつ」の中で、しゃくそんがこの世に現れたのは阿弥陀あみだぶつ本願ほんがんの教えを説くためであったと述べている。そして、その真実の教えが私たちぼん相応そうおうしたものであるということを、それぞれの時代ごとに明らかにされたのが七高僧である。

親鸞は「正信念仏偈」の「しゃくぶん」で

インドの菩薩方ぼさつがた中国ちゅうごく日本にっぽん高僧方こうそうがたが、
釈尊しゃくそんられた本意ほんいをあらわし、阿弥陀仏あみだぶつ本願ほんがんはわたしたちのためにたてられたことをあきらかにされた。
(『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』P.146より)

と述べた後、七高僧ひとりひとりの功績を挙げて讃えている。そして最後には

出家しゅっけのものも在家ざいけのものもいま人々ひとびとはみなともに、ただこの高僧方こうそうがたおしえをあおいでしんじるがよい。
(同じく P.152より)

と、七高僧の教えにしたがうように勧めている。

また親鸞は『高僧和讃わさん』においても七高僧ひとりひとりの功績を讃えている。

地理

七高僧の生まれた大まかな場所を地図に書き込むと次のようになる。また、曇鸞・道綽・善導に関わりの深いげんちゅうの場所も併せて記した。

釈尊、七高僧の大まかな出身地

上記の図は筆者が白地図を加工したものである。白地図は白地図専門店のものを使用している。

時代

釈尊、七高僧、親鸞の生きていたおおよその年代は以下の通り。

釈尊紀元前624年~463年頃の生誕とみられる
龍樹150年-250年頃
天親400年頃-480年頃
曇鸞476年-542年頃
道綽562年-645年
善導613年-681年
源信942年-1017年
法然1133年-1212年
親鸞1173年-1262年

なお善導は道綽に、親鸞は法然に師事しじしている。この中で面識があったのはこの2組だけである。他はそれぞれの著述ちょじゅつを通じた繋がりということになる。例えば、

  • 龍樹は『十住じゅうじゅう毘婆びば沙論しゃろん』の中で、釈尊の教えを記した『仏説ぶっせつ無量寿むりょうじゅきょう』の「第十八願文」「第十八願成就文」を引用されている。
  • 天親が『無量寿経むりょうじゅきょう優婆うば提舎だいしゃがんしょう』(『浄土論じょうどろん』、『往生論おうじょうろん』)を著し、曇鸞がその註釈書である『無量寿経優婆提舎願生偈ちゅう』(『浄土論註』、『往生論註』)を著した。
  • 親鸞の名前の由来は「天親」と「曇鸞」であるといわれる。
  • 道綽は玄中寺の曇鸞の功績を讃えた碑文を読み、浄土教に帰依したと伝えられている。
  • 善導は釈尊の教えを記した『仏説ぶっせつかん無量寿むりょうじゅきょう』の注釈書である『観無量寿経かんむりょうじゅきょうしょ』(『観経しょ』)を著した。
  • 源信は『往生おうじょう要集ようしゅう』の中で善導大師の教えを取り入れている。そのため、源空は『往生要集』に注目した。
  • 源空は『選択せんじゃく本願ほんがん念仏ねんぶつしゅう』の中で「道綽禅師、聖道しょうどう・浄土の二門にもんを立てて」「ひとえに善導いっる」などと述べている。

七高僧の選定せんてい

たんしょう』第二条によれば、親鸞は

阿弥陀仏あみだぶつ本願ほんがん真実しんじつであるなら、それをしめしてくださった釈尊しゃくそんおしえがいつわりであるはずはありません。
釈尊しゃくそんおしえが真実しんじつであるなら、その本願念仏ほんがんねんぶつのこころをあらわされた善導ぜんどう大師だいし解釈かいしゃくにいつわりのあるはずがありません。
善導ぜんどう大師だいし解釈かいしゃく真実しんじつであるなら、それによって念仏ねんぶつ往生おうじょうみちあきらかにしてくださった法然ほうねん上人しょうにんのお言葉ことばがどうしてうそいつわりでありましょうか。
法然ほうねん上人しょうにんのお言葉ことば真実しんじつであるなら、この親鸞しんらんもうすこともまた無意味むいみなことではないといえるのではないでしょうか。
(『浄土真宗聖典 歎異抄(現代語版)』P.7 より)

と述べている。ここに書かれているように、阿弥陀仏の本願の教えは釈尊と七高僧を通して親鸞へと伝えられた。そして親鸞は直接の師匠である法然から時代を逆へとたどり、七高僧を定めていったものと考えられる。

阿弥陀仏の浄土に生まれることを願った僧侶はたくさんいたが、その中から親鸞が選んだのは七名だけである。この七名に共通する特徴として挙げられるのは以下の三点である。

  1. ちょじゅつがあること
  2. 説いていることが、本願の趣旨にかなっていること
  3. 先人の解釈のとうしゅうではなく、その人独自の見解が示されていること

功績

七高僧が示した独自の見解は「はっ」と呼ばれる。それぞれの発揮は以下の言葉で表されている。

  ※1 ※2
龍樹菩薩どうこうはんなんてんの功 なんどう
天親菩薩せん一心いっしんほくてんの功 一心いっしんみょう
曇鸞大師けんりきがんもんの功 りきりき
道綽禅師もんはいりゅう西さいの功 聖浄しょうじょうもん
善導大師こんかいじょうしゅうなんの功 よう二門
源信和尚ほうべんりゅうかわの功 ほう
源空聖人こうせんじゃく吉水きっすいの功 せんじゃく本願ほんがん

(※1は『浄土三部経と七祖の教え』P.96より、※2は『はじめて学ぶ七高僧』P.10より引用した)

南天、北天、雁門などの単語はそれぞれの出生地や居住された場所にちなんでいる。

著書

七高僧の著書については、七高僧のそれぞれの項目を参照のこと。

参考文献

[1] 『浄土三部経と七祖の教え』(勧学寮 本願寺出版社 2008年)
[2] 『はじめて学ぶ七高僧』(黒田覚忍 本願寺出版社 2004年)
[3] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[4] 『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』(浄土真宗教学研究所 浄土真宗聖典編纂委員会 本願寺出版社 1996年)
[5] 『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』(本願寺出版社 2000年)
[6] 『浄土真宗聖典 歎異抄(現代語版)』(浄土真宗聖典編纂委員会 本願寺出版社 1998年)

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