阿闍世(アジャータシャトル)
阿闍世は、マガタ国の国王頻婆娑羅(ビンビサーラ)と王妃韋提希(ヴァイデーヒー)との間に生まれた。サンスクリット(梵語)でアジャータシャトル、パーリ語でアジャータサットゥ。漢訳では、「阿闍世」「闍世」「未生怨」「善見」などと記される。
いくつかの仏典によると、マガタ国の王子であった阿闍世は、釈尊が入滅(亡くなること)する8年前に父である頻婆娑羅国王を殺害し王位に就いたと伝えられる。これは、釈尊のいとこにあたる提婆達多(デーヴァダッタ)が、自ら教団のリーダーになろうとの企てに阿闍世を利用して、王位に就かせたものとされている。(仏教知識「提婆達多」参照)
『大般涅槃経』によると、提婆達多が阿闍世に「出生の秘密」を偽った。それは、頻婆娑羅がわが子欲しさに人を殺し、殺された者の生まれ変わりが阿闍世であり、このために阿闍世は両親を怨んで生まれてきたというものである。
そしてこの讒言(人をおとしいれるための嘘)を真に受けた阿闍世は、怒りのままに頻婆娑羅を幽閉して食物すら与えなかった。韋提希は夫を助けようと、阿闍世の隙を見て頻婆娑羅に食物を届けていた。しかし、これを知った阿闍世は、母韋提希にも怒りを覚え、母を殺そうとするが、大臣月光、耆婆による警告により幽閉にとどめたという。やがて頻婆娑羅が亡くなってしまうと、阿闍世は父を殺した後悔が激しくなり、病に罹るが、大臣耆婆のすすめにより釈尊に会うと病は癒える。『大般涅槃経』には、この時の釈尊の説法により、阿闍世が自らの行いを深く慙愧(罪をはじること)し、菩提心(さとりの智慧を得ようとすること)をおこしたことが記されている。これは、地獄に堕ちるような重罪を犯した者が、どのようにして救われていくかを説いたものである。その後、阿闍世は釈尊に帰依して、在家の信者として教団を支えていくようになった。
阿闍世は釈尊入滅後、釈尊の遺骨が分けられると、一つを譲り受けて王舎城に遺骨(舎利)を納める建造物、舎利塔を建てて供養した。また、最初の聖典編集会議(第一結集)の際には、会議開催のために私財を投じた。釈尊入滅から24年後に亡くなったと伝えられている。
参考文献
[2] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[3] 『ブッダ その思想と生涯』(前田專學 春秋社 2012年)
[4] 『中村元選集〔決定版〕第14巻 原始仏教の成立』(中村元 春秋社 1992年)
[5] 『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』(本願寺出版社 2000年)