慚愧
【ざんぎ】
自ら犯した罪(悪行)を恥じること。
宗祖親鸞は、『顕浄土真実教行証文類』「信巻」で『大般涅槃経』「梵行品」の慚愧を引用している。これは、父を殺した罪に苦しむ阿闍世に対して、大臣耆婆が釈尊の教えを勧める「耆婆の勧説」といわれるところである(仏教知識「耆婆」参照)。
「(中略)〈善いことを仰せになりました。王さまは罪をつくりましたが、深く後悔して慚愧の心をいだいておられます。王さま、仏がたは常に次のように説いておられます。二つの清らかな法があって、衆生を救うことができます。その法とは、一つには慚であり、二つには愧であります。慚とは自分が二度と罪をつくらないことであり、愧とは人に罪をつくらせないことです。また慚とは心に自らの罪を恥じることであり、愧とは人に自らの罪を告白して恥じることです。また慚とは人に対して恥じることであり、愧とは天に対して恥じることです。これを慚愧といいます。(中略)〉 (『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』P.276~277より引用)
『浄土真宗辞典』では、この「信巻」で引用されている『大般涅槃経』の慚愧を三つに整理している。
- 慚は自ら罪をつくらないこと、愧は他人に罪をつくらせないようにすること
- 慚は心に自らの罪を恥じること、愧は他人に自らの罪を告白して恥じ、そのゆるしを請うこと
- 慚は人に恥じ、愧は天に恥じること
(『浄土真宗辞典』P.239抜粋)
また同じ『大般涅槃経』「梵行品」で耆婆は釈尊の教えとして、智者と愚者にそれぞれ二つあると阿闍世に説き、以下の四つを挙げた。
- 罪をつくらない智者
- 罪をつくった後に懺悔(※1)する智者
- 罪をつくる愚者
- 罪をつくって覆藏(※2)する愚者
この中で罪をつくって覆藏することが最も恐ろしいことで、罪は他の罪を生んで、やがて地獄に堕ちるとした。『大般涅槃経』では、罪を犯しても、懺悔して慚愧の心を起せば罪は滅して救われると説かれている。
- ※1 懺悔
- 仏や出家者に自ら犯した罪を告白し、許しを乞う儀式
- ※2 覆藏
- 心の中に包み隠すこと。隠匿。
参考文献
[1] 『岩波 仏教辞典 第二版』(岩波書店 2002年)
[2] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[3] 『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』(本願寺出版社 2000年)
[4] 『仏弟子の生涯 下<普及版>』(中村元 春秋社 2012年)
[5] 『現代意訳 大般涅槃経』(原田霊道 書肆心水 2016年)
[2] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[3] 『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』(本願寺出版社 2000年)
[4] 『仏弟子の生涯 下<普及版>』(中村元 春秋社 2012年)
[5] 『現代意訳 大般涅槃経』(原田霊道 書肆心水 2016年)
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