唯信鈔文意 (2)

【ゆいしんしょうもんい 02】

前回に『唯信鈔文意』の構成と要点を挙げたが、ここからはそれぞれの註釈について記していく。また、原文と現代語訳の間に【親鸞しんらんの語句註釈】を挙げておく。

題号釈だいごうしゃく

『唯信鈔』は法然ほうねんの『選択本願念仏集せんじゃくほんがんねんぶつしゅう』(以下『選択集せんじゃくしゅう』)(※1)をわかりやすくするための「解説書」である。また一方で、聖覚せいかくは法然から受け継いだ浄土往生じょうどおうじょうするのには「ただ念仏」という伝承を「ただ念仏」から「ただ信心」へと己証こしょう(※2)として展開した著書ともいえる。ここから、親鸞は『唯信鈔』の題号にまずは注目をした。そして、この題号を一文字ずつに分割して、それぞれの註釈をほどこしていった。

唯信抄ゆいしんしょう」といふは、「ゆい」はただこのことひとつといふ、ふたつならぶことをきらふことばなり。また「ゆい」はひとりといふこころなり。「しん」はうたがひなきこころなり、すなはちこれ真実しんじつ信心しんじんなり、虚仮こけはなれたるこころなり。はむなしといふ、はかりなるといふことなり、じつならぬをいふ、しんならぬをいふなり。本願他力ほんがんたりきをたのみて自力じりきをはなれたる、これを「唯信ゆいしん」といふ。「しょう」はすぐれたることをぬきいだしあつむることばなり。このゆゑに「唯信鈔ゆいしんしょう」といふなり。また「唯信ゆいしん」はこれこの他力たりき信心しんじんのほかにのことならはずとなり、すなはち本弘誓願ほんぐぜいがんなるがゆゑなればなり。

(『浄土真宗聖典 -註釈版-』P.699より)

【親鸞の語句註釈】

  • 唯 → ひとつ・ひとり
    • ひとつ → ふたつならぶことをきらふ
  • 信 → うたがひなきこころ
    • うたがひなきこころ → 虚仮こけはなれたるこころ
      • 虚 → 実ならぬ
      • 仮 → 真ならぬ
  • 鈔 → すぐれたることをぬきいだしあつむる

〈現代語訳〉

 「唯信鈔ゆいしんしょう」というのは、「ゆい」はただこのことひとつということであり、ふたつがならぶことをきら言葉ことばである。また、「ゆい」はひとりという意味いみである。「しん」はうたがいのないこころである。すなわちこれは真実しんじつ信心しんじんであり、虚仮こけはなれているこころである。「」は「むなしい」ということであり、「」は「かりの」ということである。「」はじつでないことをいい、「」はしんでないことをいうのである。本願他力ほんがんたりきにおまかせして自力じりきはなれていること、これを「唯信ゆいしん」という。「しょう」はすぐれていることをしてあつめるという言葉ことばである。このようなわけで「唯信鈔ゆいしんしょう」というのである。また「唯信ゆいしん」というのは、この他力たりき信心しんじんのほかにべつのことはならわないということである。すなわちこの信心しんじんは、阿弥陀仏あみだぶつひろくくすべてのものをすくおうとちかわれた本願ほんがんそのものだからである。

(『浄土真宗聖典 唯信鈔文意(現代語版)』P.3-4より)

このように「唯信」とは、自力じりきのはからいを捨てて、本願他力ほんがんたりきの信心にじょうずることであるとする。親鸞は、この「唯信」という言葉に大きな影響を与えられたとされる。真宗しんしゅう大谷おおたに田代たしろ俊孝しゅんこうは、

 いうまでもなく、信心は、「信巻」字訓釈そのものであり、従来の教行証の三法に対し、親鸞聖人があえて、「教行信証」と四法をたて、「信巻」を開顕する根拠が、「唯信」の言葉にあり、その意味で、『唯信鈔』は親鸞聖人の浄土真宗の興隆に大きな示唆を与えたといえる。

(『唯信鈔文意講義』P.63より)

つまり、親鸞は『唯信鈔』という聖覚の己証を受け継ぎ、信心が浄土往生の正因しょういん(※3)であることを示した。また、『選択集』が批判された「菩提心ぼだいしん」(※4)の問題を解決するために、浄土真宗の「菩提心」は「他力の信心」であるとして、これを「大菩提心だいぼだいしん」として展開する根拠となっていった。この後に、『唯信鈔』本文に引用されている漢文の註釈に入っていく。

語注

※1『選択本願念仏集』
浄土宗の宗祖法然の撰述せんじゅつ。これは、当時摂政せっしょう関白かんぱくいていた九条兼実くじょうかねざねの求めによるもの。称名しょうみょう念仏ねんぶつこそが、阿弥陀如来の選ばれた往生おうじょう浄土じょうどぎょうであり、これを専修せんじゅすることを説き、念仏往生の宗義しゅうぎ(ここでは浄土宗の教え)を示した。浄土宗立教開宗りっきょうかいしゅうの書とされる。
※2己証
伝統を受け継ぎながらも独自の展開をしていく教義理論。
※3正因
正当な直接的原因
※4菩提心
原語げんごは、サンスクリット(梵語ぼんご)で「ボーディ・チッタ」。「ボーディ」がさとりで、「チッタ」は心を指す。従って、さとりを求める心、さとりの智慧ちえを得ようとする心のことをいう。道心どうしん道意どうい道念どうねん覚意かくいともいう。

参考文献

[1] 『岩波 仏教辞典 第二版』(岩波書店 2002年)
[2] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[3] 『浄土真宗聖典 -註釈版-』(本願寺出版社 1988年)
[4] 『聖典セミナー 唯信鈔文意』(普賢晃壽 本願寺出版社 2018年)
[5] 『"このことひとつ"という歩み―唯信鈔に聞く―』(宮城顗 法蔵館 2019年)
[6] 『『唯信鈔』講義』(安冨信哉 大法輪閣 2007年)
[7] 『唯信鈔文意講義』(田代俊孝 法蔵館 2012年)
[8] 『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』(本願寺出版社 2000年)
[9] 『浄土真宗聖典 唯信鈔文意(現代語版)』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2003年)

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