唯信鈔 前編
はじめに
『唯信鈔』(一巻)とは、天台宗の僧侶である聖覚(1167~1235)が、経典や註釈書を引用しながら浄土宗の宗祖法然(1133~1212)から伝えられた「念仏往生」について著したものである。表題にもあるように「ただ信心」(唯信)が専修念仏にとって最も重要なことであるとするもので、法然の『選択本願念仏集』(以下 『選択集』)(※1)によるところが多い。聖覚による自筆本は現存せず、浄土真宗の宗祖親鸞(1173~1263)による書写本が残っている。
執筆の背景
聖覚は、法然に帰依して吉水教団(法然の教団)では門弟として指導的立場にあったとされる。「聖覚法印表白文」(※2)では、法然のことを「然我大師聖人」としており、このことを親鸞は『尊号真像銘文』(※3)で、
「然我大師聖人」というのは、聖覚法印が源空聖人をわが大師聖人と仰ぎ、おたのみになられたお言葉です。
(『聖典セミナー「尊号真像銘文」』P.226より引用)
と説明しているが、聖覚は生涯天台宗の僧侶として生きたことから、門弟という事実があったのかは不明である。しかし、法然と親しい関係にあったことや法然を敬っていたことは「聖覚法印表白文」からも窺うことができる。
1212年に法然が没すると、吉水教団の門弟たちの中で法然の教えに背く「異義」を説くものが増え、年を経るにしたがい、法然が説いた教義は埋没していくこととなる。1221年、聖覚はこれらの異義を嘆き、糺すためにこの『唯信鈔』を著した。本書の特徴は、当時ではまだ珍しい「仮名法語」(※4)と呼ばれる形式である。漢文の使用は経典や註釈書の引用のみであり、それ以外は和文で記されている。つまり、聖覚はこれを漢文が読める僧侶や一部の知識階級のためにではなく、仮名を読める人びとを対象に著したことになる。
構成とその内容
これより『唯信鈔』の構成と要点を挙げる。この著書が『選択集』によっていることがわかるように【 】内に『選択集』のどの箇所にあたるかを記す。
(1)顕正(正しい教義を明らかに示すこと)(法然による専修念仏の教えをあきらかにする)
①聖浄二門
仏道には聖道門(※5)と浄土門(※6)の二門があり、末法に相応しいのは浄土門と選ぶとする。
→ 【「二門章」】
②諸行往生・念仏往生
浄土門の中には、諸行往生(※7)と念仏往生(※8)があり、他力の念仏往生こそが阿弥陀如来の本願に適うとする。
→ 【「二行章」「本願章」】
③専雑二修
念仏往生には、専修(※9)と雑修(※10)があり、専修が優れているとする。
→ 【「二行章」「本願章」】
④三心
専修には三心(※11)が具わっていなければならないとして、念仏には信心が要(かなめ)であるとする。
→ 【「三心章」】
(2)異義批判(法然による専修念仏の教えとは異なる教義への批判)
①十念
『仏説無量寿経』「第十八願文」における「十念」とは、理観(※12)によるものであるという異義。これに対して、この「十念」は口に名号を称える「称名」であるとする。
②臨終念仏
臨終念仏のほうが平生念仏より功徳があるという異義。これに対して、臨終(※13)・平生(※14)のどちらの念仏にも無上(このうえない)の功徳があり、その優劣を立てるのは誤りであるとする。
③罪業
阿弥陀如来の本願によって往生したいと願っても、自身の過去世の悪業がどれほどのものか知ることも難しいのに往生はできないだろうという異義。これに対して、人間に生まれたということは、過去世に五戒(※15)を修めるという善根(※16)を積んだ結果であり、五戒を犯したようなものは人間に生まれることなく悪道(※17)に堕ちているとする。まして、念仏には阿弥陀仏の本願による善根があり、私たちの犯す悪業は往生の妨げにはならないとする。
④宿善
五逆の罪人が十念によって往生するのは宿善(※18)によるものであって、宿善が具わっていないものは往生できないという異義。これに対して、阿弥陀仏の本願による念仏の功徳は、自身が犯したどのような罪とも比較にならないぐらい大きく、この功徳によって往生できるとする。
⑤一念と多念
信心が決定(動かないこと・疑わないこと)すれば、念仏は一度で充分であり、念仏の回数を重ねようとするのは、かえって阿弥陀如来の本願を疑うことになるという異義。これに対して、信心があれば一念で充分ということは間違いではなく、多く称えなければ往生できないと思うのは不信である。しかし、一念で充分と聞いても、無駄な毎日を過ごすぐらいならば、功徳を積むことを考えて念仏することは不信ではなく、ますます功徳が積み重なり、往生の原因が決定することになるとする。
(3)結語
この書(『唯信鈔』)を見た人は、おそらく嘲笑するかもしれないが、信じる人も信じない人も、これを因として必ず往生できるだろうとして、最後に三宝(仏・法・僧)に証誠(真実であることを証明すること)を願って結んでいる。
以上が『唯信鈔』の構成と要点であるが、『選択集』によるところが多く、「信心」を要とすることは、法然から聖覚、そして親鸞へと繋がっていくことがわかる。しかし、臨終念仏と平生念仏を同等とすること(親鸞は平生念仏が大切であるとした)((2)②臨終念仏)や、この世に生を受けたものは、前世で五戒を修めた善根の結果であるとすること((2)③罪業)、そして何よりも、功徳を積むことを考えて念仏することは不信ではないとする((2)⑤一念と多念)など、一部親鸞の教えとは異なる。「親鸞の教え」は聖覚が受け継いだ「法然の教え」をさらに発展させたものといえる。しかし一方で「聖覚の教え」が天台宗の僧侶として生きた聖覚の本質と考えることもできる。
引き続き後編では、『唯信鈔』から浄土真宗の宗祖親鸞への影響について述べていく。
語註
- ※1『選択本願念仏集』
- 浄土宗の宗祖法然の撰述。これは、当時摂政や関白に就いていた九条兼実の求めによるもの。称名念仏こそが、阿弥陀如来の選ばれた往生浄土の行であり、これを専修することを説き、念仏往生の宗義(ここでは浄土宗の教え)を示した。浄土宗立教開宗の書とされる。
- ※2「聖覚法印表白文」
- 聖覚がある法要で導師を勤めた際、法然の前で読んだ表白文とされる。また、法然の六七日法要で導師を勤めた時の表白文との説も。
- ※3『尊号真像銘文』
- 二巻。親鸞が著した。名号(尊号)や祖師らの絵像(真像)にある散文(銘文)を集めて解説をして祖師らを讃嘆したもの。
- ※4仮名法語
- 仏教に関心のある人が、漢文が読めなくても理解しやすいように仮名(和文)で書かれたもの。『横川法語』(源信)・『一枚起請文』(法然)・『歎異抄』(唯円)・『蓮如上人御一代記聞書』(編者不明)など。
- ※5聖道門
- 自ら学問を積み、厳しい修行をしてさとりをひらく道。
- ※6浄土門
- 阿弥陀如来の本願を信じて念仏をして浄土に往生してさとりをひらく道。
- ※7諸行往生
- もろもろの善や行を修めて、自らの力によって浄土に往生しようとすること。
- ※8念仏往生
- 阿弥陀如来からの本願力によってふりむけられた名号を信じ称えて浄土に往生すること。
- ※9専修
- ここでは称名の一行を修めること。
- ※10雑修
- ここではさまざまな行を修めること。
- ※11三心
- ここでは『仏説観無量寿経』における「三心」で、①至誠心 ②深心 ③回向発願心をいう。(仏教知識「三心」参照)
- ※12理観
- 真理を観察(心に思い浮かべて見ること)すること。ここでは、阿弥陀如来や極楽浄土が観察の対象となる。
- ※13臨終
- 臨命終時の略。命の終わる時。
- ※14平生
- 普段。いつも。つね日ごろ。
- ※15五戒
-
仏教徒が守るべき五つの戒め。
①生きものを殺さない。(不殺生戒)
②盗みをしない。(不偸盗戒)
③よこしまな性交をしない。(不邪婬戒)
④うそをいわない。(不妄語戒)
⑤酒を飲まない。(不飲酒戒)
仏教知識「持戒波羅蜜」も参照のこと。 - ※16善根
- 原語はサンスクリット(梵語)でクシャラ・ムーラ。「クシャラ」は善で、「ムーラ」は植物の根の意味がある。転じて功徳のたね、諸善の根となるもの。漢訳では「善本 」「徳本」とも訳される。
- ※17悪道
- 衆生が自らの悪い行いにより趣くところ。ここでは地獄・餓鬼・畜生の三つの境涯。悪趣ともいう。
- ※18宿善
- 過去世に積んだ善根のこと。
参考文献
[2] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[3] 『真宗新辞典』(法蔵館 1983年)
[4] 『浄土真宗聖典 -註釈版-』(本願寺出版社 1988年)
[5] 『浄土真宗聖典 三帖和讃(現代語版)』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2016年)
[6] 『聖典セミナー 唯信鈔文意』(普賢晃壽 本願寺出版社 2018年)
[7] 『聖典セミナー 尊号真像銘文』(白川晴顕 本願寺出版社 2007年)
[8] 『"このことひとつ"という歩み―唯信鈔に聞く―』(宮城顗 法蔵館 2019年)
[9] 『『唯信鈔』講義』(安冨信哉 大法輪閣 2007年)
[10] 『唯信鈔文意講義』(田代俊孝 法蔵館 2012年)
[11] 『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』(本願寺出版社 2000年)