唯信鈔文意 (1)

【ゆいしんしょうもんい 01 】

はじめに

唯信鈔文意ゆいしんしょうもんい』(一巻)とは、浄土真宗じょうどしんしゅう宗祖親鸞しゅうそしんらんあらわしたものであり、聖覚せいかく(1167~1235)の『唯信鈔ゆいしんしょう』(一巻)の註釈書ちゅうしゃくしょである。『唯信鈔』は、浄土宗じょうどしゅうの宗祖法然ほうねん(1133~1212)没後ぼつご吉水よしみず教団(浄土宗)の中で法然が説いた教義が埋没して異なった教えが説かれるようになり、教団に強い影響力があった聖覚がこれをなげき、ただすために著したものである(仏教知識「聖覚」、「唯信鈔 前編」、「後編」)参照)。『唯信鈔』は、「仮名法語かなほうご」(※1)と呼ばれる形式で記されているものの、経典きょうてんや註釈書の引用は漢文かんぶんのままでその註釈もほどこされていない。そこで親鸞は、『唯信鈔』の逐語的ちくごてきなものではなく、表題ひょうだい題号だいごう)や引用漢文に焦点を当てて註釈をした。そして、浄土往生じょうどおうじょう正因しょういん信心しんじん一つの「唯信」であることをあきらかにした。

執筆年代とその背景

以下に『唯信鈔文意』の書写しょしゃ真蹟しんせき(親鸞自筆)またはその書写)の年代が確認できるものをげる。( )内は親鸞の年齢。『唯信鈔文意講義』P.11参照。

(1) 盛岡もりおかほんせいぼん 1250(建長けんちょう2)年10月16日(78歳)
(2) 河内かわち光徳こうとくぼん 1256(建長8)年3月24日(84歳)
(3) たか専修せんじゅ
正月十一日本
(真蹟本)
1257(康元こうげん2)年正月11日(85歳)
(4) 高田専修寺
正月二十七日本
(真蹟本)
1257(康元2)年正月27日(85歳)
(5) 前橋みょうあん 1257(しょう元)年8月19日(85歳)
静岡きょうがく
高田専修寺けん
大谷大学くう
大谷大学室町むろまちしゃ

これらの年代から、執筆年は遅くとも1250(建長2)年であると推定され、その後も加筆修正されたものと考えられている。尚、浄土真宗本願寺派ほんがんじはの『浄土真宗聖典 -註釈版-』では、真蹟本の一つである(4)「高田専修寺正月二十七日本」を用いているので本稿の「唯信鈔文意」もそれに従う。

構成とその内容

これより『唯信鈔文意』の構成と要点を挙げる。

(1)題号釈

「唯」「信」「抄」の釈(ここの註釈本文では「鈔」ではなく「抄」)。

(2)要文釈

    出典
如来尊号にょらいそんごう甚分じんぶんみょう
以下四句しくの釈。
五会ごえほうさん
法照ほっしょう)(※2)
仏因ぶついん中立ちゅうりゅうぜい
以下八句はっくの釈。
『五会法事讃』で引用された『般舟三昧讃はんじゅざんまいさん
みん)(※3)の略抄りゃくしょう(抜粋)
極楽ごくらく無為むい槃界はんがい
以下四句の釈。
ほうさん
善導ぜんどう)(※4)
三心者さんしんしゃひっしょうこく」の釈。 仏説ぶっせつかんりょう寿じゅきょう
とく現賢善げんけんぜんしょうじん相内そうない懐虚仮えこけ」の釈。 観無量寿経疏かんむりょうじゅきょうしょ』(※5)
(善導)
けん戒罪根深かいざいこんじん」の釈。 『五会法事讃』
(法照)
乃至十念ないしじゅうねん 若不生者にゃくふしょうじゃ 不取正覚ふしゅしょうがく」の釈。 仏説ぶっせつりょう寿じゅきょう』「だいじゅう八願文はちがんもん
ごんじつ」について 『唯信鈔』(聖覚)
にょにゃく能念のうねん」「おうしょうりょう寿仏じゅぶつ」の釈。 『仏説観無量寿経』
そくじゅうねん しょうりょう寿仏じゅぶつ しょうぶつみょう 念念ねんねんちゅう じょ八十はちじゅう億劫おくこう しょうざい」の釈。 『仏説観無量寿経』

(3)結語

この書執筆の意図いとを述べている。

以上が『唯信鈔文意』の構成と要点である。この著書にはその後の浄土真宗の教義として重要な註釈が記されており、次回以降、それぞれの解説をしていくこととする。

※1 仮名法語
仏教に関心のある人が、漢文が読めなくても理解しやすいように仮名(和文)で書かれたもの。『横川法語よかわほうご』(源信げんしん)・『一枚起請文いちまいきしょうもん』(法然)・『歎異抄たんにしょう』(唯円ゆいえん)・『蓮如れんにょ上人しょうにん一代いちだい聞書ききがき』(編者不明)など。
※2 『五会法事讃』
浄土じょうど五会ごえ念仏ねんぶつりゃくほう事儀じぎさん』一巻の略称。「五会念仏ごえねんぶつ」の創唱者であるとうの法照(8世紀ごろ)が著した。南無阿弥陀仏の六字を五種の曲調きょくちょうにのせて修する「五会念仏」の作法さほうを述べ、讃文さんぶんを集めたもの。本願寺派では「五会念仏作法」として勤められる。
※3 慈愍
670~784。唐の僧侶で名は慧日えにち。インドにかいおもむき18年間に70余りの国を巡ったという。719年、長安ちょうあんに戻り、皇帝玄宗げんそうより「慈愍三蔵さんぞう」のごうを与えられる。慈愍流浄土教じょうどきょう
※4 『法事讃』
2巻。真宗七高僧しちこうそう第四祖の善導が著した。『浄土法事讃』ともいう。浄土往生の儀礼と実践を明らかにしたもので、ここでは『仏説阿弥陀経ぶっせつあみだきょう』を読誦どくじゅ讃嘆さんだんしながら、阿弥陀如来の周囲を行道ぎょうどうして、これに懺悔さんげを加えた法会の作法が記されている。また、善導が『仏説阿弥陀経』を教学的きょうがくてきにどのようにとらえていたかもうかがえる。
※5 『観無量寿経疏』
4巻。真宗七高僧第四祖の善導が著した。慧遠えおん智顗ちぎ吉蔵きちぞうなどの『仏説観無量寿経』の解釈をただし、凡夫ぼんぶ法蔵菩薩ほうぞうぼさつの願いによって成就された極楽浄土(報土ほうど)に往生することこそが『仏説観無量寿経』の真意であるとした。略して『観経疏かんぎょうしょ』ともいう。

参考文献

[1] 『岩波 仏教辞典 第二版』(岩波書店 2002年)
[2] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[3] 『浄土真宗聖典 -註釈版-』(本願寺出版社 1988年)
[4] 『聖典セミナー 唯信鈔文意』(普賢晃壽 本願寺出版社 2018年)
[5] 『"このことひとつ"という歩み―唯信鈔に聞く―』(宮城顗 法蔵館 2019年)
[6] 『『唯信鈔』講義』(安冨信哉 大法輪閣 2007年)
[7] 『唯信鈔文意講義』(田代俊孝 法蔵館 2012年)
[8] 『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』(本願寺出版社 2000年)

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