満中陰
中陰とは
いわゆる四十九日の法要のことを「満中陰」という。「中陰が満ちた」ということで満中陰と呼ばれる。
中陰とは『浄土真宗辞典』(P.477)によると
- 生命あるものが死んで次の生をうけるまでの中間の時期
- 故人が亡くなって49日間のこと
である。中有ともいう。
中陰の語源
「中有の期間における五陰」ということから「中陰」という言葉が生まれた。以下、もう少し詳しく解説する。
中有
昔から輪廻転生という考え方がある。転生とは生まれ変わるという意味であり、輪廻とは六道の世界(6種類の迷いの世界)を生まれ変わり続けるという意味である。
また、生まれてから次の生を得るまでの時間を「生有」「本有(※)」「死有」「中有」の4つに分ける考え方がある。これらをまとめて「四有」という。(※ 「ほんぬ」とも読む)
この中有の期間に次の生の姿形などが作られる。また中有の長さを49日間とする説が一般的である。
生有 | 生まれる瞬間 |
死有 | 死ぬ瞬間 |
本有 | 生有から死有までの間 |
中有 | 死有から生有までの間 |
(※ それぞれの説明文は『浄土真宗辞典』P.477より引用)
五陰
五蘊、五衆ともいう。「蘊」とは「集まり」という意味である。色・受・想・行・識の5つから成り、この5つの要素が混ざり合って人間の肉体と精神を構成する。
つまり「中有の期間において存在を構成する五陰」ということから「中陰」となった。
中陰法要
中陰の間には7日ごとに「初七日」「二七日」「三七日」「四七日」「五七日」「六七日」「七七日(なななぬか、しちしちにち)(満中陰)」の法要が勤められる。この中でも特に満中陰を盛大に勤めることが多い。
中陰法要を勤める日については、当日に勤める場合と前日(逮夜)に勤める場合がある。
当日に勤める場合は、初七日は命日から数えて7日目(6日後)、満中陰は49日目、百ヵ日は100日目となる。逮夜に勤める場合はそれぞれ1日前となる。
名称 | 逮夜に勤める場合 | 当日に勤める場合 |
初七日 | 6日目 | 7日目 |
二七日 | 13日目 | 14日目 |
三七日 | 20日目 | 21日目 |
四七日 | 27日目 | 28日目 |
五七日 | 34日目 | 35日目 |
六七日 | 41日目 | 42日目 |
七七日(満中陰) | 48日目 | 49日目 |
十王信仰
昔の中国で成立した信仰に十王信仰というものがある。これは死者が閻魔王の国で十人の王に罪を裁かれるというものである。裁判のタイミングは初七日から七七日までの七回と、百日目、一年目、三年目とされ、十回の裁判にはそれぞれ担当の王が決められている。
十王について説かれた『十王経』という経典があり、 中国で書かれたものや日本で書かれたものがある。いずれも偽経とされる。日本で書かれた『十王経』には十王のそれぞれに対応する本地仏(王の本当の姿)も示されている。
それぞれの王と本地仏の一覧は以下の通り(『仏教・真宗と直葬 -葬送の歴史と今後-』P.95より)。
担当 | 王 | 仏 |
初七日 | 秦広王 | 不動明王 |
二七日 | 初江王 | 釈迦如来 |
三七日 | 宋帝王 | 文殊菩薩 |
四七日 | 五官王 | 普賢菩薩 |
五七日 | 閻魔王 | 地蔵菩薩 |
六七日 | 変成王 | 弥勒菩薩 |
七七日 | 太山王 | 薬師如来 |
百日目 | 平等王 | 観世音菩薩 |
一年目 | 都市王 | 阿閦如来 |
三年目 | 五道転輪王 | 阿弥陀如来 |
中陰法要の捉え方
他宗における中陰法要
仏教一般においては、中陰法要は追善供養として故人の冥福を祈って勤められる。遺族や知人などがお経を読んだり善い行いをしたりして功徳を積み、それを故人へと分け与え、死後の幸せを願うとされている。
浄土真宗における中陰法要
浄土真宗では生きている間に往生が定まり、亡くなったときにすぐに阿弥陀仏の浄土へと生まれ、そこでさとりを得ると考えられている。
そのため、功徳を分け与えたりしなくとも故人は阿弥陀仏の力によりさとりを得られるし、 また次の生を受けるまでの中有の期間というものも存在しない。
浄土真宗では仏教一般の習わしに従って中陰法要が勤められる。その目的としては次のような事柄が挙げられる。
- 故人を偲ぶ
- 仏教に触れる縁とする
- 阿弥陀仏や故人への報恩感謝の気持ちを表す
参考文献
[2] 『仏教・真宗と直葬 -葬送の歴史と今後-』(北塔光昇 自照社出版 2013年)
[3] 『如何に中陰法要を勤めるか -中有を如何に捉えるか-』(那須信孝 方丈堂出版 2012年)