供養
定義
まず供養という言葉の定義を確認する。『浄土真宗辞典』と『岩波 仏教辞典 第二版』にはそれぞれ以下のように書かれている。
敬いの心をもって奉仕すること。 三宝や父母・師長などに身・口・意の三業をもって供物をささげること。
(『浄土真宗辞典』 P.152より)仏教では仏・法・僧の三宝や父母・師長・亡者などに,香華・灯明・飲食・資材などの物を捧げることをいう(供給資養). (『岩波 仏教辞典 第二版』 P.260より)
※ 三宝とは仏(さとりをひらいた人)・法(その教え)・僧(さとりを目指す集団)のことをいう。
つまり供物を捧げる行為のことを供養という。「供養する」のように動詞として使われることもある。ただし、ただ供えるだけではなくそこには意業(「心に思う」という行為)が入っていなければならない。つまり、気持ちが伴っている必要がある。
供養される対象と捧げられる供物については、先に引用した箇所に書かれている通りである。
浄土真宗における供養
同じく『岩波 仏教辞典 第二版』には
また,死者の冥福を祈る〈追善供養〉やそのために卒塔婆を立てる〈塔婆供養〉,餓鬼に食物を施す〈施餓鬼供養〉をはじめ,〈千僧供養〉〈開眼供養〉〈経供養〉〈鐘供養〉などが供養の名のもとに行われているが,(後略)
(『岩波 仏教辞典 第二版』 P.260より)
とさまざまな供養が示されている。たとえば施餓鬼供養は「施餓鬼会」として盂蘭盆につとめられる。
しかし、浄土真宗ではここに書かれているような供養は行わない。例えば浄土真宗では「冥福を祈らない」ので、追善供養は行わない(コラム 「冥福を祈らない」参照)。盂蘭盆会を施餓鬼会としてつとめることもしない(仏教知識 「盂蘭盆」参照)。
宗祖親鸞の遺した言葉
『歎異抄』によれば親鸞は
親鸞は亡き父母の追善供養のために念仏したことは、かつて一度もありません。
(『歎異抄(現代語版)』 P.10 より)
と言ったとされている。続けて、その理由として念仏はそのような性質のものではないということ、浄土に往生してさとりを開いた後に縁のある人々を救うことができるということを指摘している。
讃嘆供養
浄土真宗の聖教の中から「供養」という言葉を探してみると、善導大師が『観経疏』の「散善義」に示した「五正行」のひとつ、「讃嘆供養」がある。五正行とは
①読誦正行(阿弥陀仏について説かれた浄土三部経を読誦すること)、
②観察正行(阿弥陀仏とその浄土のすがたを観察すること)、
③礼拝正行(阿弥陀仏を礼拝すること)、
④称名正行(阿弥陀仏の名号を称えること)、
⑤讃嘆供養正行(阿弥陀仏の功徳をほめたたえ、衣食香華などをささげて供養すること)の五。
(『浄土真宗辞典』 P.206より)
である。
具体的な供養の例
『浄土真宗本願寺派 法式規範(増補版)』(P.46~P.54)には仏壇の荘厳として点燭・供華・供香・供飯・供物が記載されている。それぞれの意味は以下の通りである。
- 点燭 …… 蠟燭に火をつけて仏前に灯明を供えること
- 供華 …… 仏前に花や樒などを供えること
- 供香 …… 線香や抹香に火をつけて供えたり、焼香したりすること
- 供飯 …… 仏飯を供えること
- 供物 …… 餅・菓子・果物などを供えること
供香、供飯については関連した知識を仏教知識 「仏飯」、「焼香」に掲載している。供物については故人が好きだった物を供えることも多い。また、僧侶への布施も供養のひとつである(「三宝に供物を捧げる」ことに含まれる)。
参考文献
[2] 『岩波 仏教辞典 第二版』(岩波書店 2002年)
[3] 『浄土真宗聖典 三帖和讃(現代語版)』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 1998年)
[4] 『浄土真宗本願寺派 法式規範(増補版)』(浄土真宗本願寺派 勤式指導所 本願寺出版社 2007年)