香
いつから?
香はインドから中国を経由して日本へ仏教伝来とともに、仏前の供えものとして渡来した。日本ではじめての香の記録としては、『日本書紀』595年(推古天皇3)4月の条に、交易の船が香木を積み、渡来していて、難破し、淡路島に流れ着いたので島民が薪と一緒に香木と気付かず竈で焚いたところ、これまでに嗅いだことのない香りがしたので朝廷に献上したとある。この香木は沈香を指し、樹木に傷が付いた時や、枯れて土の中に埋もれた時などに菌の作用で樹脂が凝集したものである。これを水に入れると樹脂分の重さで水に沈むので沈香と称され、樹脂分が少なく沈まないものは桟香と称される。
飛鳥時代後期には天皇や大臣、僧侶などが、柄香炉(手に持つ形状の香炉)で香木を刻んだ抹香(粉末状の香)で焼香が行われていた。奈良時代には香がさらに展開され、遣唐使により薫物(数種の香木を混ぜ合わせたもの)も伝わりこれも供香として使用される。平安時代には薫物は寺院の儀礼としての供香だけではなく、宮廷の貴族の間で、室内に香を漂わせたり、伏籠(香の火が直接当たらないように香炉の上から被せる網状の籠)によって衣類に香を焚きしめるなど楽しむためにも使用されていた。
しばらく香の使用は皇族や寺院、貴族階級によるものだったが、江戸時代に入り、民衆にも徐々に広まることになる。江戸時代初期に五島一官が中国の福州から長崎に渡来し、製造をはじめたとされる。線香の形態として香木を材料とし、粉末にして、それを糊などで固めたものである。後に、線香は仏への供香の他、禅院では、座禅の時に線香で時間を計られるようになった。また、僧侶だけではなく、民衆の間でも多く使われ、お茶屋の座敷の時間を計る際にも用いられていた。
供え方は?
浄土真宗の供え方としては香炉の大きさに合わせ適当な長さに折り、横に寝かせてお供えする。江戸時代に線香が広まるまで浄土真宗本願寺派では、常香盤という灰の入った容器に木の板などで凹み部を作りそこに抹香を入れ端に火をつけて燃やしていた。その習わしに準じて横に寝かせてお供えするようになった。
なぜ供えるのか?
浄土真宗では次のような意味となる。
そうしたお香をかぐことによって清らかなお浄土を想い、さらには、誰かれと差別することなくゆきわたるお香の薫りから、如来さまのわけへだてなく注いで下さるお慈悲の心にも触れさせていただきましょう。
(『仏事のイロハ』P.34より)
参考文献
[2] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[3] 『仏事のイロハ』(末本弘然 本願寺出版社 1986年)
[4] 『浄土真宗マンガ仏事入門』(岡橋徹栄 広中健次 本願寺出版社 1998年)