盂蘭盆
『盂蘭盆経』
「盂蘭盆」いわゆる「お盆」とは「盆供」、すなわち「盂蘭盆にする供養」のことで、この儀式は『盂蘭盆経』に説かれるお話を起源としている。
『盂蘭盆経』の大まかな内容
釈尊の弟子の一人に「神通力第一」として知られる目連という方が居た。目連は孝行の思いが厚く、父母を救済したいと願っていた。目連が神通力を使って亡き母のことを調べてみたところ、餓鬼の世界に生まれていることがわかった。それを見た目連は鉢に飯を盛って母に送ったが、食べる直前に炭と化してしまい食べることが出来なかった。それを悲しんだ目連は釈尊に相談した。
釈尊は、目連の母は罪が深いため目連1人が頑張ってもどうすることもできないということ、十方の僧侶達のすぐれた力を用いれば目連の母が解脱できるということを言われた。
具体的な方法として、「七月十五日の僧自恣の日に現在いる父母や過去七世の父母のために、僧侶達に食べ物や様々な道具を供養すれば、十方の僧侶達の力によってその父母達が地獄・餓鬼・畜生の三苦を脱し、また衣食を自然に得ることが出来るようになる」ということを言われた。
目連がその通りにした結果、目連の母親は餓鬼の苦しみから逃れることが出来た。
そして釈尊は「親孝行を行おうとする者は毎年の七月十五日に孝行の心をもって、現在の父母や過去七世の父母のために盂蘭盆会を催し僧侶に施して、それをもって親の恩に報いるべきである。」と言われた。
『盂蘭盆経』の成立
研究の結果『盂蘭盆経』は中国で書かれた偽経だとされ、5-6世紀初め頃に成立したものと考えられている。日本へは659年までに伝わったものと考えられる(『日本書紀』の中に「盂蘭盆経を講ずる」という記述がある)。
目連の話がインドにあり、これが中国における儒教などの孝行の考え方と結びついて盂蘭盆経ができたのではないかといわれる。
盂蘭盆会
『盂蘭盆経』の内容から考えると父母を苦しみから救うためにお盆が行われるということになるが、一般的にはお盆の行事は先祖をお迎えして祀る意味で行われている。これは日本に昔からあった祖霊信仰と外来の信仰であった仏教が結びついたためだと考えられる。
浄土真宗以外ではお盆になると先祖が訪ねてくるのでお墓にお参りしてお迎えし、仏壇を飾り付けて供養する。
時期
お盆の行事は東日本では7月、西日本では8月に行われることが多いようである。これは明治時代に旧暦から新暦へと切り替わったことが原因で、新暦に対応して1ヶ月ずらしたところもあれば、そのまま新暦7月15日にお盆を行ったところもあった。日付の方も13~15日だったり14~15日だったり、統一はされていないようである。
施餓鬼会
お盆には寺院で「施餓鬼会」が行われる(浄土真宗では行わない)。これは餓鬼を供養して救済するという行事である。「餓鬼に食べ物を施すことで、餓鬼を苦しみから脱し、また自らにも現世での御利益がある」という話が元になっている。元々は盂蘭盆会とは別の行事だったが、いつの間にか習合してしまった。
お盆にまつわる風習
お盆には地方・宗派により様々な風習が行われる。その一部をご紹介する。
ナスとキュウリ
それぞれ馬と牛に見立てられている。 先祖が馬に乗って急いでこちらへ来て、また帰りは牛に乗ってゆっくりと帰るという意味合いがある。
送り火、迎え火
お盆には先祖を「迎える」「送り出す」ということが強く意識されてきた。お盆の始まりと終わりに火を焚く。
精霊流し
先祖のことを「お精霊さん」と呼ぶことがある。このお精霊さんが帰ってもらわないと困るということで、追い出すために行われる行事である。お盆の終わりに、お盆期間中に御供えした物を船に乗せ、川へと流す。
浄土真宗における盂蘭盆会
ここまでお盆について書いてきたが、実は浄土真宗においてはここまで書いてきたような「先祖供養」の意味合いでの盂蘭盆会は行わない。
寺院で行事を催したりご門徒の家を訪問してお経を読むことはするが、これはあくまで仏縁として行う。つまり、寺院に参拝したり仏壇前でお経を読むきっかけにしていただきたいという意味合いになる。
浄土真宗ではお念仏はあくまで阿弥陀如来への感謝の気持ちを表すものであり、親の供養のために称えるものではないというのが理由である。
参考文献
[2] 『お盆のはなし』(蒲池勢至 法蔵館 2012年)