安居

【あんご】

安居あんごの原語は、サンスクリット(梵語ぼんご)でヴァルシャ、パーリ語でヴァッサである。これは本来、「あめ」「雨季うき」「さい」などの意味をもつが、転じて「雨季の定住ていじゅう」となった。漢訳かんやくでは「安居」「雨安居うあんご」などとしるされる。

仏教教団では、雨季に出家者しゅっけしゃ遊行ゆぎょう(修行のためにめぐり歩くこと)により生物せいぶつを殺すことをけるために、定住で集団生活をしたことに由来ゆらいする。雨季には不必要な外出を禁止して、屋内での修行しゅぎょう専念せんねんした。

これは、すでにバラモンの法典ほうてん規定きていされていたものであり、バラモンやその他の宗教の修行者しゅぎょうしゃが、無用の殺生せっしょうを避けるために実践じっせんしていた。最初期の仏教教団はこれを取り入れていなかった。しかし、このことがやがて、社会から非難をびることとなる。その非難の内容は、仏教教団の出家者が雨季にもめぐり歩き、青草せいそうを踏みつぶし、植物の命をがいし、多くの小さな生命を殺しているというものである。ただし、安居をするとなると日々の托鉢たくはつは行えなくなり、特定の信者(スポンサー)による供養くようによって長期間(約90日間)の生活をしなければならない。釈尊がはじめ安居を取り入れなかった理由は、このような生活様式に問題があると考えていたからかも知れない。しかし、やがて弟子たちが路上でののしられるようにもなり、社会との関係が悪化すると釈尊も安居を取り入れざるを得なかった。

日本での安居

やがて、インドのような雨季が明確にない中国や日本にもこの制度が伝わってきた。陰暦いんれきの4月16日(または5月16日)から90日間、安居が行われ「夏安居げあんご」「夏行げぎょう」「夏籠げこもり「夏勤げつとめ」「坐夏ざげ」「坐臘ざろう」「」などとよばれる。日本では、683年に宮中きゅうちゅうで安居が行われたことが『日本書紀にほんしょき』に記されている。禅宗ぜんしゅうでは冬季にも安居が行われ、「冬安居とうあんご」「雪安居せつあんご」とよばれる。

浄土真宗本願寺派じょうどしんしゅうほんがんじはでの安居

浄土真宗本願寺派の安居は、1639年に初代能化のうけ学寮がくりょうの責任者)の准玄じゅんげんが「三帖和讃さんじょうわさん」を講義したことに始まり、2019年には7月18日~31日まで14日間、龍谷りゅうこく大学大宮学舎本館講堂で行われ現在に続く。安居に参加するには資格等が必要であり、「宗門最高の講会であり、真宗学および仏教学研鑽の成果を結集するもの」(『浄土真宗辞典』P.13より引用)とされており、いつのまにか碩学せきがくこころざすものの集まりとなった。本願寺派の安居は、生物のいのちを大切にするために始まった本来の趣旨とは、大きくかけ離れたものとなっている。

参考文献

[1] 『岩波 仏教辞典 第二版』(岩波書店 2002年)
[2] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[3] 『中村元選集〔決定版〕第14巻 原始仏教の成立』(中村元 春秋社 1992年)