冥福を祈らない

【めいふくをいのらない】

「冥福を祈る」という表現

「故人の冥福を祈る」という表現があります。これは葬儀の際の弔電ちょうでん等でよく耳にします。SNS 等でも、有名人が亡くなったとき等によく使われているところを見かけます。 広く用いられている表現ではありますが、浄土真宗では用いません。今回はその理由について述べていきたいと思います。

言葉の意味

冥福という単語を仏教辞典で調べてみますと以下のように書かれています。

冥界めいかい(死後の世界)における幸福. また,死者の冥界での幸福を祈って仏事ぶつじをいとなむこと.

(「岩波 仏教辞典 第二版」 P.998より)(※ルビは筆者が書き加えた)

冥界は冥途めいど冥土めいどとも呼ばれます。また、「岩波 新漢語辞典 第三版」によれば「冥」という漢字には

①光がなくてくらい。やみ。 (「岩波 新漢語辞典 第三版」 P.154より)

という意味があり、「冥土・冥途」という熟語には

死者の霊が行くという暗黒の世界。地獄じごく餓鬼がき畜生ちくしょう三悪道さんまくどう。よみじ。あの世。黄泉よみ(同じく P.154より)(※ルビは筆者が書き加えた)

という意味があります。つまり、冥福を祈るということは「死後の暗黒の世界における幸福を祈る」ということになります。

浄土真宗で用いない理由

次に、この言葉を浄土真宗で用いない理由を説明します。

死後の行先ゆきさき境遇きょうぐうはもう決まっている

浄土真宗では亡くなった方は阿弥陀仏の浄土に生まれると説かれています。親鸞しんらん聖人しょうにんは『けん浄土じょうど真実しんじつきょうぎょうしょう文類もんるい』(きょうぎょうしんしょう)の「しょうかん」で次のように書かれており、

  • 阿弥陀仏の浄土に生まれる
  • 必ずさとりに至る

ということが示されています。

煩悩にまみれ、迷いの罪に汚れた衆生が、仏より回向された信と行とを得ると、 たちどころに大乗の正定聚の位に入るのである。 正定聚の位にあるから、浄土に生れて必ずさとりに至る。

(「顕浄土真実教行証文類(下) 現代語訳付き 浅井成海 解説」 P.5より)

人が祈っても結果は変わらない

故人の死後の幸福を祈るということは追善ついぜん供養くようということになります。簡単に説明すると、い行いをしてどくを積み、それを故人へとこうして(分け与えて)救うということです。浄土真宗では煩悩ぼんのうまみれの私たちにそれは不可能であると考えます。故人を救うのは阿弥陀仏の力であり、人の力ではありません。

また、親鸞聖人は『しょうしん念仏ねんぶつ』の中で阿弥陀仏の徳を「無礙光むげこう」(何ものにもさえぎられることのない光)とたたえられています。人の力では救うこともできないし、またどんな煩悩もその救いを妨げることはできない。人は阿弥陀仏におまかせするしかないということになるのだと思います。

「暗闇の世界での幸せを祈る」ということ

以上の理由から、浄土真宗では「冥福を祈る」という表現を用いません。

ひねくれた見方をしますと「故人の冥福を祈ります」ということは「死後の暗闇の世界で迷っているあなたが、幸せになれますように」という意味になります。浄土真宗では阿弥陀仏より「必ず救うぞ」「浄土に生まれさせてさとりを得させるぞ」という呼びかけがあり、それにしたがってお念仏を称えます。そのような方に向かって「あなたが暗闇の世界に生まれてしまったかもしれない」と心配して祈ることはかえって失礼にあたるのではないでしょうか。

ですから、代わりに「哀悼あいとうの意を表す」という表現を用いればよろしいかと思います。これならば浄土真宗の教義とはぶつかりません。

その他、「安らかに眠る」という表現も用いません。故人は浄土で眠るわけではありません。さとりをひらいた後はこの世界に還ってこられ、私たちを真実に導きいれようとはたらきかけ続けてくださいます。

親鸞聖人は『教行信証』の「証巻」で次のように説かれています。

還相げんそうの回向というのは、思いのままに衆生を教え導くという真実の証にそなわるはたらきを、 他力によって恵まれることである。

(顕浄土真実教行証文類(下) 現代語訳付き 浅井成海 解説 P.23より)

この場合は代わりに「私たちをお導きください」という表現が使えます。

おわりに

ここまで否定的なことを長々と書いてきましたが、私は「冥福を祈る」という表現を使われる方の「故人が幸せであってほしい」という思い)を否定したいわけではありません。「祈らなくても故人は一番良い世界(阿弥陀仏の浄土)に生まれて幸せになるんだから安心してください、わざわざ言わなくても大丈夫ですよ」というのが私の意見です。

もちろん、浄土真宗のことを知らなければこの表現を使うのは自然なことだと思います。私としましては僧侶という立場から、浄土真宗の考え方を知ってもらいたいという想いがあります。教義には宗教、宗派ごとに細かい違いがあります。「この表現を使っておけばどこの宗教でも大丈夫」という理解に留まるのではなく、もう一歩踏み込んで興味を持っていただけると嬉しいです。

参考文献

[1] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[2] 『岩波 仏教辞典 第二版』(岩波書店 2002年)
[3] 『岩波 新漢語辞典 第三版』(岩波書店 2014年)
[4] 『顕浄土真実教行証文類(下) 現代語訳付き 浅井成海 解説』(本願寺出版社 2011年)
[5] 『仏事Q&A 浄土真宗本願寺派』(前田壽雄 図書刊行会 2014年)

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