自力
概要
ここでは浄土真宗における自力の意味について解説する。自力とは他力に対する語であり、簡単にいうと人の力のことである。それに対し、他力は阿弥陀仏の救いの力である。
『浄土真宗辞典』によれば
他力に対する語。自ら修めた身・口・意の善根によって迷いを離れようとすること。
(『浄土真宗辞典』P.383より)
である。浄土真宗は他力によって救われていく教えであり、自力に頼るべきではないことがいわれている。
宗祖親鸞のいう自力
宗祖親鸞は自力について『一念多念文意』(『一念多念証文』)に次のように示した。
他力の念仏以外の行を好んで修めるものは、自力をたのみとして行にはげむ人に他ならない。自力というのは、自分の力を頼って行にはげみ、自分がつくるさまざまな善を頼りにする人のことである。
(『浄土真宗聖典 一念多念証文(現代語版)』P.27より)
ここに示されるように、親鸞は他力念仏以外の行を修めてその力を浄土往生のために役立てようとすることを自力といった。一般的にはこれが仏道であり、親鸞が9歳から29歳まで比叡山で行っていた修行もこれにあたる。
三願転入
親鸞は29歳のときに比叡山を下りて法然の弟子になり、専修念仏の道(専ら称名念仏を修める教え)を歩むようになった。
親鸞は自らが自力修行の道から他力念仏の道に至った過程について『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)「化身土文類」の中で次のように述べている。
このようなわけで、愚禿釈の親鸞は、龍樹菩薩や天親菩薩の解釈を仰ぎ、曇鸞大師や善導大師などの祖師方の導きにより、久しく、さまざまな行や善を修める方便の要門を出て、永く、双樹林下往生から離れ去り、自力念仏を修める方便の真門に入って、ひとすじに難思往生を願う心をおこした。しかしいまや、その方便の真門からも出て、選択本願の大海に入ることができた。速やかに難思往生を願う自力の心を離れ、難思議往生を遂げようとするのである。必ず本願他力の真実に入らせようと第二十願をおたてになったのは、まことに意味深いことである。
(『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』P.528より)
これを整理すると、親鸞は自力諸行を修めて往生する方便の教えと自力念仏を修めて往生する方便の教えを経て他力念仏を修める選択本願の教えに導かれたことになる。これらはそれぞれ第十九願、第二十願、第十八願に対応している(仏教知識「生因三願」参照)。つまり親鸞は第十九願の教えと第二十願の教えを経て第十八願の教えに導かれていったことになる。このことを「三願転入」という。ここでいう三願とは四十八願のうち第十八願、第十九願、第二十願の三つの願のことを指している。これを表にまとめると次のようになる。
またここでは、方便の教えから真実の教えへと導いてくれたとして阿弥陀仏の第二十願のはたらきを讃えている。
自力心と自力念仏
先に述べたように、自力念仏と他力念仏は区別される。阿弥陀仏よりいただいた念仏という点では同じだが、称えるときに自力心(自らが称えた力により浄土に往生しようとする心)が含まれるとそれは自力念仏となる。
親鸞は自力心のことを阿弥陀仏の本願を疑う心であるとし、『三帖和讃』「正像末和讃」「誡疑讃」23首を作成してこのことを誡めた。例えば次のような和讃がある。
(六一)
仏智の不思議をうたがひて 自力の称念このむゆゑ
辺地懈慢にとどまりて 仏恩報ずるこころなし
(『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』P.610より)
思いはかることのできない阿弥陀仏の智慧を疑って、自力の念仏にとらわれるので、方便の浄土にとどまってしまい、仏のご恩に報いようとする心もおこらない。
(『浄土真宗聖典 三帖和讃(現代語版)』P.164より)
(六五)
自力称名のひとはみな 如来の本願信ぜねば
うたがふつみのふかきゆゑ 七宝の獄にぞいましむる
(『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』P.611より)
自力の心で念仏する人は、みな阿弥陀仏の本願を信じず、疑う罪が深いので、金・銀・瑠璃・水晶・珊瑚・碼碯・硨磲などの七つの宝でできた牢獄に閉じこめられる。
(『浄土真宗聖典 三帖和讃(現代語版)』P.166より)
参考文献
[2] 『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』(本願寺出版社 2000年)
[3] 『浄土真宗聖典 一念多念証文(現代語版)』(本願寺出版社 2001年)
[4] 『浄土真宗聖典 三帖和讃(現代語版)』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2016年)
[5] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[6] 『親鸞聖人の教え』(勧学寮 本願寺出版社 2017年)