仏飯
【ぶっぱん】
仏飯を供える行為は浄土真宗に限らず、日本の仏教に際して広く認知されたお供えである。
浄土真宗に際しての供飯(尊前に仏飯を供える事で上供ともいう)は、故人に対して食事を摂っていただくという目的は全くなく、阿弥陀如来に「今日もご飯をいただけます。」といった感謝の報告である。
上供する時間としては朝が好ましい。本願寺では晨朝勤行(午前六時より)の最中にお供えされる。下供はいつでもよい。本願寺でも晨朝勤行の後、日中(午前十時以降)前には下供されている。
仏飯やその他のお供えした食べ物(果物、菓子、餅等)は、無駄にしないように必ず食べて頂きたい。しばしば、仏壇でカピカピになった仏飯を見受けることがあるが、乾燥させてしまうくらいなら、すぐに食べられないということで炊飯器の中に戻してもらっても構わない。万が一、仏飯を放置したなら、少し水を垂らしてから焼きめしにしても美味しく頂ける。飽食の現代だから有り得てしまう事象である。
近年では毎日ご飯を炊かないという習慣が生まれたり、また本願寺教団には日本国外にも多数の門徒がおり、米の代用にパンを用いることも認められている。
米と仏教は関係性が深く、釈尊の父親は浄飯王、 兄弟に白飯、斛飯、甘露飯と呼称される方がいる。またシャカ族はネパールのタラーイ地方、首都カピラヴァストゥはヒマラヤ山脈の麓で、ガンジス河の支流であるローヒニー河に面しており水田耕作に適していたようだ。日本でいう寿司の舎利もお米と釈尊に因んだ諸説がある。