龍谷会
【りゅうこくえ】
龍谷会は毎年十月十五日、十六日に大谷本廟で行われる報恩講のことである。
大谷本廟は本願寺第三代覚如が命がけで建立したお堂である(仏教知識「覚如①」、「覚如②」参照)。昔の呼称は大谷影堂・大谷廟堂・大谷本願寺などさまざまあり、親鸞の墓地でもある。本願寺第八代蓮如の時代、寛正の法難(仏教知識「蓮如」参照)によって大谷の地を離れることになり、本願寺第十二代准如の時代に徳川幕府の命によって現在の地に廟堂が建立された。この時にこの地を大谷と呼ぶようになった。そして本願寺第十四代寂如が祖廟、拝堂を完成させて龍谷山という山号を仏殿に掲げて大谷本廟の報恩講をあらためて勤修することになった。この時は大谷会や本廟報恩講などと呼ばれていた。本願寺第二十一代明如の時にこの報恩講を龍谷会とあらためた。寂如が掲げた龍谷の由来は豅と読む字を「谷」と「龍」に分けたものといわれている。現在の豅の地は国道一号線が通る大動脈である。深い谷の斜面を上り東山を抜け山科・大津へと続く、大きな谷の地である。
龍谷会の一番の特徴は諸僧が庭儀参進をすることである。一般的に本願寺の勤行や法要では諸僧は後門から入堂する。後門とは本尊(阿弥陀如来または御真影)の真後ろにある出入り口のことである。
庭儀とは諸僧が山門(寺院入り口の門)より練り歩きお堂の入り口から入場して内陣へ進む作法である。山門から歩くことによって参拝者からも普段とは違った視点で法要を見ることが出来る。
本願寺は一月九日より御正忌報恩講を勤める。龍谷会とは別に実際の報恩講の時期に大谷本廟では、一月十三日より十六日まで報恩講をあらためて勤修する。
なお余間の荘厳については仏教知識「余間」も参照のこと。
参考文献
[1] 『浄土真宗本願寺派 法式規範(改訂版)』(浄土真宗本願寺派 勤式指導所 本願寺出版社 1999年)
[2] 『知っておきたい本願寺の故実』(鎌田宗雲 永田文昌堂 2019年)
[3] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[2] 『知っておきたい本願寺の故実』(鎌田宗雲 永田文昌堂 2019年)
[3] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
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