悪人正機 (2)
悪人正機の意味については仏教知識「悪人正機 (1)」を参照のこと。この記事は続きである。
誰が悪人正機説を言い始めたのか
仏教知識「悪人正機 (1)」では『歎異抄』に記された親鸞の言葉を紹介し、その意味を解説した。ここでは悪人正機説の発祥について『聖典セミナー 歎異抄』と『親鸞聖人の教え・問答集』に基づいて述べる。
善導
浄土教とは阿弥陀仏による救いを説く教えである。阿弥陀仏の救いは平等であるから、浄土教はもともと悪人正機といえる。真宗七高僧の善導大師は『観無量寿経疏』「玄義分」において次のようにいった。
諸仏の大悲心とは、苦しみ悩む人に焦点を合わせてはたらく心です。その心は偏に煩悩の濁流に巻き込まれて、苦しみ悩んでいる人を憐れみ念じ、安らかな涅槃の浄土へ迎え取ろうとはたらき続けています。たとえば、川の岸辺で遊んでいる子供よりも、濁流に落ち込み、今にも溺れ死にそうになっている子供を、優先して救うようなものです (『親鸞聖人の教え・問答集』P.200より)
ここでは聖者を岸辺で遊んでいる子供、凡夫を溺れ死にそうになっている子供にたとえている。聖者は煩悩を断ちきっているが、まださとりを完成していない。さとりを完成するには阿弥陀仏の本願に帰依して往生する必要があるが、さしあたってすぐに救わなければいけないわけではない。一方、凡夫は煩悩に溺れているのですぐに救わなくては命が危ない。
法然
善導の教えを承けて浄土宗を開いた法然は『選択本願念仏集』「二門章」においてこういった。
元暁の『遊心安楽道』にいはく、「浄土宗の意、本凡夫のためなり、兼ねては聖人のためなり」と。
(『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』P.1185より)
法然がここで引用した元暁の文では、浄土宗の教えは本来は凡夫のためであり、聖者のためも兼ねているといわれている。これは悪人正機、善人傍機の考え方に通じる。さらに『法然上人伝記』(醍醐本)の「三心料簡および御法語」「第七条」によれば、法然は次のようにいった。
悪機を一人置きて、此の機の往生しけるは謂はれたる道理なりけりと知るほどに習ひたるを、浄土宗を善く学びたるとは云ふ也。此の宗は悪人を手本と為し、善人まで摂する也。聖道門は善人手本と為し、悪人をも摂する也。云云。
(『聖典セミナー 歎異抄』P.137より)
法然は、どうしようもない悪人を目の前にして「この人が念仏して往生するのはもっともなことである」と言い切れる人こそ浄土宗をよく学んだ人だといっている。そして、悪人が手本(正機)であり善人が傍機だといった。一方、聖道門の教えにおいては逆の考え方だといった。
そして、同じく「三心料簡および御法語」「第二十七条」で
善人尚以往生況悪人乎事。
(『浄土真宗聖典全書(六) 補遺篇 上』P.722より)
(書き下し文)
善人なほもって往生す、いはんや悪人をや(『聖典セミナー 歎異抄』P.137より)
と、明確な言葉で悪人正機を表現した。これは『歎異抄』「第三条」に記された親鸞の言葉と同じ表現である。
善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
(『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』 P.833より)
つまり悪人正機の考え方自体はもともと浄土教にあり、それをはっきりとした表現でいったのは法然が初ということになる。
唯円「親鸞聖人は『法然聖人がこう仰った』と仰った」
『歎異抄』「第一条」から「第十条」には、筆者である唯円が親鸞から直接聞いた言葉が記されている。そのため各条の最後は「と云々」という文面で結ばれている。ところが、「第三条」と「第十条」の最後は「と仰せ候ひき」となっている。これは「……と(法然聖人は)仰せになった」ということで、「第三条」と「第十条」の内容は親鸞が法然の言葉をそのまま唯円に語ったものではないかと考えられる。このことからも、最初にはっきりと悪人正機説を唱えたのは法然だったといえる。
法然発祥説を疑問視する見方
ただし、この法然の言葉は口伝(口伝えに受けた教え)である。『法然上人伝記(醍醐本)』は法然の弟子である勢観房源智が法然から聞いた言葉が元になっている。先に引用した文の後には「口傳有之」(口伝これあり)という言葉が続き、そして源智による解説が述べられる。口伝ということから、これが本当に法然自身の言葉だったのかを疑問視する見方もある。
法然の善人正機
また、法然の法語を収録した『和語灯録』や『西方指南抄』には逆に善人正機を表したものもある。これらは倫理的な配慮をこめて書かれたものだといわれている。つまり現実の生活をいましめるために、悪を行わず善を行うことを勧めた。また、自身の往生に自信が持てない人に「悪人ですら救われるのだから、善人であるあなたは必ず救われますよ」と力づけた手紙もある。これは相手の持つ信仰に寄り添った言葉だといえる。
誰が「悪人正機」という単語を使ったのか
親鸞、法然の場合
次に「悪人正機」という単語そのものの発祥について述べる。この単語は親鸞の著書の中にはみられない。正機・傍機という単語は『愚禿鈔』「上巻」にある。しかし、ここでは凡夫である天・人を正機とし、聖者である菩薩・縁覚・声聞を傍機としている。悪人正機では凡夫の中の悪人を正機とし、凡夫の中の善人を傍機とするのでこれとは異なる。また『顕浄土真実教行証文類』「化身土文類」に
悪人往生の機たることを彰すなり。
(『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』 P.382より)
未来の衆生、往生の正機たることを顕すなり。
(同上)
とある。内容的には悪人正機だが、悪人正機という単語は使っていない。また、法然も正機・傍機という単語は使っていない。
覚如の『口伝鈔』
浄土真宗において最初に「悪人正機」に近い単語を用いたのは本願寺第3代覚如である。『口伝鈔』「第十九条」に「正機たる悪凡夫」、「傍機たる善凡夫」(「悪凡夫正機」、「善凡夫傍機」)という言葉がみられる。
御釈にも、「一切善悪凡夫得生者」と等のたまへり。これも悪凡夫を本として、善凡夫をかたはらにかねたり。かるがゆゑに傍機たる善凡夫、なほ往生せば、もっぱら正機たる悪凡夫、いかでか往生せざらん。しかれば、善人なほもつて往生す。いかにいはんや悪人をやといふべしと仰せごとありき。
(『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』 P.908より)
ここでは善導の『観無量寿経疏』の文を引用し「阿弥陀仏の本願が悪凡夫の救いを本意とし、善凡夫は傍らに兼ねるような在り方で救われる」といっている。こうして覚如は、悪人正機説は遠く遡れば善導から始まったことを述べた。
善導→法然→親鸞→如信→覚如
また、覚如はこの「第十九条」の冒頭でこのように述べている。これにより、ここに述べられる悪人正機説が源空(法然)→親鸞→如信と三代伝持(※)された教えであり、如信から覚如へと伝授された教えであることを示した。
本願寺の聖人(親鸞)、黒谷の先徳(源空)より御相承とて、如信上人仰せられていはく、
(『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』 P.907-908より)
なお実際には覚如は如信ではなく『歎異抄』を著した唯円から直接教わったものとみられる。
- 三代伝持
- 浄土真宗の教えが法然、親鸞、如信(親鸞の孫で、本願寺第2代とされる)の三代によって正しく伝えられたとする主張。如信から教えを授かった覚如が『口伝鈔』や『改邪鈔』で示したもので、覚如自身が正しく教えを継承していることを明らかにしている。
また、悪人正機説は浄土真宗以外の浄土宗各宗派にも伝わっており、鎮西浄土宗や西山浄土宗の文献にそれを示す文がみられる。
悪人正機の誤解
悪人正機の教えは「悪いことをした方が往生しやすい」や「悪いことをした方がいい」などと、悪を勧めているかのように誤解されやすい。これを表した造悪無碍(悪を造ることに碍無し)という熟語がある。悪事を犯しても浄土往生のさまたげにならないという考え方である。
悪人正機の教えが口伝になった理由
先に述べたように、親鸞は自身の著書の中では悪人正機の教えをはっきりとは書いていない。唯円が親鸞から口伝えに聞いたものが『歎異抄』に書かれているのみである。こうなったのは悪人正機の教えが誤解されやすいからである。そのため、この教えは正しく意味を理解できる人にのみ口伝えされた。
法然への批判
実際に法然の教えは批判を受けている。その一つに1204年(元久1)に比叡山より加えられた専修念仏停止の弾圧がある。これに対し、法然は比叡山の天台座主に対して「起請文」を送った。同時に門弟に対しても守るべき内容を七ヵ条にまとめた『七箇条制誡』を示し、これに署名させた。この「第四条」では
「(前略)そればかりか本願を信じる者は、悪を造ることを恐れてはならないなどと公言する者がいる。そのような邪見を懐いてはならない」
(『親鸞聖人の教え・問答集』P.233より)
と述べ、弟子達を誡めている。
まとめ
ここまで述べてきたように、悪人正機とは阿弥陀仏の救いが平等であることを表した言葉である。平等であるからこそ、その救いは主として悪人に向けられる。しかしこれは「悪いことをした方が救われやすい(浄土に往生しやすい)」という意味ではない。ここでいう善悪は一般社会における善悪ではなく仏教における善悪である。そもそも親鸞の考え方では、仏の基準からいえば全ての人は悪人である。煩悩まみれの者が善を行おうとしてもそれは自力の善になってしまい、むしろ阿弥陀仏の救いを疑うことにすらなるから止めるべきである。
悪人正機の教えは古くは善導の著書にみられ、それを初めてはっきりと表したのは法然である。親鸞もその言葉を口伝えに受け継いでおり、それを唯円が『歎異抄』に著した。ただし、彼らは悪人正機の単語は用いていない。浄土真宗においてこの単語(に近いもの)を初めて用いたのは覚如である。
親鸞が自らの著書の中で悪人正機という単語を使わなかったのは、この教えが誤解を生みやすいからである。実際、法然は何度も批判に晒されている。この悪人正機の教えは仏教の常識を善人正機から大きく転換するものであった。
参考文献
[2] 『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』(浄土真宗教学研究所 浄土真宗聖典編纂委員会 本願寺出版社 1996年)
[3] 『浄土真宗聖典全書(六) 補遺篇』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2019年)
[4] 『浄土真宗聖典 歎異抄(現代語版)』(浄土真宗聖典編纂委員会 本願寺出版社 1998年)
[5] 『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』(本願寺出版社 2000年)
[6] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[7] 『聖典セミナー 歎異抄』(梯實圓 本願寺出版社 1994年)
[8] 『親鸞聖人の教え・問答集』(梯 實圓 大法輪閣 2010年)
[9] 『聖典セミナー 教行信証 信の巻』(梯實圓 本願寺出版社 2021年)
[10] 『親鸞教義の誤解と理解』(村上速水 永田文昌堂 1984年)
[11] 『岩波 仏教辞典 第二版』(岩波書店 2002年)