導師 調声
「導師」とは葬儀などでよく耳にする単語である。『浄土真宗辞典』には2つの意味が書かれている。以下、それぞれの意味について解説する。
(1) 人々を真実の世界へ導く師
『浄土真宗辞典』によれば1つめの意味は「人々を真実の世界へ導く師」である。
[1] 人々を真実の世界へ導く師のこと。 『大経』には「今日世眼、導師の行に住したまへり」(註8)と説かれている。 (『浄土真宗辞典』P.492より)
『大経』(『仏説無量寿経』)の中で釈尊を指して導師という言葉が使われている。この「今日世眼、導師の行に住したまへり」の文を現代語訳すると次のようになる。
迷いの世界を照らす智慧の眼として、人々を導く徳をそなえておいでになります。
(『浄土真宗聖典 浄土三部経(現代語版)』P.13 より)
これは「五徳瑞現」の1つである。五徳瑞現とは『大経』を今まさに説こうとしている釈尊のすがたのことである(詳しくは仏教知識「五徳瑞現」参照のこと)。ここでは阿難が釈尊のことを「人々を真実の世界へ導く師」であると讃えている。
(2) 調声する者
『浄土真宗辞典』によれば2つめの意味は「調声する者」である。
[2] 法要や儀式に際し、諸僧の主となって執行する者のこと。 本願寺派では、法要の時に登礼盤をして調声する者、 および葬儀の時に調声する者のこと。 (『浄土真宗辞典』P.492より)
「調声」は以下のように説明されている。
声明の句頭を単独で唱え始めること。 本願寺派では、法要または勤行に際して、登礼盤しないで調声する者のことを調声人という。 (『浄土真宗辞典』P.479-480より)
要するにお勤めをする際に最初の部分(多くの場合は最初の一行)を一人で読み上げることを調声といい、その役割を果たす人を調声人という。
登礼盤とは礼盤に乗る作法をいう。礼盤とは法要の際に用いられる仏具である。詳しくは仏教知識「礼盤」を参照のこと。
これらをまとめると以下の図のようになる。
「引導を渡す」ことはしない
仏教一般においては葬儀の際、導師は法語や作法などによって故人を浄土へ導く。この儀式を引導といい、「引導を渡す」という表現が用いられる。しかしこれは浄土真宗では用いない。
浄土真宗では故人は阿弥陀仏の本願のはたらきによって浄土に生まれ、そこでさとりを開く。これは阿弥陀仏だけができるはたらきであり、凡夫である導師には到底そのようなことはできない。導師とはあくまで調声する者を指していう。だから「引導を渡す」とはいわない。
参考文献
[2] 『浄土真宗聖典 浄土三部経(現代語版)』(浄土真宗教学研究所浄土真宗聖典編纂委員会 本願寺出版社 1996年)