仏徳讃嘆

【ぶっとくさんだん】

仏徳ぶっとく)讃嘆

讃嘆さんだんとは、ぶつ菩薩ぼさつなどのとくをほめたたえることである。讃歎さんだんともいう。浄土じょうど真宗しんしゅうにおいては阿弥陀仏あみだぶつの徳をほめたたえることをいい、仏徳讃嘆とも表現される。

浄土真宗では仏徳讃嘆と仏恩ぶっとん報謝ほうしゃのために仏事ぶつじ(法要、法事、葬儀などすべての勤行ごんぎょう)をつとめる。阿弥陀仏の徳を讃えることにより、阿弥陀仏から受ける恩に感謝しむくいるのが仏事を勤める目的である。

七高僧と宗祖の著書に見られる讃嘆

天親てんじん菩薩ぼさつ

天親は『無量寿むりょうじゅきょう優婆うば提舎だいしゃ願生がんしょう』(『浄土じょうどろん』)の中で阿弥陀仏の浄土に往生するための五種の行としてねんもんぎょう礼拝らいはい・讃嘆・作願さがん観察かんざつ回向えこう)を示した。五種の行の一つに讃嘆が挙げられ、名号をとなえて阿弥陀仏の功徳くどくをたたえることとされている。

曇鸞どんらん大師だいし

曇鸞は『無量寿むりょうじゅきょう優婆うば提舎だいしゃ願生がんしょうちゅう』(『浄土じょうどろんちゅう』、『往生おうじょうろんちゅう』) の中で往生のいんとして五念門を挙げ、讃嘆門に示された称名を凡夫ぼんぶにふさわしい浄土往生の行とした。

善導ぜんどう大師だいし

善導は『かん無量寿むりょうじゅきょうしょ』(『観経かんぎょうしょ』)の「散善さんぜん」の中で浄土往生の行としてしょうぎょう読誦どくじゅ・観察・礼拝・称名・讃嘆さんだん供養くよう)を示した。ここでは讃嘆供養は阿弥陀仏の功徳をほめたたえ、衣食や香華こうげ(香と花)などをささげて供養することとされている。

親鸞しんらん聖人しょうにん

親鸞は『けん浄土じょうど真実しんじつきょうぎょうしょう文類もんるい』(『(きょう)教ぎょうしんしょう』)の中で善導のしょうぎょうの話について触れており、その中に讃嘆が出てきている(『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』 P.396 を参照)。

また『浄土和讃じょうどわさん』の「讃阿弥陀仏偈讃さんあみだぶつげさん」は阿弥陀仏・聖衆しょうじゅ(菩薩など)・浄土を讃嘆するものである。例えば以下に示す和讃で阿弥陀仏の智慧ちえ功徳くどくを讃嘆している。

ぶっ功徳くどくをほめしめて 十方じっぽう有縁うえんにきかしめん

信心しんじんすでにえんひとは つねに仏恩ぶっとんほうずべし (『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』 P.565 より)

 

阿弥陀仏の智慧と功徳をほめたたえ、すべての世界の縁あるものに聞かせよう。 すでに真実の信心を得ている人は、常に仏のご恩に報いるがよい。

(『三帖和讃(現代語版)』 P.31 より)

参考文献

[1] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[2] 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2004年)
[3] 『浄土真宗聖典 三帖和讃(現代語版)』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2016年)

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