信一念釈 (1)

【しんいちねんじゃく 01】

信一念釈とは、親鸞しんらんが『けん浄土じょうど真実しんじつきょうぎょう証文類しょうもんるい』(『教行信証きょうぎょうしんしょう』)「信巻しんかん」の中で、信楽しんぎょう一心いっしんに「一念」の義があることを論証する解釈のこと。三一さんいち問答もんどう(仏教知識「三一問答 (1)」など参照)、菩提心釈ぼだいしんじゃく(仏教知識「菩提心釈」参照)に続いて論じられた。

親鸞は、三一問答において至心ししん・信楽・欲生よくしょう三心さんしんが信楽の一心におさまることを示し、続く菩提心釈においては信楽の一心が横超おうちょうの菩提心であることを示した。信一念釈では、これらの解釈を踏まえたうえで本願ほんがん成就じょうじゅもんの「乃至ないし一念いちねん」を引き、信楽の一心には信心がおこる最初のときと疑いの心がまじらない信心の姿が兼ね備わっていること(信一念、信の一念)を示した。

この信一念釈は、『教行信証』「行巻ぎょうかん」における

おほよそ往相おうそう回向えこうぎょうしんについて、ぎょう一念いちねんあり、またしん一念いちねんあり

(『浄土真宗聖典 -註釈版-』P.187より)

【現代語訳】
そうじて、往相おうそう回向えこうぎょうしんについて、ぎょう一念いちねんがあり、またしん一念いちねんがある。

(『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』P.111より)

と書かれた「行一念釈ぎょういちねんじゃく」とついの関係にある。行一念釈における一念は、信心しんじん獲得ぎゃくとく後の最初の一声の念仏とした遍数釈へんじゅしゃくと、ただ念仏のみを行としほかの行をならしゅさない行相釈ぎょうそうしゃくという解釈がなされている。信一念釈でも、一念について時剋釈じこくしゃく信相釈しんそうしゃくの二つの解釈がなされている。親鸞の師であるほうねんまでは、本願成就文における「一念」は、「行の一念」として解釈されていたが、親鸞はそこに「信の一念」という解釈をほどこし、信心しんじん正因しょういん(浄土に往生するためには信心が正しい因となる)という浄土真宗の信心のすがたを明らかにした。

構成(『聖典セミナー教行信証 信の巻』による)

① 信の一念

「一念」について、時間的な解釈(時剋じこく釈)と信心のすがたについての解釈(信相釈)を施し、一念とは信楽の一心であることを示し、清浄報土しょうじょうほうどの真因であると結論づけた。

② 現生十種の利益りやく

続いて、親鸞は真実の信心をた者は、迷いの世界や仏法にうことのできない世界を離れ、現世で十種の利益を獲て正定聚しょうじょうじゅ不退ふたいくらいに入るとした。

往生おうじょう成仏じょうぶつの因

善導ぜんどうが示した専念せんねんとは念仏の一行のことであり、専心せんしんとは信楽の一心であるとする。そして、本願成就文の一念は専心であるとし、そこからさまざまな経典で使用される信心の異名いみょうを転じていく(転釈てんじゃく)。そして、本願によって獲る信心は大菩提心であり大慈悲心であるので、往生浄土の正因となるとした。

④ 結びの言葉

まず、信楽の一心こそが阿弥陀あみだ如来にょらい本願ほんがん相応そうおうする教えであるとして、信一念釈の結びを置いて、この一心を讃歎している。そして、至心・信楽・欲生の三心は信楽の一心であり、その一心は金剛の真心しんしんであるとして、三一問答から始まる三心釈さんしんしゃくを結ぶ。

続く(2)では「信の一念」について詳しく解説をしていく。

参考文献

[1] 『聖典セミナー 教行信証 信の巻』(梯實圓 本願寺出版社 2021年)
[2] 『親鸞の教行信証を読み解くⅡ ―信巻―』(藤場俊基 明石書店 1999年)
[3] 『浄土真宗聖典 -註釈版-』(本願寺出版社 2004年)
[4] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[5] 『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』(本願寺出版社 2000年)
[6] 『浄土真宗聖典 浄土文類聚鈔 入出二門偈頌(現代語版)』(本願寺教学伝道研究所 聖典編纂監修委員会 本願寺出版社 2009年)
[7] 『浄土真宗聖典 尊号真像銘文(現代語版)』(浄土真宗本願寺派総合研究所 教学伝道研究室 <聖典編纂担当> 本願寺出版社 2004年)