旧訳

【くやく】

漢訳仏典かんやくぶってんふるい訳のこと。仏典をサンスクリット(梵語ぼんご)などから漢語に訳出やくしゅつ(漢訳)したものを漢訳仏典と呼ぶが、これらは特定の時代区分により、「旧訳」と「新訳しんやく(新しい訳)」に分類される。その時代区分の画期かっきは、とうの時代に活躍した訳経僧やくきょうそう(※1)、玄奘げんじょう(仏教知識「玄奘」(「前編」・「後編」)参照)の訳である。玄奘より前の漢訳仏典を「旧訳」として、玄奘以降を「新訳」とする。これは、玄奘がそれまでの漢訳仏典にはびゅう(訛はなまり 謬は誤り)があると批判して、鳩摩羅くまらじゅう(仏教知識「鳩摩羅什」参照)などによって定型となっていた多くの訳語やくごを新訳語に改めたことと、原典げんてんに対して語学的に忠実であることを目指したことにある。(仏教知識「新訳」参照)

また、「旧訳」についてさらに「古訳こやく」と「旧訳」に分類されることもある。これについて仏教学者の船山徹は、

 旧訳については、これをさらに「やく」と「旧訳」に細分することもある。この分け方はとりわけ日本で受け入れられているが、中国や台湾にも用いる人はいる。ただ、「古」と「旧」とを区別して時代差を与えるこの区分は漢語としても日本語としても少し奇妙だ。おそらくこれは、『仏書解説大辞典』や『大正新脩大蔵経図像部』の編纂で名高い仏教学者の小野おのげんみょうの創案と思われる。小野は漢訳を全六期に分ける自説を示した上で、「旧訳の語の他に別にして古訳なる新語を作り一時期を画する必要はあるまい」という考えもあろうが、と断った上で、「旧訳の語のほかに……古訳の語を作りそれを歴史に照して一時期を与えても決して差支はないやうである」と述べている(小野一九三六)。

(『仏典はどう漢訳されたのか―スートラが経典になるとき』 P.21-22より)

として、「古」と「旧」との区別が「奇妙きみょう」であるとしている。この「古・旧」に細分さいぶんする小野おのげんみょうの学説では、道安どうあんを画期とする。ただし、現代の研究者が「古・旧」に細分する場合は鳩摩羅什を画期とするが、いずれにしてもあまり浸透しんとうはしていない。

「旧訳」時代に活躍した人びと(※2)として、安世高あんせいこう支婁迦しるかしん(しるかせんは誤読か)、支謙しけん在家信者ざいけしんじゃ)、竺法じくほう、鳩摩羅什、仏陀ぶっだばっ陀羅たら曇無讖どんむしん求那ぐなばっ陀羅だら菩提ぼだい流支るし(流は留とも表記)、真諦しんたい、などがいる。それぞれの主な仏典を以下に挙げる。

訳出者 題名 巻数 原典著者
安世高 仏説ぶっせつ大安般だいあんぱんしゅきょう 二巻
おん入経にゅうきょう 二巻
支婁迦讖 道行どうぎょう般若はんにゃきょう 十巻
般舟はんじゅ三昧ざんまいきょう 三巻
支謙 仏説ぶっせつゆいきつきょう 二巻
仏説ぶっせつたいずいおうほんきょう 二巻
仏説ぶっせつ阿弥陀あみださんさんぶつ仏壇ぶつだんにんどうきょう
(『だい阿弥陀あみだきょう』)
二巻
だいみょうきょう 六巻
竺法護 しょうほっきょう 十巻
こうさんぎょう 十巻
仏説ぶっせつようきょう 八巻
ぜん一切いっさいとくきょう 五巻
鳩摩羅什 (仏教知識「鳩摩羅什」参照)
仏陀跋陀羅 大方広仏だいほうこうぶつごんぎょう 六十巻
仏説観仏三昧海ぶっせつかんぶつざんまいかいきょう 十巻
摩訶まかそうりつ』(法顕ほっけん 共訳) 四十巻
曇無讖 だいはつはんぎょう 四十巻
菩薩ぼさつ地持じじきょう 十巻
悲華ひけきょう 十巻
求那跋陀羅 ぞう阿含あごんぎょう 五十巻
勝鬘しょうまん師子吼ししく一乗いちじょう大方便だいほうべんほうこうきょう 一巻
りょうほうきょう
〈『りょうきょう』〉
四巻
菩提留支 入楞伽経にゅうりょうがきょう 十巻
金剛般若波羅蜜経こんごうはんにゃはらみつきょう 一巻
無量寿経むりょうじゅきょう優波うばだいしゃ願生がんしょう』(『浄土論じょうどろん』) 一巻 天親てんじん
みょうほうれんきょうだいしゃ 二巻 天親
十地経論じゅうじきょうろん 十二巻 天親
真諦 だつしゃしゃくろん 二十二巻 天親
摂大乗論しょうだいじょうろん 三巻 無着むじゃく
摂大乗論釈しょうだいじょうろんしゃく 十五巻 天親
仏性論ぶっしょうろん 四巻 天親
大乗起信論だいじょうきしんろん 一巻 馬鳴めみょう
中辺分別論ちゅうへんふんべつろん 二巻 天親

以上

題名と巻数は『大正たいしょう新脩しんしゅう大蔵経だいぞうきょう総目録そうもくろく』を参照した。原典著者の表記が異なる、「婆藪槃豆(ヴァスバンドゥ)」「天親」「しん」は同一人物のため「天親」に統一した。

これら「旧訳」の訳経僧として特に功績こうせきの大きかったのは鳩摩羅什である。鳩摩羅什より前の訳出は、原典に正確なちくやくてきなものかかんけんの人びとにわかりやすい訳的やくてきなものかの二つの方向性でうごいていた。漢語にけていた鳩摩羅什は、意訳的ではあるが読みやすくてわかりやすい、中国の人びとに好まれる美しい名文めいぶんを訳出した。これにより、訳出は意訳的な方向へと進んでいく。当時の中国では、まだまだ漢人かんじん(漢族の人)僧侶に深く仏教ぶっきょう教義きょうぎが理解されていなかった。また、民衆みんしゅうの仏教信仰しんこうも不十分であったために、簡潔性を好む中国の人びとに分かりやすいように訳出することを優先したとされる。このことは、訳場やくじょう(訳出をする場所)を公開にして、一つのほう(仏教儀式)として多くの僧侶や民衆に参加をさせた上で、訳出をして同時進行的にその仏典の講義を行ったことからもうかがえる。これらの法会に参加した人数は多い時で数百人に上ったと伝えられている。「旧訳」は、中国にとって外来の宗教である仏教を定着させる大きな役割を果たした。

語注

※1 訳経僧
仏典を梵語などから漢語に訳出(翻訳)する僧侶
※2 「旧訳」時代に活躍した人びと
安世高(生没年不詳)
後漢ごかん時代の訳経僧。安息国あんそくこく(現在のトルクメニスタン)の皇太子であったが、弟に皇位をゆず出家しゅっけした。洛陽らくよう(現在の中国河南省)に移って活躍した。
支婁迦讖(生没年不明)
後漢時代の訳経僧。大月支だいげっし(中央アジアの遊牧民)出身で洛陽に移って活躍した。大乗だいじょう仏典を最初に訳出したとされる。
支謙(2世紀末~3世紀中頃)
三国さんごく時代の人。祖父が大月支から後漢に移り帰化きかしたとされる。在家信者であったが、(三国時代の江南の国)で活躍した。その訳文はすぐれていると評価が高かった。
竺法護(239~316)
西晋せいしん時代の訳経僧。敦煌とんこう(現在の甘粛省かんしゅくしょう敦煌市)に生まれた月支系帰化人の末裔まつえい。敦煌・酒泉しゅせん(現在の甘粛省酒泉市)・長安ちょうあん(現在の陝西省せんせいしょう西安市せいあんし)・洛陽らくよう(現在の河南省かなんしょう洛陽市らくようし)で活躍した。鳩摩羅什以前では最も多い仏典を訳出している。
鳩摩羅什
仏教知識「鳩摩羅什」参照
仏陀跋陀羅(359~429)
東晋とうしん劉宋りゅうそう時代の訳経僧。サンスクリット(梵語)でブッダバトラ。北インド出身で長安・建康けんこう(現在の江蘇省こうそしょう南京市なんきんし)で訳出した。鳩摩羅什や廬山ろざん慧遠えおんと親交があった。
曇無讖(385~433)
北涼ほくりょう時代の訳経僧。サンスクリット(梵語)でダルマクシェーマ。中インド出身で、呪術じゅじゅつにもつうじていたとされることもあり北涼の王、きょ蒙遜もうそんに招かれて姑蔵(現在の甘粛省武威県)で活躍した。曇無讖が姑蔵を離れようとした時、その力が敵国に渡るのを怖れた沮渠蒙遜によって殺害された。
求那跋陀羅(394~468)
劉宋時代の訳経僧。サンスクリット(梵語)でグナバドラ。中インドに生まれ、獅子国(セイロン 現在のスリランカ)に移り、その後海路で広州こうしゅう(現在の広東省かんとんしょう)に着く。建康で活躍した。
菩提流支(?~527)
南北朝なんぼくちょう時代の訳経僧。サンスクリット(梵語)でボーディルチ。北インドに生まれ、洛陽に移り活躍した。
真諦(499~569)
南北朝時代の訳経僧。サンスクリット(梵語)でパラマールタ。西インドに生まれ、諸国を遍歴した後に、海路で広州に着く。548年、梁の武帝に招かれて建康に移る。戦乱を避けるために各地を転々としながら活躍した。

参考文献

[1] 『岩波 仏教辞典 第二版』(岩波書店 2002年)
[2] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[3] 『新編 大蔵経―成立と変遷』(京都仏教各宗学校連合会編 法蔵館 2020年)
[4] 『仏典はどう漢訳されたのか―スートラが経典になるとき』(船山 徹 岩波書店 2013年)
[5] 『玄奘』(三友量順 清水書院 2016年)
[6] 『仏教の聖者 史実と願望の記録』(船山 徹 臨川書店 2019年)
[7] 『大正新脩大蔵経総目録』(大蔵出版編集部編 大蔵出版 2007年)

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