深信(二種深信)
「深信」とは、『仏説観無量寿経』において説かれている浄土往生のために必要な「三心」(至誠心、深心、回向発願心(仏教知識「三心」参照)のひとつ、「深心」を中国の僧侶、善導(613~681)が解釈した言葉。
善導の深信
善導は『観無量寿経疏』「散善義」の深心釈において、
「深心」といふはすなわちこれ深く信ずる心なり。また二種あり。一には決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。二には決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず。
(『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』P.457より)
と、深心を二種に分けて示している。
また、『往生礼讃』「前序」においては、
二には深心。すなわちこれ真実の信心なり。自身はこれ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知し、いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下十声、一声等に至るに及ぶまで、さだめて往生を得と信知して、すなはち一念に至るまで疑心あることなし。ゆゑに深心と名づく。
(『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』P.654より)
と同様の解釈を示している。
つまり、善導にとっての「深心」とは、「真実の信心」のことであり、
- 自分自身が「罪悪生死」「善根薄少」の「煩悩を具足せる凡夫」であり、はるか昔から生死を繰り返し続け、流転し続けている、ということを「信知」する。
- 阿弥陀仏の誓願は、自分自身を含むすべての衆生を「摂受」し、「名号を称す」れば本願の力によって「往生を得」るということを、疑いなく自身のはからいを捨てて「信知」する。
と、二種の「信知」に分けて考えている。そして、その「信知(深心)=真実の信心」を「決定して深く」(なにごとにも惑わされずに心から深く)信じることが重要であるとしている。また、「深心」は衆生が浄土に往生したいと願う「回向発願心」へとつながり、称名念仏によって仏道を精進し、浄土へ往生することができることをあきらかにしていった。
この考え方は、中国においてはあまり広まることはなかったが、日本の浄土系教団に受け継がれていく。
法然の深信
善導の影響を色濃く受けた浄土宗の開祖法然(1133~1212)はその著『選択本願念仏集』の「三心章」において、善導の深心釈を引用するなかで、「深心といふはすなはちこれ深信の心なり」と書き入れ、善導の二種の「決定して深く信知する」心に「深信」の字をあてた。
また、
「深心」とは、いはく深信の心なり。まさに知るべし、生死の家には疑をもって所止となし、涅槃の城には信をもつて能入となす。ゆゑにいま二種の信心を建立して、九品の往生を決定するものなり。
(『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』P.1248より)
とも書き、阿弥陀如来の本願を疑いなく信じること(=深信)によって、涅槃を得ることができると説いている。
親鸞の深信
親鸞(1173~1263)においても、善導や法然の深信の解釈を基本的に受け継いではいるが、その解釈は「他力念仏」の義を徹底的に反映したものとなっている。善導においては、「信心(深信)」は、衆生が阿弥陀仏に向かっておこすものであるが、親鸞は『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)の中で、善導の三心釈の引用を多数行いながらも、それらをすべて「如来よりうけたまわる信心」として、徹底的に読み替えている。
仏願の生起本末
また、親鸞にとっての二種の深信は『教行信証』「信巻」において「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」(『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』P.251より)と書くように、親鸞自身の内面にわき起こる信心の二つの相を表したものであると考えた。つまり、「仏願の生起」(なぜ、阿弥陀如来は本願を建てなければいけなかったのか)に善導の 1. の釈をあて、「仏願の本末」(阿弥陀如来の本願が成就したこと)に 2. の釈をあてて、それらを深く聞き知っていくことこそが、深信であると考えていた。
このことを浄土真宗本願寺派僧侶の信楽峻麿(1926~2014)は「虚妄なる私について聞き、真実なる如来について聞くことであり、しかもその私と如来とが、常に否定的に限りなく矛盾対立していると同時に、またそれは同時にそのまま同一無差別不離であるということを、聞き知ってゆくことを意味するものにほかならないのである。」(『親鸞における信の研究』P.288より)と書き、親鸞の中にある矛盾対立しながらも、同時に存在している二つの要素から成る「二種一具」とも言える信心の構造を指摘している。
参考文献
[2] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2014年)
[3] 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2009年)
[4] 『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』(浄土真宗教学研究所 浄土真宗聖典編纂委員会 本願寺出版社 1996年)