報恩
【ほうおん】
報恩とは、自分自身が受けた恩に報いること。「恩」の原語は、サンスクリット(梵語)で「クリタ」(なされたこと)、または、「ウパカーラ」(他人を思いやること、助成)となる。つまり、私を救うために恵みが施されたこと(仏恩)を知り、それにかなう仏道を歩むことであり、世間一般でいうところの「恩返し」とは意味がことなる。
真宗七高僧の一人である善導は、『観念法門』に、
また敬ひて一切の往生人等にまうす。もしこの語を聞かば、すなはち声に応じて悲しみて涙を雨らし、連劫累劫に身を粉にし骨を砕きて仏恩の由来を報謝して、本心に称ふべし。あにあへてさらに毛髪も憚る心あらんや。 (『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』P.637より引用)
として、仏恩の由来をよくよく考えて、如来のみ心にかなうような報恩でなければならないとしている。
浄土真宗の宗祖親鸞は、この善導の言葉を受けて、『正像末和讃』(「恩徳讃」)に記されている。
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし
(『浄土真宗聖典 -註釈版-』P.610より)(現代語訳)
わたしたちをお救いくださる阿弥陀仏の大いなる慈悲の恩徳と、教え導いてくださる釈尊や祖師がたの恩徳に、身を粉にしてでも骨を砕いてでも、深く感謝して報いていかなければならない。
(『浄土真宗聖典 三帖和讃(現代語版)』P.163より引用)
浄土真宗では、宗祖親鸞の命日にその「恩」に報いるための「報恩講」を勤める。その「恩」とは、宗祖が私たちに阿弥陀如来がなされたことを示されて、往生浄土の仏道を歩むように勧めたことである。これは宗祖に対する報恩であるが、それはそのまま仏恩に対する報恩であり、如来のみ心にかなわない報恩であってはならない。
参考文献
[1] 『岩波 仏教辞典 第二版』(岩波書店 2002年)
[2] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[3] 『浄土真宗聖典 -註釈版-』(本願寺出版社 1988年)
[4] 『浄土真宗聖典 三帖和讃(現代語版)』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2016年)
[5] 『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』(浄土真宗教学研究所 浄土真宗聖典編纂委員会 本願寺出版社 1996年)
[2] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[3] 『浄土真宗聖典 -註釈版-』(本願寺出版社 1988年)
[4] 『浄土真宗聖典 三帖和讃(現代語版)』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2016年)
[5] 『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』(浄土真宗教学研究所 浄土真宗聖典編纂委員会 本願寺出版社 1996年)
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