現生十種の益

【げんしょうじっしゅのやく】

りきの信心を得たぎょうじゃがこの世で得る十種のやくのこと。親鸞は『けんじょう真実しんじつ教行証きょうぎょうしょう文類もんるい』「しんもんるい」に

金剛こんごう信心しんじんたなら、他力たりきによってすみやかに、悪趣あくしゅはちなんじょというまよいの世界せかいをめぐりつづける世間せけんみちて、このにおいて、かなら十種じっしゅ利益りやくさせていただくのである。十種じっしゅとはなにかといえば、

(『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』P.233-234より)

と述べて次の十種の利益を挙げた。

みょうしゅ護持ごじやく とくそくの益
転悪てんあくじょうぜんの益 諸仏しょぶつねんの益
しょぶつしょうさんの益 しんこうじょうの益
しんかんの益 おんほうとくの益
じょうぎょうだいの益 にゅうしょうじょうじゅの益

1つずつ解説する。

①冥衆護持の益

冥衆とはさつや、他の宗教の神々かみがみのこと。神々の中にも梵天ぼんてんたいしゃくてんなど仏教に帰依きえして報恩ほうおんのために仏教と仏教徒を守護するものがいる。

②至徳具足の益

至徳とはぶっが完成されたごくどくのこと。信心には至徳が円満されており、これが往生成仏のいんしゅとなる。

③転悪成善の益

信心にはぼんのうの氷をかしてだいの水とならしめるはたらきがある。

④諸仏護念の益

ぶっせつきょう』に説かれているように、信心の行者はじっぽうりょうしょぶつによって常にねんされている。

⑤諸仏称讃の益

本願を信じ念仏する人を、諸仏はほめ讃える。

⑥心光常護の益

阿弥陀仏の光明におさめ取られて常にまもられること。つまりせっしゅしゃ(仏教知識「摂取不捨」)ということである。なお真宗七高僧第五祖の善導ぜんどう大師だいしあらわした『観念かんねん法門ぼうもん』に次のもんがあり、親鸞はこれの影響を受けている。

またさきのごとき身相等しんそうとうひかり、一々にあまねく十ぽうかいらすに、ただもつぱら阿弥陀あみだぶつねんずるしゅじょうのみありて、かのぶつ心光しんこうつねにこのひとらして、しょうしててたまはず

(『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』P.618より、下線は筆者が引いた)

⑦心多歓喜の益

諸仏のしょうさんを得て心光常護のやくにあずかっているものには、しょうを超える身にしていただいた無上の喜びがある。それはぞくの喜びとはしつことにしている。親鸞は『顕浄土真実教行証文類』「ぎょうもんるい」で次のように述べた。

このようなわけで、真実しんじつ行信ぎょうしんると、こころおおきなよろこびにたされるので、この行信ぎょうしんくらいかんというのである。

(『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』P.109より)

⑧知恩報徳の益

阿弥陀仏のはたらきに気づいてそのおんどくしゅじょうを救うためにはたらく慈悲じひの徳)に感謝し、それにむくいる。さらに阿弥陀仏の本願を教えてくれたしゃくそんや諸仏、さらにはがたの恩徳にも感謝して報いることも含まれる。具体的には阿弥陀仏の教えを人に伝えていくことである。

⑨常行大悲の益

常に如来のだい(大いなる慈悲の心)を広める。

⑩入正定聚の益

正定聚に入る。従来は正定聚は彼土ひどで得る利益だと考えられていたが、親鸞は正定聚をげんしょう(現世)で得る利益だと考えた。

内容からもわかるように、最初の九益は最後の入正定聚の益に収まる。そのことから入正定聚の益を総益そうやく、他の九益を総益から開かれた別益という。現生十種の益の中心はこの入正定聚の益であり、これはさとりを開いて仏に成ることが定まるのだから最高の利益である。

正信しょうしん念仏ねんぶつ」のもんとの関連

『顕浄土真実教行証文類』「行文類」に出てくる「正信念仏偈」の中に現生十種の益に関連した箇所がある。真宗七高僧第二祖の天親てんじん菩薩について讃えた部分である。

【原文】
にゅうどくだいほうかい ひつぎゃくにゅうだいしゅしゅ

(『浄土真宗本願寺派 日常勤行聖典』P.22より)

【書き下し文】
どくだいほうかいにゅうすれば、かならずだいしゅかずることを

(『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』P.205より)

【現代語訳】
本願ほんがんみょうごうし、おおいなる功徳くどくうみはいれば、じょうおうじょうするさだまる。

(『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』P.148より)

ここで、この記事の冒頭に引用した文を再び引用する。これらは同じことをいっている。

【書き下し文】
金剛こんごう真心しんしん獲得ぎゃくとくすれば、おうしゅはちなんどうえ、かならずげんしょうじっしゅやく

(『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』P.251より)

【現代語訳】
金剛こんごう信心しんじんたなら、他力たりきによってすみやかに、悪趣あくしゅはちなんじょというまよいの世界せかいをめぐりつづける世間せけんみちて、このにおいて、かなら十種じっしゅ利益りやくさせていただくのである。

(『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』P.233-234より)

「功徳大宝海に帰入すれば」と「金剛の真心を獲得すれば」は同じ意味である。功徳大宝海とは名号のはたらきである。それに帰入するということは名号のはたらきに帰依きえすることであり、南無阿弥陀なもあみだぶつを信じるということである。それはつまり阿弥陀仏の救いのはたらきに我が身の全てをまかせるということである。

また、「かならず大会衆の数に入ることを獲」と「かならず現生に十種の益を獲」は同じ意味である。大会衆とは天親てんじん菩薩ぼさつが『浄土じょうどろん』で述べた五果ごかもん(※1)のうち2番目のだいしゅもんのことである。これは讃嘆さんだんの行をおさめることによって浄土のしょうじゃの仲間に入ることをいう。親鸞はこれと現生十種の益、すなわち正定聚に入る益が同じだとした。

「得る」と「獲る」の使い分け

なお親鸞はここで「得」ではなく「獲」の漢字を使っている。親鸞はこの世界で「える」ことについては「獲」の字を使い、浄土に往ってから「える」ことについては「得」の字を使う。あくまで正定聚は現生でえられるものである。「得」については「正信念仏偈」の続く文に使用例がある。

【原文】
とくれんぞうかい

(『浄土真宗本願寺派 日常勤行聖典』P.23より)

【書き下し文】
れんぞうかいいたることをれば、

(『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』P.205より)

【現代語訳】
阿弥陀あみだぶつ浄土じょうど往生おうじょうすれば、

(『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』P.148より)

語注

※1 五果門
五念門の行を修めることによって浄土に往生し、果として得られる徳のこと。「五種の功徳」「五功徳門」ともいう。
ごんもん
②大会衆門
宅門たくもん
屋門おくもん
園林おんりん遊戯ゆげもん
がある。

参考文献

[1] 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2004年)
[2] 『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』(浄土真宗教学研究所 浄土真宗聖典編纂委員会 本願寺出版社 1996年)
[3] 『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』(本願寺出版社 2000年)
[4] 『聖典セミナー 教行信証 信の巻』(梯實圓 本願寺出版社 2021年)
[5] 『聖典読解シリーズ5 正信偈』(内藤知康 法蔵館 2017年)
[6] 『浄土真宗本願寺派 日常勤行聖典』(浄土真宗本願寺派日常勤行聖典編纂委員会 本願寺出版社 2012年)
[7] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)

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