浄土真宗の「修行」

【じょうどしんしゅうのしゅぎょう】

世間一般のイメージ

仏教と聞いて多くの方が連想する単語の一つに「修行」があると思います。私も「修行されていたんでしょう」と言われることがよくあります。修行というと一般的には滝行や座禅ざぜんのように苦しいものや精神を集中させるものをイメージすることが多いのではないかと思います。

浄土真宗ではそのような修行はしないので、聞かれるたびに「皆さんが想像されるような修行は浄土真宗には無くて……」と答えています。

称名しょうみょう念仏ねんぶつ

『岩波 仏教辞典 第二版』の「修行」の項目を見てみますと

  • 「さとりの境地に達することを目的とする」
  • 「釈尊の死後、部派ごとに修行道が体系化された」
  • 「日本においては浄土教の隆盛の中で、念仏という修行により浄土往生することがさとりの心であるとする考えも生まれた」

といったことが書かれています。「念仏という修行」とありますね。

浄土真宗では念仏をとなえます。ですが、これは私たちが自分の力で称えているのではなく、阿弥陀仏の本願ほんがんのはたらきが私たちの口から出てきたものであると考えます。ですから、一生懸命称えてさとりを目指すとか、苦しくても頑張るとか、そういう性質のものではありません。少なくとも一般に想像されるような修行のイメージからは遠いのではないかと思います。

阿弥陀仏の修行

浄土真宗で用いられる『仏説ぶっせつ無量寿むりょうじゅきょう』の中には阿弥陀仏の修行に関する話が出てきます。正確には法蔵ほうぞう菩薩ぼさつの修行なのですが、その内容をかいつまんで説明します。

まず法蔵菩薩という修行者が、師である自在王じざいおうぶつの前で「自分はさとりを求める心をおこした」「修行して清らかな国(浄土)を作りたい」「人々の迷いと苦しみを取り除きたい」ということを話し、そのための教えを説いてもらうようにお願いします。

世自在王仏の教えを聞いた法蔵菩薩は「どのような浄土を作りたいか」といった内容を含む「がん」を起します。また五劫ごこうといわれる長い時間思いをめぐらせて、それを実現するための「ぎょう」を選び取られます。そして計り知れない年月をかけて限りない修行に励み、願を実現してさとりをひらいた阿弥陀仏となり、浄土を作られました。

修行「できない」私たち

こうして私たちが生まれていく、救われていく世界として阿弥陀仏の浄土ができました。そして阿弥陀仏の救いの力がはたらき、それを受けた私たちの口から「南無阿弥陀仏」と念仏が出てきます。つまり、阿弥陀仏が私たちの代わりに修行をして下さったおかげで私たちは阿弥陀仏への信心一つで救われるということになります。

というわけで「浄土真宗に修行はない」というよりは浄土真宗の僧侶は修行を「しない」と表現するのが正確かもしれません。さらに付け加えると私たち僧侶を含め、欲望に邪魔されて修行が「できない」すべての人々のために、代わりに阿弥陀仏が修行をしてくださったということになります。

一般的な「修行」の意味

余談ですが、修行という単語には

精神をきたえ、学問・技芸などを修めみがくこと。

(『広辞苑 第七版』P.1392より)

という意味もあります。そちらの意味でなら浄土真宗の僧侶も読経どきょうの練習や教義の勉強など、「修行」をしているといえるかもしれません(※個人差があります)。

浄土真宗の僧侶は特別な存在ではない

ここまで述べてきたように、浄土真宗の僧侶は(皆様が想像されているような形の)修行をしているわけではありません。僧侶ではない方々と比較して、何か特別なことをしているわけでもありません。

私は、浄土真宗において僧侶とそれ以外の方々との違いは僧籍そうせきを持っているかいないかだと思っています。そして、僧籍を持っているならば(一応は)仏教の専門家であるべきだと思います。

私自身は今のところ胸を張って専門家を自称することはできませんが、それを目指して努力していかなければならないと思っています。また学びの過程で得られた知識を僧侶としての立場から自分なりに発信していきたいと思います。

参考文献

[1] 『岩波 仏教辞典 第二版』(岩波書店 2002年)
[2] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[3] 『広辞苑 第七版』(岩波書店 2018年)

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