法名

【ほうみょう】

一般的に「戒名かいみょう」と呼ばれているものを、浄土真宗においては「法名」と呼ぶ。戒名とは、もともと仏教において修行に必要な規律きりつ戒律かいりつを自分の師にあたる僧侶より受けた(受戒じゅかい)際に与えられる出家者しゅっけしゃの名前であった。それが室町時代以降、出家をしていない一般の人々が臨終りんじゅうの時やその直後に出家者として付けられる名前を含め、広く「戒名」と呼ばれるようになっていった。浄土真宗においては宗祖しゅうそ親鸞しんらん非僧ひそう非俗ひぞくの立場により、修行に必要な規律・戒律を受ける必要がないことから、「戒名」という言葉を使わず「法名」と呼ぶ。

「法名」とは宗祖がみずからを「禿とくしゃく親鸞」と名告なのられたことに由来し、仏法ぶっぽう(阿弥陀仏の説かれた法)に帰依きえして、この世界をあゆんでいくための「名告なのり」である。『浄土真宗辞典』の法名の項によれば「本願寺派では、釈尊の弟子であることを意味する『釈』の字を冠し、これに 2 字を加えて『釋○○』とする」と解説されている。

この「釋○○」という名告りの形式は、法名・戒名を問わず本願寺派以外の仏教各宗派でも共通に用いられており、藤井正雄の『戒名のはなし』によれば、その起源は次の三つの説にまとめられる。

1.「釈尊しゃくそんいつ説」

中国の東晋とうしんの時代に活躍した道安どうあん(312-385)は、仏教徒として生きていくのであれば、それは釈尊の弟子(仏弟子ぶつでし)として生きていくということであるとした。そのことから姓はすべて「釋」とすべきであるとし「釋道安」と名告ったことが起源である、とする説。浄土真宗本願寺派もこの説によっている。

2.「中国ちゅうごく習俗しゅうぞく起源きげん説」

インドでは法名(戒名)が制度化されることがなかったために、仏教の中国伝来後にそれ以前より習俗として用いられてきた「あざな」「いみな」を法名(戒名)に援用えんようした、とする説。

3.「インドからの発展説」

釈尊が弟子である舎利弗しゃりほつ

舎利弗しゃりほつは来世に ぶつ普智尊ふちそんと成り

号を名づけて華光けこうといい まさに無量のしゅを度すべし。」 (『法華経(上)』P.150より)

授記じゅき(予言)したことが、のちに法名(戒名)として制度化されていった、とする説。

それぞれに主張する起源は違うが、この三つの説においても「法名は生きている間に名告る」ということは共通している。現在においては法名は「臨終後に付けられる名前」であると考えている人も多いようだ。しかしその起源から考えても、また「仏弟子としての名告り」という意味から考えても、宗祖親鸞がそうしたように生きている間にみずからの意思として名告っていくものである。

なお、浄土真宗においては先に書いた通り、宗祖が「愚禿」、「釈親鸞」とだけ名告られたこころを頂き、信士しんし信女しんにょ居士こじ大姉だいし霊位れいいのような位号いごう置字おきじ添字そえじ等は付けない。また浄土真宗本願寺派では、女性の法名に付けられてきた「」の字を1986年より廃止し、男女の別なく法名は「釋○○」の三文字で統一されている。

参考文献

[1] 『戒名のはなし』(藤井正雄 吉川弘文館 2006年)
[2] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2014年)
[3] 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2009年)
[4] 『法華経(上)』(坂本幸男・岩本裕 訳注 岩波書店 1991年)

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