御文章

【ごぶんしょう】

『御文章』とは

『御文章』とは、本願寺第8代蓮如れんにょ(1415-1499)が書いた手紙である。 浄土真宗の教えについて平易な文章で書かれており、蓮如はこれを各地に送ることで布教を行った。

浄土真宗本願寺派では「御文章ごぶんしょう」と呼んでいるが、 元々は「御文おふみ」と呼ばれていた。 真宗大谷派では現在でも「御文おふみ」と呼ばれている。 宗派によって様々な呼称がある。

最初に書かれたのは1461年(寛正2)頃と考えられている。 その後、蓮如の晩年までに数百通が書かれた。

『御文章』の総数については 『聖典セミナー 御文章』に以下のように説明されている。

その「御文章」を年代順に配列いたしますと、一五八通ほどにもなります。 その上に無年記のもの、類似文、消息文などを加えますと、三一三通にも達するといわれています。 (『聖典セミナー 御文章』 P.3 より)

五帖ごじょう御文章ごぶんしょう

蓮如の息子の本願寺第9代実如じつにょ(1458-1525)は、 その息子の円如えんにょ(1491-1521)とともに『五帖御文章』を編集した。

多数の『御文章』の中から特に重要な85通が選定され、 その中から80通が5冊の本にまとめられた。 これを『五帖御文章』という(「帖」とは折り本のこと)。

残りの5通は『夏御文章げのごぶんしょう』4通と 『御俗姓ごぞくしょう』1通である。 この85通以外の『御文章』は「帖外じょうがい御文章」などと呼ばれる。

『五帖御文章』の 1帖目から4帖目には書かれた日付が分かっているものが年代別に並べられ、 5帖目には日付が不明なものがまとめられている。

『五帖御文章』の内訳
1帖目 第1通-第15通40通 吉崎時代1471-1475年
2帖目 第1通-第15通
3帖目 第1通-第10通
第11通-第13通7通 河内出口時代1476-1477年
4帖目 第1通-第4通
第5通-第9通5通 山科時代1482-1492年
第10通-第15通6通 大坂時代1497-1499年
5帖目 第1通-第22通22通年代不明

(※ 表中の年代表記は『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』に基づく)

『五帖御文章』は円如の息子の本願寺第10代証如しょうにょ(1516-1554)により出版された。 今日では『五帖御文章』は仏壇の前に『正信偈和讃』とともに置かれることがある。

御文章箱

日常の中での『御文章』

『御文章』は勤行や法話の最後に読まれることが多い。 よく用いられるのは「聖人しょうにん一流章いちりゅうしょう」「末代まつだい無智章むちしょう」「信心しんじん獲得章ぎゃくとくしょう」などで、 これらは多くの経本に収録されている。 また、特に葬儀の後の還骨かんこつ勤行ごんぎょうの際には「白骨章はっこつしょう」が読まれることが多い。

『御文章』は日本語で書かれているため、漢文で書かれた経文とは違い大まかな意味を理解することができる。 しかし500年以上前の文章であるため今とは異なった意味で使われている単語もある。 内容を解釈する際には書籍等を参考にした方がよい。

『御文章』執筆の目的

先に書いた通り『御文章』は布教を目的として書かれたものである。 当時は浄土真宗の教えに関する様々な誤解が広まっており、それらを正すために書かれたと考えられる。 そのような誤解のことを異安心いあんじんといい、数多くの異安心が存在する。

参考文献

[1] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[2] 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2004年)
[3] 『本願寺の歴史|浄土真宗本願寺派 本願寺(西本願寺)』 (http://www.hongwanji.or.jp/hongwanji/history.html)
[4] 『聖典セミナー 御文章』(宇野行信 本願寺出版社 1994年)

関連記事

蓮如
蓮如(1415~1499)浄土真宗の僧侶。本願寺中興の祖。 誕生 蓮如は、1415年(応永22)に後の本願寺第7代、存如(ぞんにょ)の長男として生まれ......
勤行
『浄土真宗辞典』によれば勤行とは > [1] 仏道修行につとめること。 > (中略) > [2] 「おつとめ」ともいう。法要・儀式を執り行い、経典など......
仏や聖者の教えを文章にまとめたもののこと。 インドで書かれ、中国で漢字へと翻訳された。