僧侶のつとめ(1) お布施の金額
はじめに
「僧侶のつとめ」と題しまして3つの記事を連続で掲載します。今回は1つめの記事として「お布施の金額」を掲載します。
まず重要なこととして、この記事はお布施の具体的な金額を提示するものではありません。これは仏教知識「布施」に書かれている通り
- 本来、布施は何らかの行為に対する「対価」ではない
- 財施を施される側もその施しの多寡に惑わされることのないように説かれている
からです。
また、先に掲載しておりますコラム『お布施は「お気持ち」?』も併せてお読みいただければと思います。このコラムに書かれていることは理想的だと私も思っているのですが、 現実的にはそのようにできない場合もあります。ここでは私が実際にどのようにしているのかを書かせていただきます。
なおこの記事では「財施」の意味で「布施」という語句を使わせていただきます。一般的にそう書いた方が分かりやすいと思うからです。
金額に関する質問
葬儀や法事の前に、施主さんからお布施の金額について質問されることがあります。先に書きました通り、本来は決まったものではありませんから「金額に特に決まりはありません」と答えるのですが……大抵は困った顔をされてしまいます。
施主さんは身近な方を亡くされた悲しみの中にあり、また葬儀等の準備で忙しいことだと思います。全く金額の見当がつかないまま困らせてしまってもいけないかな、とも思います。かといって金額を指定してしまうとそれはもう布施行にはなりません。
私の答え方
私は、どうしても知りたいという方には
- 布施の金額に決まりはないが、多くの場合は○○円~○○円の範囲におさまる
- もちろんそれより少ない方も多い方もおられるし、金額は自由である
という趣旨のことを伝えています。これは妥協案です。「金額をはっきり決めない」というラインは最低限守ろうという考えです。
これは私の個人的な推測なのですが「だいたい皆と同じぐらいの金額にしておこう」と考えられる方は多いのではないでしょうか。そのような考えから、このような回答をさせていただいています。重ね重ね言いますが、具体的な金額はここには書きません。地方により傾向が異なる可能性があり、私が書いた金額が全くの見当違いになってしまうおそれがあるからです。
またこれも推測なのですが、昔は近所の方に聞いて教えてもらうことが一般的だったのではないでしょうか。近所の方には連絡せず、親族だけで葬儀を行うことも多くなってきた昨今、そのような情報が口づてに伝わる機会が減ってしまったのではないでしょうか。
ともかく、無理をして多くの布施をする必要はありません。できる範囲で行うものです。
対価ではない
お布施の対価として葬儀や法事を勤めるわけではありませんから、その金額の大小によって内容が変わってはいけません。先に金額を確認して「この金額ではお受けできません」などというのは論外です。
葬儀においてはお勤めの前にお布施をいただくことが多く、また封筒に金額が記載されていることがあるのですが、極端な話、それを見ない方がいいと思っています。お勤めをする上ではそれは余計な情報であり、考えない方がいいからです。
現代の私たちは釈尊の時代とはかけ離れた生活を送っており、布施も全く同じ形というわけにはいきません。しかし「布施」という語を掲げる以上は、対価ではないこと、見返りを求めないことを目指さなくてはならないと思います。できる範囲で精一杯お勤めとお話をさせていただき、法施につとめていかなくてはならないと思います。