経本を大事にする

【きょうぼんをだいじにする】

経本きょうぼん聖教しょうぎょうの取り扱い

タイトルに経本と書きましたが、広くいうと聖教ですね。聖教とは経典きょうてんやそれを註釈ちゅうしゃくした書物のことです(詳しくは仏教知識「聖教」をご参照ください)。聖教には私たちを往生おうじょう成仏じょうぶつさせる阿弥陀あみだぶつ本願ほんがんの教えがしるされていますから大切に扱いましょうという話です。

たとえば仏教知識「経本の取り扱い」 にあるように、勤行ごんぎょう(おつとめ)の中で経本を開いたり閉じたりする際にいただく作法があります。また、床に直接置くことはなるべく避けます。経本を大事にしようという気持ちからそのようにします。

勤行以外の場合にも聖教を開閉する際には頂きます。お説教せっきょう(ご法話ほうわ)のときにご講師があつい本を持ち上げている光景をご覧になったことがある方もおられるかもしれません。また、一人で勉強するときであっても同様に頂きます(急いでいるときなど、こっそりと省略することもありますが……)。

よく使う聖教

私がよく使っている聖教は『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』および『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』です。これらは古文(書き下し文)で書かれており、漢文やサンスクリットのものよりは読みやすいです。

より詳しく知るために漢文を参照することもあります。これについては『浄土真宗聖典全書』シリーズや『浄土真宗聖典 -原典版-』『浄土真宗聖典 -原典版(七祖篇)-』などがあります。サンスクリットやパーリ語のものについては私も手元には持っておりません。私が見ても全く読めないでしょう。

そのほか、これらを翻訳ほんやくした『現代語版』も出版されており理解の助けになります。ですが可能ならばなるべく原典に近いものを読んでおきたいところです。

聖教を学ぶ

ただし先に挙げたような聖教をそのまま読むようなことはほとんどありません。聖教を直接読んだだけでは到底その中身を理解することはできません。たとえば仏教知識「顕彰けんしょう隠密おんみつにあるように、「この経典は表面的にはこう書かれてあるが、他の経典と比較すると実は本当に言いたいのはこういうことだった」ということがあります。

釈尊しゃくそん以後2000年以上にわたって非常に多くの人々が経典を研究されてきました。今も多くの先生方が研究をされていますし、書籍もたくさんあります。ですから私たちが仏教を学ぶ際はまずは先人にならい、講義を聞いたり書籍を読んだりしなければいけません。その中で必要に応じて聖教を参照していきます。そのようにして宗祖しゅうそ親鸞しんらんしち高僧こうそう、その他の先生方の解釈に基づいて聖教を読んでいかなければいけません。そうしなければ誤った解釈におちいる可能性があります。

便利な電子版

先に挙げた聖教の中には電子版が発売されているものもあります。また『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』『浄土真宗聖典 七祖篇 -註釈版-』などはWeb上で公開されています(浄土真宗本願寺派総合研究所 聖教データベース)。これには私もよくお世話になっています。たとえば検索するときは紙の本を使うよりもこれを使った方がはるかに速く正確に行えます。いつでもダウンロードできるのも便利です。複数のパソコンを使っている場合に「このパソコンにあの聖教は入ってたかな」と考える暇があったらここにアクセスした方が早いです。

これは本当に便利なのですが、ときどき思うことがあります。それぞれの聖教はせいぜい数百KBキロバイト程度のテキストファイルに収まっており、これはテキストとしては大きいですが現代のストレージ容量の大きさと比べると非常に小さなものです。釈尊、七高僧、親鸞といった方々が一生をかけて記された教えがわずかこれだけの大きさに収まってしまうこと、それが一瞬で手に入ること、複製が容易であることなどを考えるとものすごい変化です。

もちろん簡単に手に入るからといってその存在価値は揺るぎません。重要なのはその中身です。どのような媒体ばいたいであれ聖教は大切に頂いていかなくてはいけません。

電子版の扱いは?

「聖教を頂く」という作法について述べてきましたが、では電子版の聖教はどうやって頂けばいいのでしょうか。タブレットやスマートフォンを頂くのでしょうか。デスクトップパソコンならディスプレイを持ち上げるのでしょうか。中に聖教のテキストファイルが入っているから、聖教が表示されていないときでもそうするのでしょうか。

……などと細かいことを考えていても仕方がありません。臨機りんき応変おうへんに対応するしかないと思います。 大事なのは「こういう決まりだからこうしよう」という規則ではなく「この聖教には私たちにとってとても大切な教えが書かれている」という意識だと思います。

ちなみに私は今のところ勤行には紙の本を用いていますが、もしかすると将来的には、本堂に来られた方々が各自のスマートフォンに表示された「しょうしん」を見ながらつとめる、などという形もあるのかもしれません。

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