悪人アングリマーラ
アングリマーラ伝承
古代インド、釈尊在世のころ、舎衛国にアヒンサカという青年がいた。彼はバラモン(※1)の子どもであり、自身もバラモンになるために修行中であった。師匠であるマニバダラの妻に誘惑をされるが、彼はそれを断る。すると、その妻は断られた腹いせに夫にアヒンサカに犯されたと嘘をつく。夫マニバダラは、その話を信じて怒り、復讐のためにアヒンサカに最後の修行だとして、人を百人殺してその指をとり蔓にすれば立派なバラモンになれると伝える(経典によっては千人とも)。アヒンサカは師匠の教えを忠実に守り、99人まで殺した。そして殺した人々の指(アングリ)を蔓(マーラ)にしたことから人々から「アングリマーラ」と呼ばれ恐れられたという。そしてとうとう残り一人で目標が達成するところ、アヒンサカは100人目に釈尊を選んだ(経典によっては実母とも)。しかしその釈尊に「アングリマーラよ、お前は悪い考えに踊らされ人を殺した。悪い夢をすてて、生死をこえた私の教えを聞きなさい」とさとされて、アングリマーラは剣を捨てて過ちを懺悔(※2)して出家する。
出家後、托鉢(※3)の際に、人々からは「人殺し」とののしられ、激しい暴力を受け続ける。釈尊は人々に「彼は出家をしてからは人を殺していない。」と暴力を止めるように諭し、アングリマーラには、「お前はたくさんの人を殺したことを忘れてはいけない。」と修行を怠ることがないように諭す。その後、アヒンサカは阿羅漢(※4)となり悟りを得たとされている。
一般的な仏教
伝承からはアングリマーラのような悪人でも、修行に励むことによって悟りを得ることができることがわかる。しかしそのためには、過去に罪は犯したものの懺悔をして仏教に帰依する者を仏教教団に受け入れる必要がある。一般的な仏教から考えるならば、すでに教団に属する者がアングリマーラを許すことができるかどうかにかかる。許すことによって、初めて平等な立場で修行をし、共に生活をおくることが可能になるのである。つまり善人の立場として悪人を許すことができるかどうかという課題となってくる。
宗祖親鸞
さて、それでは私たちの宗祖親鸞ならば、このアングリマーラ伝承でどのように課題を持ったのかを考えていきたい。唯円の著作とされる『歎異抄』「第十三条」(※5)には、
…またあるとき聖人が、「唯円坊はわたしのいうことを信じるか」と仰せになりました。そこで、「はい、信じます」と申しあげると、「それでは、わたしがいうことに背かないか」と、重ねて仰せになったので、つつしんでお受けすることを申しあげました。すると聖人は、「まず、人を千人殺してくれないか。そうすれば往生はたしかなものになるだろう」と仰せになったのです。そのとき、「聖人の仰せではありますが、わたしのようなものには一人として殺すことなどできるとは思えません」と申しあげたところ、「それでは、どうしてこの親鸞のいうことに背かないなどといったのか」と仰せになりました。
続けて、「これでわかるであろう。どんなことでも自分の思い通りになるのなら、浄土に往生するために千人の人を殺せとわたしがいったときには、すぐに殺すことができるはずだ。けれども、思い通りに殺すことのできる縁がないから、一人も殺さないだけなのである。自分の心が善いから殺さないわけではない。また、殺すつもりがなくても、百人あるいは千人の人を殺すこともあるだろう」と仰せになったのです。…
(『浄土真宗聖典 歎異抄(現代語版)』P.26-28より)
とある。
親鸞が唯円に問うたこの「千人殺し」の話は、さまざまな『歎異抄』解説書においてアングリマーラの逸話であろうとの指摘が多い。親鸞がどの経典に依ってこの話をしたのか定かではないが、本願寺派の白須淨眞は『賢愚経』ではないかと推察している。本論からは少しそれるが興味深いので一部引用する。
『歎異抄』十三条の親鸞と唯円らとの師弟の対話は、直接には触れられてはいないが、古代インドのアングリマーラ伝承を伝える漢訳経典を前提としたものである。その漢訳経典のなかにあっても、伝承の完成形態を提示したと思われる『央掘摩羅経』よりも、『賢愚経』の記述が対話の表現としてはより近いと推察される。往生のための千人殺しを門弟に投げかけた親鸞にとっては、「除罪」を目的とする『央掘摩羅経』よりも梵天への往生を説こうとする『賢愚経』の援用が、親鸞独自の見解を導出する媒介としてはより適切と判断したのであろう。千人殺しという刺激の強い言葉だけに惑わされることなく、「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず」を導出するための漢訳経典の援用と見抜くべきであろう。
(本文中の資料と対応させている経典名の後のローマ数字は筆者が割愛した)
(『古代インドのアングリマーラ伝承 ― 歎異抄十三条・漢訳経典・仏伝図像から読み解く』P.68より)
さて、親鸞はこのアングリマーラについてどのように考えていたのかをこの条から窺っていく。ここでは、人を殺めてしまうということは因縁の促しが調うことによって成立するということを示している。それは、自分の意志ではどうしようもない、絶望や苦悩、悲しみが縁となる場合もあるだろう。つまり、アングリマーラは悪人だから人を殺したのではなく、また人を殺したから悪人になったのでもない。アングリマーラはバラモンの修行を実直に行っていた時も悪人であったし、バラモンの修行をしようがしまいが悪人なのである。そこには、たまたま結果が異なっているだけで、親鸞自身とアングリマーラを隔てるものはないと考えたに違いない。だからこそ悪人である私(親鸞)は、人の心の善悪を問わない阿弥陀如来の本願に頷くしかなく、自分の心の善悪で浄土に往生できるかのような考えは捨てなければならないとのことを唯円に伝えたかったのだろう。
つまり、親鸞にとっては一般的な仏教におけるアングリマーラを許すかどうかは課題ではなく、自身がアングリマーラかどうかを問い続けるという課題があったのだ。そしてその上で、何もアングリマーラと変わらない自身の本質を内省していったのである。
さて、阿弥陀如来の願いに頷くしかない私自身も「アングリマーラなのかどうか」を問い続けていきたい。
語註
- ※1 バラモン
- 古代インドの四姓制度の最上位身分で、バラモン教の司祭者。サンスクリット(梵語)・パーリ語ではブラーフマナ。漢訳では「婆羅門」と記される。(仏教知識「婆羅門(バラモン)」参照)
- ※2 懺悔
- 自ら犯した罪を悔いて許しを請うこと。
- ※3 托鉢
- 僧侶が鉢を携えて歩き、食を乞うこと。(仏教知識「托鉢」参照)
- ※4 阿羅漢
- サンスクリット(梵語)でアルハット。漢訳では「阿羅漢」「応供」など。煩悩を滅し尽くした聖者。
- ※5 『歎異抄』
- 一巻。親鸞の弟子である唯円が著したとされる。前半に親鸞の法語の聞書き、後半に親鸞の教えとは異なる誤った教えを挙げて嘆き、唯円の考えを述べている。
参考文献
[2] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[3] 『ブッダとその弟子89の物語』(菅沼晃 法蔵館 1990年)
[4] 『古代インドのアングリマーラ伝承 ― 歎異抄十三条・漢訳経典・仏伝図像から読み解く』(編者 白須淨眞 法蔵館 2023年)
[5] 『浄土真宗聖典 歎異抄(現代語版)』(浄土真宗聖典編纂委員会 本願寺出版社 1998年)