華厳経
『大方広仏華厳経』のことで略して『華厳経』。この経題の意味は、「仏の華飾りと名づけられる広大な経」となる。漢訳では「六十巻本」と「八十巻本」がある。また、各品やその一部の異訳が多数あり、これらの中に、最後の章「入法界品」のみを詳しく記した「四十巻本」がある。
華厳経
通称 | 経題 | 訳者 | 国・年代 | 別称 |
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六十巻本 | 大方広仏華厳経 | 仏陀跋陀羅 | 東晋 | 晋経、旧訳 |
八十巻本 | 大方広仏華厳経 | 実叉難陀 | 唐 | 唐経、新訳 |
四十巻本 | 華厳経普賢行願品 | 般若 | 唐 | 貞元経 |
『華厳経』では、「釈尊の成道」の内容を明らかにすることを主題として記されるが、ここに普遍性を示すために釈尊そのものではなく、その象徴として教主「毘盧遮那仏」(※1)が登場する。毘盧遮那仏が成道したのち、その場の菩提樹の下に身体を留めながらも、自在に座を移してさまざまな処で説法をする。ここでは毘盧遮那仏自身が語ることはなく、その力を受けた菩薩たちが言葉を発するという複雑な構成である。「六十巻本」では、七カ所で八度の法会の説法が記されており、これを「七処八会」とよぶ。
これらの説法の内容は、釈尊が成道した時に行ったとされる「海印三昧」(※2)を明らかにして、この三昧の力によって一切が相即(※3)し合う事事無礙(※4)の世界が成り立つと説く。また、現実に存在する一切のものは仏性(※5)が顕れたものであり、すべての人々が仏に成ることが可能であるとした。「六十巻本」は三十四品、「八十巻本」は三十九品で成り立っているが、その中核となるのが「十地品」と「入法界品」である。これら二品には、サンスクリット原典があり、『華厳経』成立以前から別の経典として流行していたものと考えられる。
十地品では、さとりに向って進んでいく菩薩の境地が十段階に分類されている。そして、これらの境地の段階を上がりながら、次第に仏の世界に融合していくことが説かれている。十地品の註釈書である『十住毘婆沙論』は、真宗七高僧の龍樹が著したと伝えられる。
入法界品では、清らかな心を持つ善財童子が、五十三人の善知識(※6)を訪ねて教えを受けて、法界(さとりの世界)に入っていくことが説かれている。清らかな心を持つ善財童子は、菩提心の象徴ともいえる。
親鸞と『華厳経』
浄土真宗の宗祖親鸞は、その主著である『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)の中で『華厳経』を重視して多数の引用をしている。後序には、釈尊から法然へ脈々と受け継がれた「浄土真実の教え」を仰いで信じ敬うべきであるとして、『華厳経』「入法界品」を引用し、
『華厳経』の偈に説かれている通りである。「さまざまな行を修める菩薩を見て、善い心をおこしたり善くない心をおこしたりすることがあっても、菩薩はみな摂め取って救うであろう」
(『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』 P.646 より)
と締めくくっている。
- ※1 毘盧遮那仏
- 毘盧遮那はサンスクリット(梵語)「ヴァイローチャナ」の音写で意味は輝きわたるもの。歴史上の仏である釈尊に普遍性を与えたもの。密教では大日如来とよばれる。
- ※2 海印三昧
- 一切の法(真理)を明らかに映し出すことのできるような智慧を得る三昧。『華厳経』の根本三昧。
- ※3 相即
- 対立するように見える二つの事象・事物が実は一体であること。
- ※4 事事無礙
- 事象と事象とが妨げなく交流・融合すること。
- ※5 仏性
- 仏となる可能性。
- ※6 善知識
- 正しい仏道に導く善き友。善親友、善友、親友、勝友とも。
参考文献
[2] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[3] 『現代意訳 華厳経』(原田霊道 書肆心水 2016年)
[4] 『和訳 華厳経』(鎌田茂雄 東京美術 1995年)
[5] 『大正新脩大蔵経総目録』(大蔵出版編集部編 大蔵出版 2007年)
[6] 『浄土真宗聖典 -註釈版-』(本願寺出版社 1996年)
[7] 『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』(本願寺出版社 2000年)
[8] 『龍谷大学仏教学叢書⑤ 華厳 ―無礙なる世界を生きる―』(藤丸要 [編] 自照社出版 2016年)