善知識

【ぜんぢしき】

善知識ぜんぢしき原語げんごは、サンスクリット(梵語ぼんご)でカルヤーナミトラである。カルヤーナは「い」、ミトラは「友人」の意味をもち、正しい仏道ぶつどうみちびともを指す。漢訳かんやくでは、「善知識」「善親友ぜんしんぬ」「善友ぜんぬ」「親友しんぬ」「勝友しょうう」などとしるされる。

中国で天台教学てんだいきょうがく大成たいせいした智顗ちぎ(※1)は『摩訶止まかしかん』(巻第かんだい)(※2)の中で、

知識ちしき三種さんしゅあり、ひとつには外護げごふたつには同行どうぎょうみっつには教授きょうじゅなり。

(『詳解 摩訶止観 定本訓読篇』P.244より)

と「善知識」を三つに分類している。

  1. 外護とは、仏教教団外ぶっきょうきょうだんがいもの仏法ぶっぽう擁護ようごして、教団内の者を物心ぶっしん両面りょうめんで支援すること。
  2. 同行とは、同じこころざしで仏道を歩み、たがいにはげましあう友のこと。同朋どうぼうともいう。
  3. 教授とは、仏道を歩む者に、正しい歩み方を示し、たくみに仏法を説く師、または先輩のこと。

浄土三部経じょうどさんぶきょう」では、『仏説無量寿経ぶっせつむりょうじゅきょう』「下巻げかん」「流通分るずうぶん」に、  

善知識ぜんぢしきっておしえをき、修行しゅぎょうすることもまたむずかしい。」

(『浄土真宗聖典 浄土三部経(現代語版)』P.149より)

また、『仏説観無量寿経ぶっせつかんむりょうじゅきょう』に、

このひとがそのいのちえようとするとき、善知識ぜんぢしきにめぐりあい、そのひとのために阿弥陀仏あみだぶつくにきよらかでたのしいようすや、法蔵菩薩ほうぞうぼさつ四十八願しじゅうはちがんについてくのをく。これらのことをきおわりそのいのちえると、たとえば元気げんき若者わかものがすばやくひじをのばしするくらいのわずかなあいだに、西方極楽世界さいほうごくらくせかいうまれる。

(『浄土真宗聖典 浄土三部経(現代語版)』P.205より)

とある。これらの経典きょうてんしめされる善知識は、『摩訶止観』の分類にるならば、2. の「同行」、あるいは 3. の「教授」にあたる。

前述の通り、善知識は仏道を歩む上での善き友人ほどの意味であったが、やがてさまざまな経典が成立せいりつしていく中で、正しい仏道に導く師の意味も持つようになった。しかしそれは、正しい仏道を歩んで行く上で、助けとなる者やぶつ菩薩ぼさつであり、師といえども社会の権力構造のような「支配・被支配」の関係性ではないことは言うまでもない。ちなみに善知識の反対語として悪知識あくちしきがある。これは、いつわりの仏法をいかにも正しいかのように示し、仏道を歩む者をだます者のことであり、近づいてはならないとされている。

※1智顗(538~597)
中国の僧侶で中国仏教形成の第一人者。仏教の教説きょうせつを分類して段階づける教相判釈きょうそうはんじゃくを「五時ごじ八教はっきょう」に組織そしきして天台教学てんだいきょうがくを大成した一方で、教団規範きょうだんきはんも定めた。天台三大部てんだいさんだいぶとよばれる『法華玄義ほっけげんぎ』『法華文句ほっけもんぐ』『摩訶止観』の講述書こうじゅつしょがある。日本仏教にも多大な影響を与えた。
※2『摩訶止観』
天台三大部の一つで全二十巻。天台宗の大成者である智顗の講述書で仏教の実践修行じっせんしゅぎょう体系化たいけいかしたもの。594年に智顗が荊州けいしゅう玉泉寺ぎょくせんじ講説こうぜつしたものを、弟子でし灌頂かんじょうが記録して整理・修治しゅうじ(編集)を加えて完成させた。

参考文献

[1] 『岩波 仏教辞典 第二版』(岩波書店 2002年)
[2] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[3] 『詳解 摩訶止観 定本訓読篇』(池田魯參 大蔵出版 1996年)
[4] 『大正新脩大蔵経総目録』(大蔵出版編集部編 大蔵出版 2007年)
[5] 『浄土真宗聖典 浄土三部経(現代語版)』(浄土真宗教学研究所浄土真宗聖典編纂委員会 本願寺出版社 1996年)
[6] 『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』(本願寺出版社 2000年)