衣体

【えたい】

浄土真宗じょうどしんしゅう本願寺派ほんがんじはの衣体とは袈裟けさころもはかまを総称し、これらを装束しょうぞくともいう。

元来、インドでは下着の上から袈裟を身にまとっていた。中国で衣服いふくの上から袈裟を着るようになった。これは袈裟では寒さをしのげないという理由である。のちに衣服から僧侶の装束として装飾化された。日本では公家くげ装束の影響から袴をいてせん中啓ちゅうけい夏扇なつおうぎ)を持つようになった。

衣にあたる法衣ほうえとはころも布袍ふほう教服きょうふくの総称である。衣は色衣しきえ黒衣こくえがあり、法要や儀式の場で着用する。

布袍はそれ以外で日常的に着用する。1880年(明治13)大教校だいきょうこう(龍谷大学の前身)にて講師が着るようになり1891年(明治24)より布袍と呼ばれるようになった。今日において一般的に町や村で見かける浄土真宗本願寺派僧侶のほとんどがこの格好で歩いている。また明治時代から洋服を着る文化になり、洋式布袍が考案された。教服は洋式布袍の一種で男性の場合、黒いズボン・ワイシャツ・ネクタイ。女性はスカートを着用すると1967年(昭和42)に制定された。布袍・教服は白衣はくえ俗服ぞくふくの上に着る。なおこの規定は現代のジェンダーの観点から考えると実状にそぐわなくなってきている。

袴は差貫さしぬきの裾を切った切袴きりばかまか俗袴の二種がある。元々浄土真宗本願寺派においては、本願寺第8代蓮如れんにょの時代の頃は袴や足袋は用いなかった。1559年(永禄2)本願寺第11代顕如けんにょの時代に他宗との交流が深まり法衣の形が変わってきた。法要や儀式においては切袴を用い日常の勤行などは俗袴ぞくばかまを用いる。なお足袋に関しては履かない作法は皆無なので必ず着用する。

参考文献

[1] 『浄土真宗本願寺派 法式規範(改訂版)』(浄土真宗本願寺派 勤式指導所 本願寺出版社 1999年)
[2] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)

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