「他力本願」の誤用

【たりきほんがんのごよう】

2002年5月16日付の新聞朝刊(全国4紙)でオリンパス光学工業株式会社(現 オリンパス株式会社)が「他力本願から抜け出そう」との自社広告を掲載した。フィルムカメラからデジタルカメラへと事業を転換する中で、「○○から抜け出そう」という8つのフレーズからなるもので、抜け出そうとする「○○」はいずれも「悪い例(改善するべき例)」として挙げられ、「他力本願たりきほんがん」もその一つであった。浄土真宗本願寺派は翌日17日にオリンパスに抗議文を出し、同月27日には真宗教団連合も抗議文を出した。真宗教団連合の抗議文では、他力本願とは「仏の願いに生かされて力強く生き抜くこと」であり、「『他人まかせにする』意味とは全く逆」であり、「真宗門徒の心を踏みにじるもの」であるとして、オリンパスに誠意ある対応を求めた。当初、オリンパスは「辞書に載っているとおりの用法で問題はないと考えている」としていたが、その後、オリンパスとこの広告を企画した株式会社電通が、「大切な言葉を不勉強のまま使ってしまい、申し訳なかった」と謝罪した。

「他力本願」とは浄土真宗の教えを拠り所とする私たちにとって大切な言葉であると同時に、教えの根幹をなす言葉でもある。しかし、残念ながら「他力本願」の誤用は後を絶たない。『浄土真宗辞典』によると、他力とは「阿弥陀仏の本願のはたらきをいう。」(P.468より)とある。つまり、他力本願とは、阿弥陀如来が私たち衆生しゅじょうを一人残らず往生浄土おうじょうじょうどさせると誓われた願いが成就じょうじゅした、ぶつのはたらきそのものである。ところが『広辞苑 第五版』によると、他力本願とは、①に「阿弥陀仏の本願。また衆生がそれに頼って成仏を願うこと。」とあるが、②では「転じて、もっぱら他人の力をあてにすること。」となってしまう。どうやら一般社会では、「棚からぼた餅」、「他人まかせ」や「自主・自律に欠ける」という用法で使われることが多いようだ。

かつて多くの政治家に「他力本願」の誤用が見られた。「これからの日本は親鸞のような他力本願ではだめ」(倉石忠雄農水大臣 1968年)「わが国の防衛は他力本願ではだめ。自分の国は自分で守る」(鈴木善幸首相 1981年)など、これら政治家による影響も少なくないだろう。しかし、何よりもの原因は真宗僧侶が充分にこれらの言葉を大切にしてこなかったからとは言えないか。先述の真宗教団連合の抗議文には「一般社会に対し本当の意味を啓発できなかった」と私たちの課題も示されている。門信徒に丁寧な説明をしてきたのだろうか。誤用するのは「無知」であり、「許しがたい行為」との傲慢が私の中になかったのか。私自身の反省として「他力」「他力本願」という大切な言葉を丁寧に伝えていきたい。

そして、自らの宗教の大切な言葉を誤用されることが「心が踏みにじられ」忍びないのであれば、他の宗教の大切な言葉への配慮も忘れず、他者の心も踏みにじってはなるまい。

参考文献

[1] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[2] 『広辞苑 第五版』(岩波書店 1998年)