肉食
肉食とは肉を食べることである。ここでは魚も含め、僧侶が肉や魚を食べることについて解説する。
仏教における肉食
原始仏教(インド仏教最初期の段階)においては、僧侶は信徒から供えられたものは選り好みせず全て食べなくてはいけなかった。そのため肉であっても食べていた。これは釈尊もそうであった。五戒(※1)の中にも肉食を禁じる項目は入っておらず、肉食よりも臭いの強いものを食べることの方が悪とされていた。日本人は殺生と肉食を一つの行為として結びつけて捉えることが多いが、元々の仏教においては殺生と肉食は互いに全く関係のない概念だった。
ちなみに五戒の中でも飲酒は遮戒(※2)とされ、性戒(※3)とされた他の4つよりは罪が軽い。
条件付きの許可
ところが、時代が下るにつれて殺生を拒否し罪悪視する宗教的な理念との矛盾、葛藤などから食に対する規制が登場してきた。その中で部派仏教(小乗仏教)(※4)において、浄肉(食べても構わない肉)が規定された。それを記した「浄肉文」(「十種不浄肉三種浄肉文」)を浄土真宗の宗祖親鸞が書写しているので、ここではこれを紹介しておく。
浄肉文
『涅槃経』(北本巻一八梵行品 南本巻一六梵行品)言、
「人・蛇・象・馬・師子・狗・猪・狐・獼猴・驢。」十種不浄肉食
又(北本巻四如来性品 南本巻四 四相品)言、「三種浄肉。」見・聞・疑。見といふは、わがめのまへにて殺肉食。聞といふは、わがれうにとりたるを食するをいふ。疑といふは、わがれうかとうたがひながら肉食するをいふなり。この三つの肉食を不浄といふ。この三つのやうをはなれたるを、三種のきよき肉食といふなり。
(『浄土真宗聖典全書(二) 宗祖篇 上』P.974より、一部漢字は新字にし、左訓は省略し、小さな字で二行にまたがる文は同じ大きさの一行の文にした)
ここでは食べてはいけない不浄な肉として10種を挙げた後、食べても罪にはならない浄肉として「自分のために殺されるところを見ていない肉」「自分のために殺されたことを聞いていない肉」「自分のために殺された疑いがない肉」の3種を挙げている。
全面的な禁止
また大乗仏教では慈悲の精神を強調し肉食が全面的に禁止されるようになった。つまり輪廻転生の考え方から、仏になれる可能性がある動物や父母の生まれ変わりかもしれない動物を殺してはいけないという考え方が出てきた。
日本仏教における肉食
日本仏教ではこれらの考え方をそのまま採り入れることはしなかった。8世紀の『大宝律令』に含まれていた「僧尼令」では僧侶が肉食したときの罰則(労働)が規定され、また同時に疾病の薬としてなら期日を限って容認されている。
また、7-8世紀には肉食を禁止する法令が(僧侶だけでなく全ての人に向けて)出されている。しかしこれはあくまで農耕に有用な動物だけを対象としており、仏教の不殺生戒に基づいたものではなかった。条件付きでの肉食禁止という考え方は国家の政策だけでなく民間に流布した説話の中にも出てきている。たとえば『肉食妻帯考』(P.48-49)には、『今昔物語』の「ある僧侶が冬に山寺に閉じ込められ飢え死にしそうになったので観音菩薩に食べ物を与えてくれるよう祈った。そこに猪の死骸が現れ、それを煮て食べて僧侶は生き延びることができた。後で見ると寺に祀られていた観音菩薩像の腿の部分が切り取られていた。観音菩薩は自らの身体を肉に変じて僧侶に与えてくれたのだ。」という話が紹介されている。
さらに浄土思想や念仏思想の隆盛に伴い「肉食や妻帯をしている者でも熱心に念仏を称えていれば往生できる」という話が出てきた。後で述べるようにこの考え方は法然にもみられる。
また、僧侶が肉や魚を食べることで、食べられた獣や魚の体が功徳を積んだ僧侶の心に満たされて、それをきっかけとして獣や魚がやがては仏に成ることができるという理屈も出てきた。神に供えられた獣や魚がその神の本地(本当のすがた)である仏に救われるという話もある。これらの話は『沙石集』に出てきている(『肉食妻帯考』P.55-57において紹介されている)。
16世紀末になると豊臣秀吉が僧侶の肉食を禁止した。それ以降、江戸時代には僧侶の肉食が厳しく罰せられた。なお後で述べるように浄土真宗についてはその限りではなかった。
1872年(明治5)には明治政府により僧侶の妻帯や肉食を許可する法律が出された。これにより全ての宗派において肉食が禁止されなくなった。詳しくは仏教知識「肉食妻帯」を参照のこと。
法然の考え方
親鸞の師匠であり、浄土宗の宗祖である法然は肉食に対して柔軟な考えを持っていた。『一百四十五箇条問答』の中で飲酒と肉食について「それを行うことが、念仏に対してどのような妨げになるのか」と問われ、「本当ならいけないことであるが、世の中の習慣なので」と答えている。
(57)
一 さけのむは、つみにて候か。答。ま事にはのむべくもなけれども、この世のならひ。(58)
一 魚・鳥・鹿は、かはり候か。答。たゞおなじこと。(『浄土真宗聖典全書(六) 補遺篇』P.586-587より)
また、「韮、葱(ネギ)、蒜(ニンニク)などの五辛(※5)や宍(肉)を食べた後、その臭いが消えないままに念仏してもいいか」と問われ、念仏する上で差し障りはないと答えている。「7歳までの子が亡くなった場合には物忌み(※6)することは無いと言われていますが」と問われたときには「仏教には世俗で言われているような物忌みは無い」と答えている。
(14)
一 にら・き・ひる・しゝをくひて、かうせ候はずとも、つねに念佛は申候べきやらん。答。念佛はなにゝもさはらぬ事にて候。(36)
一 七歳の子しにて、いみなしと申候はいかに。答。佛教にはいみといふ事なし。世俗に申したらんやうに。(『浄土真宗聖典全書(六) 補遺篇』P.580 および P.584より)
もう少し細かく見ていくと別の問答(113番、114番)では「読経は体を清めてからするのが本来であるが、清めなかったとしても読経しないよりはした方がいい」「念仏の場合は体を清めなくてもいいから毎日しなさい」と答えている。読経には穢れ(※7)が影響してくるが、念仏はそれを超えて行くものだというのが法然の考えであった。
親鸞の肉食
先に述べたように親鸞は『浄肉文』を書写しており、僧侶の肉食に関心を持っていたと思われる。しかし親鸞自身が肉食を行っていたかはわからない(少なくとも筆者は文献を見つけられなかった)。ただ、浄土真宗教団が女犯肉食を行う集団として他宗派から批判を受けていたこと、江戸時代に肉食妻帯を独自のスローガンとして掲げていたのは確かである(仏教知識「肉食妻帯」参照)。そのような背景から浄土真宗において肉食は禁止されていない。
『口伝鈔』
一応、本願寺第3代覚如の著した『口伝鈔』「第八章」の「一切経交合と袈裟の功徳」には肉や魚を食べる親鸞が出てきている。あるとき魚を食べていた親鸞が「なぜあなたは他の僧侶たちとは違い、袈裟を脱がずに着けたままで食べているのか?」と尋ねられて「不殺生戒を破るのは申し訳ないが、末法の時代において私たちは煩悩に濁りきった生き方しかできない。私の心は世俗の人々と全く同じだからこうして肉を食べている。しかし、せめて私に食べられた魚がこの袈裟の持つ力によって救われるようにと思って、袈裟を着けたままで食べている。」と答えている。
しかしこの話は明らかに親鸞の教義からはかけ離れている。これはあくまで覚如の立場からみた初期真宗教団の肉食に対する一つの解釈であり、先に述べた「食べられた獣や魚が僧侶の功徳によって成仏(さとりを開くこと)のきっかけを得る」という話に影響を受けたものと思われる。親鸞の死後100年も経たないうちに教義が流行の思想に流されてしまっていたことになるが、この背景にはそうせざるを得ないほど既存仏教教団から真宗教団への風当たりが強かったという事情もあった。
屠沽の下類
親鸞は『唯信鈔文意』(聖覚の著した『唯信鈔』を註釈した書物)の中で、殺生や肉食を行っていた漁師や猟師のさとり(阿弥陀仏による救済)に言及している。
親鸞は漁師・猟師・商人のことを「屠沽の下類」と表現した。次に示すのは『唯信鈔』の「但使回心多念仏 能令瓦礫変成金」(『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』P.1342より)を解釈した部分である。この中で親鸞は殺生を生業とする漁師・猟師、物を売り買いする商人たちが「下類」(社会的に賤しい存在)といわれていることを述べた。それから、親鸞自身をも含む私たちもまたこのような「下類」と同じく石や瓦や小石のような存在であるといい、そのような者でもひとえに回心して(自力の心を捨てて)他力の信心をおこせば、石や瓦や小石を金に変えてしまうように、阿弥陀仏が摂め取って仏のさとりを開かせてくださると述べた。
「但使回心多念仏」というのは、(略)
「屠」は、さまざまな生きものを殺し、切りさばくものであり、これはいわゆる漁猟を行うもののことである。「沽」はさまざまななものを売り買いするものであり、これは商いを行う人である。これらの人々を「下類」というのである。
「能令瓦礫変成金」というのは、(略)
つまり、瓦や小石を金に変えてしまうようだとたとえておられるのである。漁猟を行うものや商いを行う人など、さまざまなものとは、いずれもみな、石や瓦や小石のようなわたしたち自身のことである。如来の誓願を疑いなくひとすじに信じれば、摂取の巧妙の中に摂め取られて、必ず大いなる仏のさとりを開かせてくださる。すなわち、漁猟を行うものや商いを行う人などは、石や瓦や小石などを見事に金にしてしまうように救われていくのである、とたとえておられるのである。
(『浄土真宗聖典 唯信鈔文意(現代語版)』 P.18-21 より)
浄土真宗における肉食
浄土真宗においては肉食は禁止されたことはない。仏教各宗派が幕府から厳しく取り締まられた江戸時代においても、むしろ「肉食妻帯」をスローガンとして掲げていった。
語注
- ※1 五戒
- 五戒とは在家信者が保つべき5つの習慣で、不殺生戒・不偸盗戒・不邪婬戒・不妄語戒・不飲酒戒がある(仏教知識「持戒」も参照のこと)。「不邪婬戒」(邪な性行為を禁ずる)は出家者の場合は「不婬戒」(性行為を禁ずる)になる。五戒は原始仏教(インド仏教最初期の段階)時代に既に成立していた。
- ※2 遮戒
- それ自体は悪いことではないが、他の罪を誘発させたり世間からの印象が悪くなるから規制するために設けられた戒。
- ※3 性戒
- 受戒の有無に関わらず、人が犯してはならない罪(性罪)に対して設けられた戒。
- ※4 小乗仏教
- 部派仏教。小乗とは、サンスクリットで「劣った乗物」を意味する。当時の部派仏教は守旧的で煩瑣(こまごまとわずらわしいこと)な教学に終始していたとされる。これに批判的な新勢力が、部派仏教は自利(みずから利益を得ること)を図るだけであるとして「劣った乗物」であるとした。新勢力は、自らの教えを利他(他人を利益すること)の精神で大衆を救済する「すぐれた乗物」であり、大乗と称した。このように小乗とは、大乗と称した勢力からの貶称(みさげる呼称)であり、現在は、「小乗」という呼称を用いるべきではない。
- ※5 五辛
- 辛味や臭みのある5種の野菜のこと。一般には葱(ねぎ)・薤(らっきょう)・韮(にら)、蒜(にんにく)・薑(はじかみ)などの5種をいうが、細かにはその名称・種類には異同がある。臭気があり、色欲を刺激するので、仏家は戒律としてこれを食することを禁じた。
- ※6 物忌み
- 物忌みとは、神事などを行う際に身を清めるなどして穢れ(※7)を遠ざけ、静かに慎んでいること。
- ※7 穢れ
- 穢れとは死・出血・出産など異常とされる事態のこと。これらを共同体に不幸や災厄をもたらすものとして神秘的に危険視し忌避する考え方がある。
参考文献
[2] 『中村元選集〔決定版〕第14巻 原始仏教の成立』(中村元 春秋社 1992年)
[3] 『岩波 仏教辞典 第二版』(岩波書店 2002年)
[4] 『浄土真宗聖典 唯信鈔文意(現代語版)』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2003年)
[5] 『浄土真宗聖典全書(六) 補遺篇』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2019年)
[6] 『浄土真宗聖典全書(二) 宗祖篇 上』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2011年)
[7] 『聖典セミナー 口伝鈔』(梯實圓 本願寺出版社 2010年)
[8] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[9] 『浄土真宗聖典 -註釈版 第二版-』(教学伝道研究センター 本願寺出版社 2004年)
[10] 『ブッダ入門』(中村元 春秋社 2011年)