念珠
浄土真宗に限らず、日本の仏教に関して念珠・数珠というものは古くから親しみを持つ仏具である。念珠の本義は、仏法の世界と今を生きる現世の私を結ぶ掛け橋ともいえる。念珠を持たずに仏祖を礼拝供養するという事は、仏を鷲掴みにする行為と等しく捉える。また、出来ることなら人から借りるものでは無く、一人が一つ手に取って頂きたいものである。
さて、基本的な作法として、念珠は手を合わせ、合掌した両手にかける。親指と人さし指の間に挟み、親指で軽く念珠を押さえ、他の指は開かずに合わせる。この時、念珠の房は真下に垂れるように心がける。念珠を片手だけ通して合掌をする形も存在するが、浄土真宗ではそのような作法はない。また、念珠の玉をすり合わせて、音をたてる事もない。大切な仏具であり、大事に扱って、投げたり振り回したり地面に置くという事は絶対にあってはならない。
合掌しない時は、右手を膝の中央上に置き、その上から念珠を持った左手を添える形が好ましい。左手前になるのは日本古来の形で、例えば歩行は左足から、着物でも左が前になる様に仏事以外の事にも当てはまる文化がある。
念珠の形状は単輪と、双輪の二種類存在するが、通常は単輪を用いる。
念珠の房が出ている一番大きな玉を親玉と呼び、左右に色違いか、同色なら小さな玉が入っており、これを通常二天と呼ぶ。玉の数は108を基本として、その何分の一にあたるが、玉の種類や大きさによっては長さの関係もあり、必ずしも数は一定ではない。房は、基本的には女性用は切り房、男性用はひも房が主流である。梵天房という、ぼんぼりがついた形は用いる事はない。また近年、ブレスレットの様に手首に装着する形も存在するが、念珠は手に持つ仏具である。アクセサリー感覚で用いたり、また決してお守りの類や、利己的な願い事で身に付けるものではない。
また、念珠の紐が切れたからといって不吉ということはない。使用すれば必ず切れるものである。我々、僧侶にとっては毎日使うものであり、一年に二、三回は紐が切れる。
念珠は仏と会話をさせて頂く仏具ともいえる。粗末に扱わず、大事に使って頂きたい。