阿難(アーナンダ)
【あなん】
釈尊の弟子。サンスクリット、パーリ語ともにアーナンダ。漢訳では「阿難」「阿難陀」などと記される。釈尊の従弟であり、釈尊入滅まで25年間侍者として常随していた。このために釈尊の説法を聴聞することが特に多かったので、「多聞第一」とたたえられた。釈尊入滅後に行われた最初の聖典編集会議(第一結集)では経典の誦出を担当し、経典編集の中心人物となった。摩訶迦葉(マハーカーシャパ)とともに教団では進歩的な立場をとり、その後の教団拡大に重要な役割を果たしたとされる。最期は自ら身を焼いて亡くなったとの伝説もある。『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』では釈尊の説法の相手である対告衆となった。釈尊「十大弟子」の一人。
参考文献
[1] 『岩波 仏教辞典 第二版』(岩波書店 2002年)
[2] 『仏弟子の生涯 下<普及版>』(中村元 春秋社 2012年)
[2] 『仏弟子の生涯 下<普及版>』(中村元 春秋社 2012年)